pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

読み終わった本は・・・ある事はあります。

 しかし、まぁ、感想を書くほどでもないかなーっと、面白かったけど。

 んで他にはっていうたら、石田三成の論集が手元にありますが、読み終わったのは半分程度だし、深淵オンリーコン用のシナリオに昨夜多少手を加えた程度だし、二十日は一部お客さんの締め日だし、配達しなきゃならない荷物が溜まっているし、つまり、ええっと忙しかった、と。

 んでまぁ、先日から一夜一話みたいな感じで見始めているのが、コレ。

 

  『愛』がテーマだけに、重い、煮え切らない、歯がゆい。そんな気持ちで三章まで見ました。『白色彗星帝国』→ガトランティスになっており、彼らの成り立ち、生態もちょろりと語られていますネ。そして同盟関係の地球、ガミラスも何やらきな臭い。ヤマトに恩義を抱いているもの、排除を目論むもの、なかなか複雑な感じです。まだ半分見ていませんね。七章まであるから。まぁ三章は古代と雪の関係で少しほっこりしましたよ。いいなぁ・・・

 今夜も見れたら見まする。

『雑魚がゴミのようだ』

 と、土曜日のダークソウルTRPGキャンペーンセッションで魔術?呪術?使いの方がおっしゃったかどうかはともかく、イニシアチブをリード、範囲攻撃で雑魚にダメージを繰り返し出せるようになって、ダークソウルTRPGの戦いが変わりました。MOBは雑魚になりました。はい。相手の手番はまず回ってこない。一方的にこちらがボコるだけ。なので3~5時間のシナリオと目安が書かれていたのですが、食事に一時間みたらマジで三時間ほどで終わりましたよ、せにょーる。

 スゴイデスネー。まぁ単独で強い『強敵』と言われる中ボスみたいな存在は、さすがに一ラウンドキルはありませんが、それでも、一回も自分のキャラはエスト瓶もエストの灰瓶も使いませんでした。ま、シナリオボスも数で押すタイプだったので、ほぼ危険なシーンはなく(お一人攻撃が集中したので、ひやっとした場面はありましたが)、安定していましたね。

 次回は六月の下旬予定ですが、はてさて、次のシナリオはどうなりますやら。

 日曜日は中村公園で葉桜を見ながらの酒飲み会でした。しかし参加者の誰一人として葉っぱの桜を見分けられない。もういいでござる。飲むでござる。アタクシは例によって赤葡萄酒を一本弱飲み干し(一、二杯他の方にあげたよーな)、他の方から、ちょろちょろお酒を頂戴し、最後の方は、梅酒をストレートでかっぽかっぽしていたよーな。

 お陰で昨夜は結構ぐらぐらしていました。午前中も少し残っていた感じ。いい感じに食べ物も山分けして、記憶に残っていない下らない事をだべり続けていた気がします。はい。お昼間から飲む酒は、何故こんなにおいしいのでせう。ま、際限なく飲み続けるからヤバいのですが。今度は紅葉の季節・・・前ぐらいにやりたいですねぇ。マジの紅葉の季節になると寒いから。

 そんな感じの週末でした。

『沈黙』

 以前、マーティン・スコセッシ監督作品の『沈黙』という映画について書いたのですが、その原作を読んでみました。

 

沈黙 (新潮文庫)

沈黙 (新潮文庫)

 

  例によって図書館から借りたので、読んだのは全集版です。

 映画に比べると情報量が格段にあがりますが、映画の脚本がそれほど変更されておらず(だいたい映画化されると原作レ〇プになる確率は非常に高いのです)、ほぼ同内容。言わんとしている結末もほぼ同じでした。これはマーティン・スコセッシ監督自身が三十年近い歳月を映画化する為に費やしている成果でもあります。スポンサーの要望とか入れて肝の部分が潰されるなんて、よくある話ですし。

 あ、さて原作小説は斜め読みぐらいの感じで読んだのですが、キリスト者である遠藤周作さんがローマ・カトリック教会へ感じる違和感が、自分が感じていると似ているな、と思いました。たぶんこれは、白黒はっきり、善悪二元論にしたがる中東からヨーロッパの人々の考え方と、曖昧な定義を受け入れてしまう日本人の考え方の差である、とも思えます。

 しかし遠藤さんが活躍された時代から既に三十年以上が経過しており、最近のキリスト教会の考え方がどのようになっているのか、知らないのですが(特に知りたいとも思っていないので)、多様性を許容する考え方が増えてきているようにも感じます。同時に排他的な線引きを行う考え方も。これは、どちらがどうなのか、一概には言えません。どちらにもメリット、デメリットが存在します。多様性の許容は即ち混沌性を含みます。排他的な線引きは即ち秩序を指向します。ちょうどよい按配というものが存在するなら、それにこした事はないのですが、だいたいどちらかに寄りすぎて、人々は苦しむ事になります。

 遠藤さんは『日本人的な』キリスト者のあり方を見いだした、或いは提示したとも言います。そしてそれは案の定カトリック教会からは批判されています。ま、犠牲を称える考え方よりも、皆で苦しくとも生きていく道を選ぶ方が、良いと思うのですが、それは絶えず災害に見舞われる日本人的な刹那主義なんですかね?どうなんでしょう?

