pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

苦いなぁ・・・

 米澤穂信さんは好きな作家さんの一人です。文庫化された創作作品はほぼほぼ購入しています(一冊だけ購入していない作品がある事は自覚している

 なのでこの作品も事前情報は知らなかったのですがTwitterで発売を知って購入しました。

 

 たぶん長野とか岐阜とか、そんなあたりの山間限界集落が舞台。いやかつて限界集落があったというべきで、百歳の方が亡くなった事が一つのきっかけとなり、高齢者ばかりの居住者は次第に集落を離れ、結局無人の家屋が残る廃墟となってしまいます。

 本来ならばそのまま自然に帰っていくばかりなのですが、大合併で主導権を握った自治体が吸収した他の市町村をないがしろにしている!!と攻撃して当選した市長により、この消滅したはずの集落を復興させよう、というプロジェクトが持ち上がります。

 主人公は不本意ながらそのプロジェクトに携わる事になった市職員で、しかし公募された居住希望者の人選には携われず、指図のままにお世話をするのですがトラブル続出で、一組、また一組と居住世帯は集落を離れていく。まるで何かの意志があるかのように・・・

 えっと殺人はないです。別に悪意とかも存在しないし、カルト的な要素もない。ただ「あー、ありそう」って事情は存在します。政治家の思い付きでやってみたけれども、やっぱり諸々の問題が、特に経済的な問題が顕著であるという事実。

 90年代は「こんな山間に何故人が住んでいるのか」っていうエッセイも目にした事があり自分も不思議だったのですが、中世まではヤト田こそが経済的で生産性も高かったという記事を見て目から鱗な感じでした。「山の入り口」っていうのがヤトの意味だったかな?つまり山の水源に近いところで水田を営むのがもっとも効率的な時代があったわけです。水源に近いから水に困る事はなく、またもっとも川上に位置するから水田に使う水を優先的に使う事ができる。集落において日常品を自給自足できるなら、山間部の不便さなど飢饉や日照りの確率を減らせるメリットからすれば、問題にもならなかったでしょう。

 しかし平地の灌漑や水問題の解決が法的に容易になった近世以降になると、山間部の交通の不便が徐々に大きくなり、現代にいたり農業や林業の採算性が低下すると人離れが始まります。自治体も生活する市民生活を維持する事が業務とは言え、投入した税金に見合った利便性をどれだけの市民が得られているのか?厳密な損得勘定は現れないけれども、納税者が多くなるならまだしも、多少の増加ではペイできない、そこまで過酷な環境ならば・・・となりますわな。

 米澤さんの作品は現実を突き付けてくる事が多くて、実は好きなんです。「ヨカッタ話」で幻惑されたくない。通常ならば過疎地活性プロジェクトが成功し、人が戻ってメデタシメデタシにしたいところですが、税金を投入して一時の活性化を得ても、それこそ持続的に、その過疎地で生活していく経済的必然性が存在しない限り、また過疎化は起こりうるでしょう。

 中世までの生活様式を現代人は行う事はできない。その認識から始まらないと、解決できない問題かも知れませんねー。