pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

残る資料は多い方がいい

 このシリーズのこの本を読んでいたら、そんな事を思いました。

 

 もともと記憶力が鳥頭なので、この本の感想を書いたのか書いていないのか、いまいち覚えていないのですが、まぁいいや(いいのか

 この『戦国武将列伝』のシリーズ、物凄いボリュウムで一冊当たり四十人以上の各地域の戦国期に活躍した武将を記述しているのですが、この四国編は一次資料の残存状況が乏しく、軍記物の記述と一次資料の手紙やら寺社に残された資料やらと照らし合わせて、それらしいところを探るしかないという状況。こういうのは大変困りますよね。良く官僚やら会社やらが調査資料を処分しちゃった(てへぺろ)みたいな報道がありますけれど、あれやる人間は自らの恥を隠したつもりでしょうが、考えてみれば将来に対して大変無責任な事をしている訳で、その資料が残っていれば、発生したトラブルに対する検証が行え、類似のトラブル解決の為の方策を考える一助になりえたのに、それを潰してしまうのですから。

 四国の戦国期は自ら処分したのではなくそもそも在地の勢力がほぼ全て生き残る事ができなかった事に原因があるのですがね。阿波三好家は三好本宗家とともに一時は畿内に覇を唱えましたが、その後、将軍足利義輝抹殺をして阿波公方家を担ぎ上げた事で諸国の大名の支持を得られず、結局足利義昭とその輿同勢力との抗争で弱体。最後は消滅していきます。讃岐は国人領主たちが右往左往と支持勢力を変えますが、こちらも豊臣政権に圧殺される感じ。伊予は守護家の河野氏の分裂抗争を基軸に後期は河野氏と姻戚を結ぶ毛利勢力と土佐から進出する長曾我部勢力の抗争。毛利側の小早川隆景の領国に短期間なったあと、豊臣政権の朝鮮侵略政策により子飼い武将の領地が設定され、こちらも消滅していく運命。

 長曾我部は豊臣政権下では生き残りますが、関ヶ原合戦後の一揆が元で改易を余儀なくされます。豊臣政権下で一揆は私闘と判断され禁止されているし、実際東北や九州で一揆は殲滅の憂き目にあっているのですが・・・中世において一揆は訴訟でしたから、不平不満を一揆に訴えて主張する事は当たり前ですが、時代が変わった事が浸透していなかったのですよね・・・まぁ現代でも情報格差と言われてますから、そういうのは昔からある訳で、こういうところからも『日の下に新しきものなし』とも言えるかな、と。

 長曾我部家の滅亡はねぇ、その意味でも切ないんですよね。上手くすれば領地削減ですんだかも、敗者復活の目があったかも、と思うとね。