pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

読み終わった本が溜まりました。

 予想以上に読み進みが早かった、というか、まぁ暇という事ですよ、はい。

 

 イメージ的に、一人対多数の異性、あるいは性愛対象にチヤホヤされるというのが『ハーレム』かと思われがちですが、ちゃうよ、というのがこの本の趣旨です。資料的に一番残っているのがオスマン朝の時代のものなので、それが論考の中心なんですけれども、ぶっちゃけて言ってしまえば、血縁後継者の再生産を合理的に突き詰めていった末の存在である訳で、世襲王朝の宿命、存在理由である血縁者による政権主催者継承をスムーズに行う為にあると言って過言ではない、と。

 昨今の皇位継承者問題にもある通り、本来出産は運任せ。臨月を迎えて出産するのも、五体満足で生まれるかも、男女の別も、現代では医療のフォローがありますが、基本的には運頼み。数うちゃ当たる的にやらないと安定的に男子を得る事も難しい訳で、その為に複数の女性を君主の夫人、妻妾として用意する、というのが第一の目的。

 その複数の妻妾と君主自身の世話をする女官たち(妻妾候補でもある)、必要な男手として宦官。彼らの住居、生活の為の諸施設。君主の子女の為の教育機関までも含めてハレムなのです。つまり君主のプライベート空間。

 またオスマン君主は政略結婚相手との間に子供を設けない傾向にあり(姻戚影響を極力排除する為、らしい)、周辺勢力から抜きん出た、つまり対等の国力の勢力がなくなった時点で対外勢力との婚姻をしなくなり、女性奴隷のみを婚姻対象とするようになったと。性愛面からすると男が思うがままに性的欲求ぶつける為だけと捉えがちですが、政治的に見て姻戚の影響をほぼ完全に断ち切る事ができるというメリットがあります。もちろん協力も得られませんが、少なくとも思惑を考慮する勢力は少なくなります。後継者選びで煩わされる事もない。

 またイスラムでは基本奴隷と結婚できません。結婚するなら奴隷身分から解放しなければならず、また購入から七、八年で奴隷身分から解放する事が(イスラムに改宗する事を推奨されますが)道徳的な義務とされています。肉体重労働を強いられる奴隷を別とすると、奴隷と現代の労働者って何が違うかって、自身の生き方を選べない点・・・ぐらい?権利がないという事は義務もないって事だし、奴隷の犯罪は量刑的に軽く見られる傾向があるし。少なくとも生存権はあります。奴隷の主人だからといって生殺与奪権を持っている訳ではなかったはず。少なくともそれを誇示する事は蔑まされる。

 まぁイスラムキリスト教も同じ信徒を奴隷にする事は禁じていますから。つまり異教徒には人権が制限されるのは同じですが(仏教徒のアタクシは人権をしぶしぶ認められる存在か?

 それもこれも偏に安定的に男子後継者を再生産する事が求められていたからで、その目的以外に何百年も続くはずはないですわな。性愛欲求の濃淡があるし、それが義務であるから強制力が発生する訳ですし。そのおかげをもってオスマン朝は何百年も男子継承を続ける事ができましたが。近代以降、それが有効なシステムであるかどうかは別として。

 皇室の男子継承が現代においていかに綱渡りな制度であるか分かります。明治天皇までの畜妾制度をもってしても安定的な直系継承は不完全でしたし、そもそも子供が誕生する事が奇跡であるのですから、その事を基本に考えないと抜本的な解決は難しいかなぁ、とか思ったりしたり。

 あ、性愛とか後継者再生産面でしか書かなかった。もっと色々あったのに・・・まぁいいか?(ナニ