pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

四回目、打ってきた

 コロナワクチンです。四回目で副作用はそんなに酷くならない・・・ならないで欲しいという願望は、お医者さんの「僕、四回目が一番酷かった」という話で打ち砕かれました。まぁそんな大した話じゃないが。回数重ねたからと言って油断しちゃだめよ、という話ですね。発熱したら一般的な解熱剤を飲みなさいって、そのお話は二回目です。三回目以降、一族で長くかかりつけている内科のお医者さんにお世話になっているから。たぶんコロナワクチンを定期的に打ち続ける限り、この話を聞き続けるのだろうなぁ。

 まぁ明日は熱が上がらない事を祈るばかりです。

 さて読み終えたもの。

 

 戦国期の女性の地位、特に嫡妻、つまり家長と対する第一正妻の社会的地位について著者の方が研究していらして、北条氏康の妻、武田信玄の妻、今川氏親の妻についての本は出されています(この方の刊行スピードと内容の濃密さ、新視点は驚嘆すべきものです)。その余技という訳ではありませんが家康最初の正妻についても物にしていらっしゃいまして、興味がわいたから購入しました。

 しかし同時代資料が豊富な前三者と異なり、家康正妻『築山殿』はほとんどの記録が後世の編纂物であり物語的とも言えます。

 確実に言えるのは今川一族衆の関口氏純の娘で、今川家の勢力圏で西端の最前線に位置する松平家を今川一門待遇で取り込む為に結婚したこと。その為、当初の社会的地位は築山殿の方が上位であること。

 桶狭間合戦の結果、家康は岡崎入りしますが、その時に築山殿と娘亀姫は岡崎に移り、嫡男竹千代が駿府の松平屋敷に留め置かれたこと。

 織田家との闘争をする松平家に対し、甲相駿三国同盟を重視した今川氏真は、長尾景虎の攻勢に対応して北条への援軍を優先してしまった為、松平としては存立の危機に安全保障してくれない今川との関係を見限り織田家との和睦に踏み切ったこと。

 ここから今川家と連携する松平家の家妻であった築山殿も嫡男竹千代→信康が継承する松平家存続を第一に考え始めたこと。

 その為に武田信玄の攻勢の前に危機的状況になった徳川家康を見限り、信康による、武田家に従属する松平家を選択しようとして発覚。結局信康は嫡男の地位を追われ、築山殿も自害、となると。

 ちなみに家康次男、秀康が誕生当初家康の子として認知されなかったのは、築山殿が認めなかったからだそうです。当主の子づくりは正妻が管理していた事なので、つまり正妻が了承しないと当主の子を妊娠しても、当主は認知できない、というシステムで、家妻の権威の強さが伺えます。別の女性が母親の二女は岡崎で出産されているので、こちらは築山殿が認可したのでしょうね。どうして秀康母との関係が認められなかったのかは、資料が残されていないので解りませんけれども。

 家康、武田家と戦っている最中は、ものすごーく危機的状況の連続ですね。内憂外患とはこのことか。この辺りが面白く表現されていれば、来年の大河ドラマも面白くなるかもしれないと思ったり。