pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

今日は読み終わっていません。

 勢い余って積み読が増えている状況です。順次読み進めていますが、まぁ日記書く速度の方が早くてネタ切れてしまうというね。なので今日は途中経過みたいなもの。

 最近読み続けている『修道女フィデルマ』のシリーズでキリスト教改宗前のアイルランドの法律に言及されることが多く、古代アイルランドの生活に触れたような気分になるのですが、古代アイルランドの法律は男女に対して平等の権利を認めている例が多いようです。しかし別にこれは現代のジェンダーを先取りしている訳ではないよねぇん?

 並行して読んでいる日本古代の女帝を軸にした王権史を読んでいるのですが、古代に法は双系社会で父系母系ともに重視された社会であり女王卑弥呼も男王も、ほぼ同じ権限を持っていたのではないかと推定されています。また中国史書に書かれた倭の五王も、どうも王位継承の正統性を中国王朝側に認めてもらうために、実際の父子、兄弟関係になくても「父の後を継いだ」「兄の後を継いだ」と申告していたようで、実際の親族関係は不明というしかないと。中国王朝側に倭王の継承実態を確かめる術はないですもんね。自己申告をそのまま書くしかない。

 そんな事あるんか?って事ですが古代百済や、また十四世紀の琉球王朝ではあったらしく、特に記録が詳細に残っている琉球の尚王朝に関しては前代の王を殺害してクーデターで王位に就いたにも関わらず、同族の継承であると主張して明王朝に認められた第二尚王朝の例もあり、ないとは言えないと。

 古代の日本では父子継承ではなく、男女の別でもなく、同族の経験豊かで統治実績を持つ長老が王位に就く例が一般的で、首長とみられる古墳埋葬者も古い時代ほど男女比率差は小さく、また男子首長が多くなっても武装の副葬品とともに葬られた女子首長も少なくないとか。大王家においても、どうも大王家の特異な、崇敬される地位を確立したのは推古天皇みたいなんですよね。在位年数が三十年を超える天皇って、戦国期や近代以降を除くと、数えるほどしかいない筈。奈良時代以降は譲位する事が一般的になってくるせいですが、天皇家の地位確立は推古の在位年数と卓越した統治手腕がなければ、また異なったものになったと思われます。

 女帝を中継ぎと言う説は多いようですが、推古を中継ぎの大王と呼んでいいのだろうか?そもそも中継ぎの定義ってなに?ってところから自分は不明確なんですけれども。

 なんか話が途中から明後日の方向に行ったなぁ。男女の地位が接近するのは人権意識ではなく、過酷な生活環境で人が死にやすく、性別でより分ける贅沢など許されない社会だから、と書きたかっただけなのに、あれれ???

 少子化の現代もそういう傾向があるので、というか近代の女性の地位向上も第一次、第二次の両世界大戦で男が死に過ぎた側面があると思うのですけれども。

 差別ってそういう贅沢が許される社会ではないのか?と思ったりしたりします。

 ただの感想ですね。