pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

少しまとまった入荷がある

 ので、トラック便が到着するのが早いか遅いかで仕事の流れが変わるかしらん?まぁてきとー書いてますが(ナニ

 トラック便の運転手さんが二人ほどおいでで、お一人は早くて八時過ぎぐらいに持ってみえて、もう一人はやや遅く十時前後に持っておいでになる。遅い方だと日記を書く時間が十分とれますが、さて今日はどうかな。今、八時になりました。

 こういう前置きをするときはネタがない時なんですけれども、ふふふ、残念ですね。ネタはあります(オイ

 

 先日読んだ同じシリーズの東国編に比べると分量が少ないですが、まぁ近畿地方が含まれていないですしね。やはり著述の中心は結果的に大内家の後継者となった毛利家の事になります。大友氏は何というか、大内家を取り込もうとして陶晴賢など大内重臣層と結託するも失敗。北九州に覇を唱えると言いながら、常に防長両国を制した勢力との緊張にさらされ、安定しない。最終的に毛利の関心が東方に向いた頃には博多を窓口とした海外交易は衰退しており、外国船は肥前の平戸などに発着するようになっていて筑前を制した旨味は減っています。だからなのか博多が蓄積していた海外貿易のノウハウ、特に明朝、朝鮮王朝との正規交易には参入できず(対馬の宗氏は石見銀山を擁する毛利家と繋がっていたらしいです)、『アジアン大名』とか評価されますが、密貿易に活路を見出したという方が正しいかも。

 それで富を蓄えて九州に覇を唱えたかというと、なーんかそうとも言えないような気がするのは、何故ですかね。気が付くと、だいたい従属国衆が、機会あれば反逆しようとしている、としか思えない。それだけ大友家は信頼できない、頼れない存在だったのですかね。そういえば足元の宇佐八幡宮・・・つまり全国の八幡宮の総本山とも言える存在ですら反旗を翻したりしていて、なんなんですかね、これ。このあたりを研究された方の文章が読みたいですね。

 あとは・・・2020年発刊の本書ですが、2022年発刊の戦国期四国武将列伝と比べて、え、こんなに変わっているの?という面があります。特に人名の確定情報で。まさか三好義賢(実休)って表記を見るとは思わなかった。ノブヤボでさえ三好実休になっているのに。

 日本史って専門以外だとアップデートについていけていない研究者もチラホラいる・・・というか研究の進展が細かい部分で早いので、追っかけるのも大変な分野ですけれど・・・さきほど読み終えた2020年発刊の『百年戦争』の著者が「日本の封建社会で主従関係は一対一」と書いてみえるのを目にして、いや、平安から鎌倉、室町ぐらいまでは複数の主人を持つのは当たり前だし、戦国期でも両属の国衆や村郷もあったんですけれども、と突っ込みを入れたりしたり。まぁ著者が中世フランス史の研究者なので、仕方ないのかも知れませんが。一般教養とオタクの差なんですかねぇ・・・