艦これイベント中は気がせくので仕方ない(そうか?
手元に置いてじっくり読む事を検討したい本なので。
『女帝の』と書いてあるのはひっかけみたいなもので、古代王権、継承の在り方の変遷を追ったものです。今のところ、読んだ古代日本の王位継承の話の中では一番腑に落ちるというか、納得できる話。中国古代の史書に倭国王の系統は二系統記されている事から、その倭国王に記紀の天皇系譜を当てはめて、誰それは誰それに該当するとかって話があるのですが、これ、倭国王からの自己申告で先代王からの継承が中国王朝の常識にかなっていますよー、と言いたいために「兄を継いだ」「父を継いだ」という申告をしている可能性があるそうで、あんまり意味がないそうです。例としては百済王とか時代が下って十四世紀の琉球の尚氏王朝も第一と第二王朝間に血縁ないけれど遠縁だと主張したとか。
他にも飛鳥時代までの日本は双系社会で、父方だけでなく母方の出自も重視され、子供は母方で育つため、同母兄妹は家族意識があるけれども、異母兄妹は同族の他人みたいな。あと生存環境が過酷な古代日本において父系、つまり男子指導者が必ずしも期待された能力を持つとは限らない。そんな存在にリーダーを託す余裕はないため、男女の別は問わず能力と経験を兼ね備えた一族長老を指導者として選んでいたようです。血統原理さえも適応されていないみたい。
血統原理の適用は継体天皇以後で母親に畿内王族出身者を持つ欽明天皇からで、その政治パートナーが蘇我稲目であったといいます。あと天皇家を他の畿内豪族とは異なる存在であると印象付けたのは三十年以上という長い在位を誇った推古天皇の指導力によるもの。有名な『聖徳太子』はどうも仏教支援を担当する王族で、その遺徳を称えた仏教関係者によって偶像化したみたいですね。
現在の「天皇家は神の子孫」という論理で即位する方法を確立したのは持統天皇で、天照大神を始祖神とする神話体系も彼女によって整えられたようです。そして自らの血統(天武天皇の血統ではない)で皇位継承独占を図ったと。別に男女の別は気にしていないというか、結果として幼弱な男子後継者を長老格の女性が指導するみたいな体制が奈良時代の特徴になります。聖武天皇も長らく伯母の元正との共治でしたし、元正が亡くなると聖武も仏道に入ってしまい、娘孝謙を指導したのは妻で藤原氏出身の光明皇后・・・この頃になると婚家に嫁ぐという考え方も出てくるんですかね?ただし違和感があったらしく橘奈良麻呂の乱のように「皇位が定まっていない」という不満がくすぶっていたようです。奈良麻呂、広意義では光明皇后の御内なのにね。父親の橘諸兄は光明皇后の異父兄なので。
主導権を握った長老が皇位を左右して良い、という試みは孝謙称徳天皇が仏教の師である、つまり尊敬すべき人物として皇位を譲ろうとした道鏡擁立に失敗した事で否定され、聖武天皇婿の一人である白壁王が光仁天皇として即位した事により、また異なる原理での皇位継承が始まると。彼の息子桓武から父系継承が常識になっていくのは、その頃には財産や政治的力量を持った女性皇族が減ったからとも言えて、なので平安末期には莫大な皇族財産を保持した八条院という女性皇族が皇位につく事も検討されました。
皇位が男子占有物。女子継承は中継ぎ、というのはだいぶ時代が下ってからの常識、というお話でした。面白かったけど・・・ちくま新書、やっぱり誤字脱字が目につくな。大丈夫かな?