pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

今週の『鎌倉殿~

 義時最後の妻、伊賀の方・・・こういう裏表のある人なのね。つまり、義時毒殺説が採用されそう。そしてこの大河ドラマのラストは泰時、時房が政子に付託されて主導権を握る伊賀氏の変で終わりそうな気がするなぁ。そして次回か次々回で畠山一党が殲滅されそう。そして時政ぱぱんも・・・まぁそんな先の話はいいか。

 鎌倉側が知らぬうちに朝廷側が幕府をコントロールする為に色々と仕掛けている、そういうエージェントとして源仲章が位置付けられているというのが面白いかな。まぁ実朝が実権を握っていた時期は、ある意味後鳥羽上皇の望み通りであり鎌倉側にとっても望ましい時期だったからなぁ。そこに至る道は善意によってもたらされたのではないって、断言されたような回でしたね、今回。

 それはさておき読み終えたもの。

 

 今となっては「そんな国もあったねー」なんですが、ベルリンの壁崩壊からドイツ統一の、あれよあれよという間の展開は怒涛で、こんな事が起こるんだって驚いてた青少年期の自分がいましたね。自分の生まれる前から冷戦構造は存在していて、それがずっと続くんだろうなぁと思っていたら、東側世界・・・厳密にいうとソ連邦世界が、あっという間に崩壊していったのですからね。

 冷戦構造の結果誕生した分断国家は三つほどありますが一番早く統一されたベトナム共産主義が資本主義に勝利したというよりも、民族主義汚職政府に勝ったという感じですし、北朝鮮世襲軍閥の色が濃い。それに比べると東ドイツは戦前から共産党があった、そして共産主義の『教祖』とでも言うべきマルクスの母国ドイツですから、まぁそれなりの理想はあったようですけれども、しかしそれは現実というものに変質、偏向を余儀なくされ、やがては硬直化し、ルーティン化し、市民生活の現実と欲望も見えなくなり、崩壊していきます。

 監視警察国家でありましたが、請願という形で(これが山のように届けられる)国民生活に対する要望が届けられ、可能な限りそれを実現するという宿命を背負っていました。何せ西隣で有数の経済大国に成長していく西ドイツがあって、それに「追いつき追い越せる」と国民に思ってもらわなければならない。それはある程度は成功しますが、やはり計画、規制経済はノルマのみ達成すれば、あとは知ったことはない、という気持ちになり、社会主義国の面子にかけて保証された生活も慣れれば当たり前で黙っていても国はしてくれる、と思ってしまう。

 西側世界も決して『楽園』ではないと私たちは身をもって知っており、何が違うかと言えば、個人の成果が評価され、社会的、経済的に個人が満足を得やすい(必ず得られるとは限らないけど)というぐらいかな。その評価で人が満足を得、さらなる評価を得るために努力する。努力しなければ貧困と没落が待っているという危うさがあるけれど。しかし社会的には前に前進できる(必ずしもではないけれど)。

 東側世界は建前として誰一人見捨てられず、平等に生きるという目標がありますが、『出る杭は打たれる』し『等しく貧しくなれ』という呪いにもなりやすく、社会の硬直と停滞を生み、気が付いてみれば諸問題に有効な手を打つことができず崩壊していったって感じ。

 ただ現在のロシア軍の様子をぼんやり見透かすかぎり、ロシアの宿痾なの?って疑いたくなるほど、かつての東側のダメなところが改善されず、そのまま残っている印象がありますね・・・なんだろね、これ。貧しくとも生活できる状況に満足し現状維持だけを望むと衰退していくというのは、どの社会でも共通ですけれども(わが身を振り返りそう思ったりもする

 まぁ権力者の交代が平和裏に行われない国家って、往々にして硬直と停滞していくものなんだなぁと思いました。最初は善意であっても、その善意が時とともに変わってしまい『悪意』にも等しくなってしまう。変化や進歩への憎悪、かな?