pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

なんか解ってきた

 日曜日の『ど家』を見て、大河はファンタジー作品なんだな、と改めて思いました。三河一向一揆に至る話なんですが、一向宗がヤベえ新興宗教みたいな感じで描かれていて、最近の学説が取り入られている形跡は、家康側が一向宗寺院の米を奪ったぐらい?それも偶発的な事件な筈が家康の命令でやった事になっていたし、統治とか経済的な問題の筈が、『支配するもの』『支配されるもの』の論理になっているなぁって。この辺は古い形ですかね。当時の当事者たちは宗教戦争ではなく利権争いに近い感覚だったと思うけどね。

 あと家康の心象に応じて建物を表現しているらしいけれど・・・これ、ドラマの前後に『この作品はフィクションです』って書いておかないと、また変なこと言い出す人が出てくるよなぁって思いました。

 土曜日の晩は、インドとかでは絶対(とは言い切れないか)・・・比較的『ない』であろうポークビリアニをこさえました・・・もっと固い歯ごたえを期待していたけれども、柔らかくて・・・ちょっと違うな、と思いました。豚ひれ肉でも柔らかいとは・・・いや、美味いのですがね。はい。

 日曜日はソーセージでホワイトシチューをこさえましたが・・・残すつもりが食べきってしまったorz。太る・・・太るんだよ。はい。

 んで読み終わったもの。

 

 ちょうど家康君ですね。というても晩年のことですけれども。秀吉の豊臣政権、それを踏まえての徳川幕府って感じですね。でも大陸侵略政策が何に起因しているのかって説明はなかったかな?たぶん政権中枢の求心力向上は功績に対する恩賞への期待であり、それを供給し続けるには戦争を企画し続けるしかなかったって事なんでしょうけれども、それを『肥大し続ける専制君主の自尊心』みたいな矮小化されているみたいな説明だったよーな、気もしないでもない。まぁないとは言えないけれど。

 ただし秀吉の自己意識とは別に豊臣政権には専制を行えるほど中央集権的、絶対的な実力はなく、太閤検地にしてもその支配者、土地によって手法はバラバラ。戦争の為の軍役負担を決定する基礎資料の筈ですけれども、そこに各領主の事情とか政権の恣意が挟まって、まぁ統一的なものではないと。

 豊臣政権崩壊の原因が出頭人を競合させ、競わせる事で成果をあげた手法に求めているところが自分には新しかったですかね。それを統御する人間が健在な時は効率的でしたが、弟秀長死没、甥秀次自害、秀吉自身の判断力の低下で政権中枢を統御できる人間が不在となり、三成派、反三成派の争いで豊臣政権は自壊したと思えます。

 それを踏まえて家康は大久保忠隣粛清(というかおとり潰しか)などで側近集団を守り、政権が分裂する事を防いだと評価される、と。

 関ヶ原合戦から家康が段階を踏まえて豊臣家の権威を従わせようとする過程が解りやすかったかな・・・んで、これも『ど家』でやるの?物凄い「家康悪くない」理論を展開するか、今回の三河一向一揆の発端みたいに開き直るのか、どう描くつもりなんだろう・・・