pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

疲れすぎると眠れない

 土曜日に静岡をそぞろ歩きして夜飲みをし、最近とんとしていなかった終電近くので電車で帰宅という事をやったのです。当然、泥のように日曜日は眠り続けると思っていたのですが・・・早朝四時に一度目覚めた挙句、悶々と眠っているのだか寝ていないんだから良く解らない状態が三時間ほど過ぎて・・・もういいわい!!って七時に起きました。だから日曜日はいつも以上に夢うつつな感じ。昼飯食べてからは特に二時間ぐらい眠ったり起きたりの状態を行ったり来たり。おかげで読了する予定だった『若狭武田氏と家臣団』という値段に騙されて(オイ)購入したハードカバー本は今日以降にお預けです。日曜晩飯のビリヤニも、本来はちょいと深めの鍋でこさえる筈なのに、いつもスパイスカレーやらパスタやらをこさえている大きめのフライパイでつくってしもたしな。

 静岡という町は団体旅行で去年立ち寄った事を除けば初めてでした。個人的に名古屋における熱田神宮立ち位置と思っている浅間神社駿府城跡。これが徒歩圏内でいける距離なんですよね。もう一つ明治期に徳川慶喜が生活していた浮月楼も都心・・・なんなら静岡駅前にあるので、非常にコンパクトに観光名所が回れる印象。なんなら久能山東照宮も市内に含まれているので、やろうと思えば駆け足だけれど一日で主要な観光地は回れそう・・・バスの時間がタイトになるだろうけれども。

 当たり前なんですが家康晩年の地なので家康絡みの観光地が多いのですが、そんな中、『今川氏親生誕550年』みたいな幟を見つけて、ちょっとほっこりしました。どうも今川義元桶狭間横死の印象で『無様』みたいな蔑視対象だった戦国期今川家ですけれども、支配システムの先進性が明らかになったり、義元の再評価が高まったりとポジティブな印象に近年、歴史研究者、歴史オタクの間では改まっています。それが一般認識にもなってきているのでしょうか?今川氏親は伊勢宗瑞(北条早雲)に補佐されて波乱の前半生と戦国大名として確立する後半生。周辺の人々も前述の伊勢宗瑞、母親の北川殿、正妻寿桂尼と結構注目すべき人々がいるし、ご本人も西は三河から東は武蔵まで、当時の戦国大名としては広範囲に活動していますからね。あと法律も編纂させているな。これは最晩年で彼が病気がちになったから作られたらしいですけれども。もっと注目されて欲しいです、今川氏親

 その絡みぢゃないけど『ど家』。こんなに大岡弥四郎が注目された大河がかつてあっただろうか?けれどもこの後長篠から信康切腹、築山殿殺害につなぐ為には避けては通れぬエピソードであり、『犬のように忠実』と江戸初期につくられた三河武士のイメージを否定する、まさに生き残る為に裏切りも選択肢の一つという戦国期の価値観を体現したエピソードな訳で・・・こういう脚本を書いてくれる、演出してくれる大河が描かれるようになったんだなぁ、と感慨深いです。

 本の感想とかなくても千字埋まるもんなんだな(あ