pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

範囲が広くない?

 読み通して我に返りましたが、記述範囲が西は尾張、美濃、伊勢、越前で東は北海道渡島半島までって、広すぎるよなぁ、と。戦国期の東日本って日本列島の半分ぢゃん。

 

 次巻の『毛利領国の拡大と尼子・大友氏』と比べると一目瞭然で、1.5倍ぐらいの厚みがありますよ。まぁ戦国期関東と東海地方は、この時代を代表する勢力がひしめき合っているし、戦国期関東は北条家が南関東の覇権を握るまで複雑怪奇な離合集散が繰り返されるし、今川家は戦国大名の基本形みたいなとこだし、準備段階の織田家やら、その存立に大きくかかわる美濃情勢とか、まぁ書く事、多い多い。

 興味深かったのは長尾景虎は兄晴景から譲られたのではなく、権力闘争を勝ち抜いて当主の座を奪い取ったという解釈。一色義龍が父道三を倒したのは外交的に孤立した政策が原因。織田信秀は『織田一族一揆』の指導者であったとか、そんなところですかね。武田や北条、今川についてはだいたい知っている感じでしたが。

 あ、上杉謙信に関して、も一つ。関東管領になった後の古河公方への関心の薄さが酷い。なーんか称号だけもらえれば後は用がないって感じで、関東への出兵も自らの『関東管領』『山内上杉家当主』の面子を保つことが第一って感じ。越後守護代家出身で、越後国主として認められる大義名分がなかったから、そうと認められる努力の一つに過ぎない印象すら受けるかなぁ。甥とはいえ足利義氏を傀儡に等しいとはいえども推戴し続ける北条氏康の方がマシに見えるのは、北条びいきだからですかね。北条からすると自らの存立に直結するからかな。『他国の凶徒』という誹りを払拭する為に『関東の主』という建前の古河公方家と姻戚関係になって事実上の関東管領を名乗るのは不可欠ですもんねー。それに比べると三国峠の北側の謙信にとって権威は欲しいが、そこまで一生懸命という訳でもないように見える・・・個人の印象ですけれども。越後制圧がやっぱり第一であり、その為の権威ですもんねぇ。もしも上杉憲政の要請を断っていたらどうなっていたか・・・それはないか。頼ってきた者を無下にするのは面子に関わるし、やってしまったらやっぱりこいつは頼りにならねーって評価になって越後の混乱収拾なんて遠ざかってしまうもんなぁ。

 あと、最近の研究者は『戦国大名』という定義も人によって異なる用語を使わない人が増えてきたようです。そういえばこのシリーズでも、そんなに使われていないような気がする。○○家という言い方はするけれどもステレオタイプとしての『戦国大名』という言葉は使う頻度が減っている気がします。

 何が『戦国大名』なのか、改めて定義すべき時期なのでしょうねぇ。