pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

ようやく見れたー

 『鎌倉殿の13人』です。源仲章がいい味出していましたねぇ。生田さんの悪役はあんまり見た事なかったのですが、イケメンが軽はずみな悪役やるのってハマリますねぇ。死に際の芝居がヨカッタ。

 実朝夫妻ってほんっとに仲良かったってエピソードばかりで(夫の死を知って即日出家を決めたし、亡くなるまで夫の菩提を弔い続けたって、子を儲けていても、死別したり離婚したりした後、結構再婚する人も多かった時代なので、珍しい)、ほのぼの感を出す為に彼ら夫婦の描写を増やしてほしかったなぁ、と思うばかりでした。

 ラスボスとして、このドラマの義時は『意図的に』承久の乱を引き起こすキャラとして描かれそうですね。という事は、承久の乱はあっさりと流し、その後の伊賀氏の乱で義時死亡とその事後処理、つまり泰時によって鎌倉が明るい建設的な方向に進んでいくという描写を重んじそうな感じですね。そうでないと、のえさんに対する義時の塩対応が・・・

 そういえば登場時の菊地凛子さんのインタビューでのえさんを評して「自分に正直な人」って述べてみえたけど、まぁ、そうなるわなー、色んな意味で。次回も楽しみです。

 んで、読み終わったのは、そんな北条の鎌倉が滅亡する話。

 

 端的に言うと『悪党』対策を誤った事が原因、ですかね。『悪党』とは特定の身分、職種ではなく訴訟を起こす原告が相手側を攻撃する際に使う文言で、争乱を起こす相手ですが守護の通常業務である治安維持活動になる為、働いて鎮圧するのが当たり前で、褒章の対象とはならない。荘園領主としては略奪を行う悪党を取り締まって欲しいが、武士としては同じ階層の仲間。幕府の借金帳消し徳政は御家人には適応されるけれども、非御家人には適応されず、元寇や飢饉で出費が増え、収入が減った武士たちの間でも明暗が分かれる訳で、苦労して鎮圧しても恩賞が出ない治安維持に御家人が本気で取り組む筈もなく、追い散らすだけで根本的な解決にならない。

 それが如実に表れるのが赤松円心、則裕父子の蜂起で悪党騒ぎと理解していた幕府上層部は治安活動と理解するので恩賞対象と思っていない。そうなると御家人たちはお茶を濁すだけ。京都近郊に攻め寄せられようやく反乱と理解し恩賞対象にすると赤松や千種忠顕勢が攻勢限界にあった事もあり押し戻すのですよね。

 ただ既に時遅しで、名越高家が迂闊に大軍が展開できない深田に入りこんで総大将戦死という大敗を喫すると、優柔不断な足利高氏も覚悟を決めて六波羅探題を攻め落としてしまうと。

 悪党は坂東武士から見ると非正規の歩兵主体で、騎馬弓兵が主力で平地戦に強い坂東武士の弱点を見抜いており、彼らが縦横無尽に活躍できない、山岳、籠城戦を挑んできた事も苦戦の原因。その苦戦、長期化は御家人の経済負担が増加、厭戦気分を充満させ、そして鎌倉が危機に陥った時、日和見、かつ従軍拒否というかたちで現れます。

 鎌倉を攻められた時、北条は都市鎌倉の兵力のみで戦わざるを得ず、そしてその兵力のすり潰しあいに負けた時、北条の鎌倉は滅亡した、といいます。

 最後の得宗高時を暴君視するのは江戸時代の観念的な思考で、本質的には病弱で気力に乏しい人物であり、本来朝廷内で決着すべきであった後醍醐天皇の無理筋解決を求められたが為に、そして後醍醐天皇は自身が既存の秩序に対する挑戦者であったが為に(中継ぎの天皇という役割を自ら逸脱する行為を始めたから、そうなる)鎌倉幕府に彼を支持する勢力もなく、つまり幕府を否定する事が自らの無理筋を通す手段であった訳で、そして幕府としては手を突っ込みたくない朝廷の事情にいやいや対応し、都市鎌倉にいたため、飢饉の事も悪党の実態も把握しづらくなり・・・まぁ現状把握に失敗した事が滅亡原因なんですかね。

 にしても・・・こんなに足利高氏を否定的に見る人も久しぶりな書きぶりの著者の方です。まあ『優柔不断の愚図』って、その通りなんですけれどもね。そういう人が戦ったら何故か勝つって、解らんよねー・・・