pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

二日連続でネタがなーい

 まぁ読み終わっていないからですよ、若狭武田氏の本が。昨夜は戦国末期、当主が夭折してしまい、次期当主は幼く隣国の朝倉に人質&有力な配下武将に育成する為、連れ去られてしまい(まるで家康少年期)、自己権力拡大を目論んで家臣団よりスカンをくらった幼主の叔父が朝倉方、それ以外が信長方に別れて対立する形勢に。

 当初は信長方が劣勢でしたし、支援もなく孤立していた存在ですが、よっぽど朝倉方に不信感を持っていたらしく頑強に抵抗。結局武田信玄の死により甲斐武田軍が西上せず、これにより行動の自由を得た信長主力が朝倉、次いで浅井を滅ぼす事によって形勢逆転となるのですが、朝倉軍が信長領国に対して積極的に攻勢に出なかった一因として、若狭における武田旧臣の敵対行動があったようです。

 そういえば幕府軍として織田信長が主力となって行った若狭武藤氏攻め。若狭の大半は幕府方で、それに敵対するのは僅かな朝倉派だったらしいので、それに三万とも言われる大軍を動員しているのは、やはり朝倉を主敵にした行動であると、当時の京の人間は考えたらしいです。庇護していた足利義昭に力不足故に見限られて、信長に功名を取られたと考えたらしい朝倉は足利義昭の幕府に非協力的でしたから、そういう事なんでしょうねぇ。

 さて若狭武田最後の当主である元明はその間に元服しますが、幕府体制の時は若狭の旗頭として認められていたものの、足利義昭追放、越前朝倉氏滅亡に至った経緯には何も寄与しておらず、若狭に信長重臣丹羽長秀が旗頭として立つと、国人領主として認められても、その他大勢扱いになります。元家臣たちにしてみれば、利害対立のあった朝倉に取り込まれた主家の若者に従う理由はなく(信長と協力して自力で領地を守った自負もあるでしょう)、この段階では丹羽長秀の与力として軍事指揮下に入った様子なので信長直臣に近い立場・・・従属国衆みたいな感じですかね。敵対者の庇護下にあった元主よれも信長重臣に従う方が、より権力者に近しい立場になるもんねぇ。

 この武田元明、夢よもう一度で本能寺の変を起こした明智光秀に協力した事で破滅してしまいますが、若狭武田氏、財政状況とこまで読みましたけれども、財政基盤に貧弱というか、泥縄というか、あがりをかすめ取っているような感じで、そういうとこが頼りにならない印象ですね。戦国初期の丹後一色氏攻めに成功していたら状況も好転したかも知れませんが、それさえも細川氏の助力がなければ攻めきれず、この細川氏援軍が細川政元がもっとも頼みとする武力だったせいで、養子澄之を担いだ家臣団にクーデターされ暗殺が成功してしまった事を考えると、若狭武田氏はその非力故に歴史を動かしたのかも、とか思ったり。

 その本、まだ家臣団の解説があるんですよ。楽しいけれどもねー。