pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

古代史は、よくわがんね

 日本古代史を語るうえで必ず俎上に上るのが『古事記』『日本書紀』で、これがないと考古学的発見と、古代中国、古代朝鮮の通史から関連記事を参照するしかないという根本史料なのですが、これがですね、『日本書紀』は天武、持統天皇系統のプロパガンダと弁えていたのですが、『古事記』は大王家に仕える豪族たちが、自分たちの始祖がいかにして大王家に仕えるようになったか、その由緒を描いた記述が多いそうで、つまり豪族たちのプロパガンダの集合体という・・・油断ならねーな・・・

 

 発刊が2021年なので最新解釈と見ていいのですが、まぁ「こんな感じぢゃないかな」感が強いです。この本で扱っているのは五世紀~なのですが、そのあたりから古事記日本書紀に載っている天皇が実在しているだろうと言われているのですけれども、今日はおろか、古事記日本書紀が成立した七世紀とも異なる常識の時代ですので、書いてある事を素直に信じる事はできない、と。まずもって五世紀の大王家は複数あったというのが定説っぽいのですが、ややこしい事に大王という第一人者となれる家と、そうぢゃないけれども王と称する事ができる家々があったらしく、その辺を読む解く事がメイン・・・みたいな?

 中国南北朝時代使節を送り、『倭王』の称号をもらった王の系譜からおそらく日本書紀の言うところの仁徳系と允恭系、二つの大王になれる家系が存在し、仁徳系は葛城、吉備、紀伊などの海人、水運を司り大陸外交の主導権を握っていた豪族たちと結んでいたようなのですが、この三豪族たちは当時朝鮮半島南部で覇権を握っていた百済と繋がっていたようで、この百済が半島北部から現在の中国東北部に勢力を持っていた高句麗に一旦滅ぼされるという事件が起こります。どうもこの時に仁徳系から允恭系に大王位が移ったようで、仁徳系と姻戚関係にあった葛城、吉備は排斥、あるいは滅亡の憂き目にあいます。当時の古代日本=倭国において大陸との交易効果は絶大で、最新の技術、文物だけでなく当時の日本では採取できなかった鉄などの資源も入手しており、つまり大陸交易の主導権を握る事が当時の倭国の主導権を握る事になります。

 今まで百済を通じてそれらを入手していた葛城、吉備、紀伊が、百済の滅亡によって主導権を失った事が王統の交代のみならず、葛城氏の滅亡にもつながるという。武力で対抗勢力を制圧した允恭系の大王たちでしたが、しかしその利権を全て奪う事はできなかったようで、混乱の記述はそのまま不安定な允恭系統治時代の反映なんでしょうね。そして允恭系大王家は後継者が絶えてしまい、逼塞していた仁徳系を探し出して大王位につけたものの、混乱によって多くの血が流された結果なのか、仁徳系も断絶します。

 ここで近江出身で越前、尾張の勢力の支援を受けた継体が大王位を継ぐのですけれども、この継体が属していた王家が、本来は大王にはならない王家だったようで、仁徳系の女性を娶って継いでいます。それまでも継体本人もそれなりに畿内政局で重要な人物だったようで、この後、継体と仁徳系女性との間で生まれた欽明が、その後の大王家、天皇家の起点先祖と見なされる、つまり右巻き大好き『万世一系』という奴が始まる、と。

 んぢゃあ、葛城、吉備、紀伊と(尾張とかもだけど)その大王につける王家、大王になれない王家、それぞれの違いは何なの?って、やっぱりこの間読んだ葛城氏の本と同じ疑問にたどり着くわけで。葛城、吉備、紀伊が大陸との交流や瀬戸内海や淀川水系を始めとする水運を牛耳っていた事で大きな力を持っていたのは確実ですけれども、彼らよりも上位にいたらしい王家たちは、何によって上位になっていたのでしょうね。

 古代日本史で一番知りたい事かなぁ。宗教的理由はだいたい後付けなので、それを獲得する前の理由が知りたいんですよねー。