pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

読み終わりはないです

 戦国武将列伝の東北編を読み始めています。蠣崎、九戸、津軽、南部ときて、今、南部信直の項目ですか。だいたい言える事は一次資料が乏しいこと。その出自が不明なものが多く、だいたい江戸時代の編纂物で創作されているパターンが多いという。

 南部を除いて戦国末期、豊臣政権期に独立、あるいは滅亡という運命を辿った各氏ですが、北奥の二大勢力、南部と安東の両氏が権威はあっても一揆の盟主みたいな立ち位置で、その権威を上回る存在の出現(豊臣政権)、支配力の弱体化(安東氏はまだ読んでいないけれども幼主のタイミング。南部氏は今読んでいる最中だけど婿入り当主の交代期で双方ともに統率力が相対的に弱くなっていた)が重なり、中央権力と直接つながる好機であったようです。最も蠣崎、津軽両氏は積極的に独立を指向しますが、九戸は中世的な「武力訴訟」の意味合いが強い蜂起を行い、これが豊臣政権の「惣無事」に抵触し滅ぼされたみたいな感じ。

 なんにせよ東北戦国期の研究にはあんまり触れた事がないので楽しみです。

 ・・・まだ五百字以上あるな・・・何書こうか・・・

 あ、海事法が国際法の元になっているって話を聞いて、色々腑に落ちるところがあったのですが、「相互補助」が「相互保障」に繋がるという奴ですかね。そういう意識が貫徹していない点で島国であるにも関わらず日本は「海洋国家」ではないかも、とかね。国家レベルの意識の中で、「相互補助」が「相互保障」という考え方になるのは第二次大戦で大日本帝国憲法国家が滅亡してからで、巨大海軍を持っているにも関わらず日本指導部の考え方は(海軍主流派も含めて)大陸国家のそれに等しい気がします。

 日本海軍が求めて保持していた軍艦って日本近海での邀撃する為のもので、航路を守るという意識が薄いのですよね。居住性を低くして戦う事に特化したがるところなんか特に。これは江戸時代まで鎖国して海外から資源を輸入しなくても自給自足で生きてこれたから、それが開国したところで根本的に変わる事はなく、工業国として存立する為には国内資源だけでは不足で、どうしたって海外から輸入しなければならない、つまり他者の存在がなければ自分たちが生きていけないという状況に当時の日本国民がどれだけ自覚していたか?って事なんですけれども、たぶん一部を除いて実感していないと思うし、現在でも戦争に巻き込まれる事を恐れて、自国の安全だけを求める言説がTwitterでも多く見られる事からして、「相互補助」が「相互保障」になるという考え方を理解していないと思うのですよ。経済成長期の反映が輸出によって支えられていたという経験は、たぶん欠落しているのだと思う。

 海洋国家ならば線と点で、その交通の安全が保障されればOKと考えますが、領域国家の場合、縦深を欲し反撃空間の確保を重視します。大日本帝国はこの縦深確保の考え方で西太平洋を面で捉えていたように思えるのですよ。だから本来担当海域が異なり利害が対立する筈のない英国や米国を仮想敵と考えている節があったと。このあたりが錯誤で自分たちの軍艦の材料やら武器弾薬の資材やら燃料やら、ほぼ全て海外から輸入しているのに、その事実を忘れているかのような振る舞いなんですよねー。

 なんでこんな考え方なんだろうと思うと、自給自足の江戸時代の肌感覚が抜け切れていないと、つまり「巨大な島国」であったが為に海洋国家でなくてよかった時代の記憶が遺伝子レベルで刻まれているからなのかなーっと思ったりします。

 お、てけとーな話を書いたら埋まった。よしよし・・・