五十年以上前のアニメーション

 昨夜は久しぶりにこの映画を見ました。

 

太陽の王子 ホルスの大冒険 [Blu-ray]

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太陽の王子 ホルスの大冒険 [DVD]

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  あ、二つも貼り付けてしまった。

 四十年ぐらい前、~休み子供劇場とか銘打って、小学校が休みになると古いアニメーション作品を一時間から一時間半ぐらい午前中に放映していたのですが、そんな時に見たと思います。今回見て、それが短縮バージョンであった事を知りましたが。

 高畑勲さんの第一回監督作品だそうで、つまりWOWOWが没一年という事で高畑さんの作品の特集をやっていた、その一環ですね。

 1968年作品だそうなのでSTAFFロールは最初にされるのですが、当時・・・いや劇場版『機動戦士ガンダム』の時まで、声優と俳優では格段の差をつけられていた事をまざまざと見せつけられました。主人公ホルス役の大方斐紗子さんは最初のテロップに登場せず、最初は敵ボス役の平幹二朗さんとか、ヒルダ役の市原悦子さんとか、鍛冶屋役の東野英二郎さんとか、つまり俳優陣が占拠しているんですねー。

 そういえば『ガンダム』の時もアムロのママ役を特別出演された倍賞さんをトップにするとかなんとか・・・という噂を聞いた気がする。気のせいかな。

 この年になって改めてこの作品を見ると、結構一筋縄ではいかないなぁ、と思ったり。特にヒルダの人物像がね、孤独な生き残りで、助かるために敵方になり、その手駒として働くも、やっぱり人としての感情に揺れ動き・・・って、一直線の主人公に比べて何とまぁ、自分好みなのか!!

 それとも幼い日にこの作品を見てしまったが故に性癖が決定づけられたのではあるまいな?というぐらいヒルダのキャラクター性がストライクでしたねぇ。

 あと好きな演出は、敵ボスを追い詰めていくのに太陽の剣や、村人たちの武器による太陽の反射光の輝きを使用しているとこですかね。

 日本アニメの省エネ(予算節約)技術である静止画演出もありましたね。まぁ狼の群れが村を襲い、それを村人が迎撃するなんて、まともに手で書いたら死んぢゃうかも。冒頭、何故かホルスが狼の群れとやりあっているシーンは、凄く動いていて、やるぢゃーんと感心したのですけれども。あれは冒頭だからか?

 やっぱり、子供向けでも後ろ暗い部分が描き出されている作品の方が、オイラは好きなんですねぇ。

帰宅してから書く事にすると

 時間的な余裕が生まれて楽なんです。ええ、ブラウザゲーを仕事が始まる前、つまり入荷までにデイリーこなそうとすると時間がタイトになるのですから当たり前です。自宅の方が書きやすいし。

 しかし問題がない訳でもなく、図書館で借りた本は基本的には仕事の合間の暇つぶし・・・げふんげふんっ、なので、店においてあるのですよね。だから自宅には参照しようにも見えない。んぢゃあ持ち帰ればいいぢゃん?そうですね、その通りですねー。何の問題もないですよねー。まぁ持ち帰るのを忘れただけなんですけれども(あ

 だから著者名すらうろ憶えだから検索に時間がかかりますわよ。

 

赤銅の魔女 (紐結びの魔道師1) (紐結びの魔道師 1)

赤銅の魔女 (紐結びの魔道師1) (紐結びの魔道師 1)

 

  このシリーズは、いつか完結したら時系列順に文庫本で集めたいなぁ、とか思うのですが、まだまだ先です。今回読んだのも、たまたま図書館で見つけたのでシリーズ一冊目を読めたのですから。そして図書館の蔵書を検索してみたら、二冊目は貸し出されていて返却されていないらしいorz。まぁ自分が返却できるのも金曜日ぐらいだと思うし(仕事上の不運があれば、明日の午後に時間が取れるけど

 オーリエラントっていう世界だったかな?そこで活躍する人々の物語です。ファンタジーらしいファンタジーですね。『ゲド戦記』系かな?だいたい善と悪・・・というか善意と悪意の対決が軸になるのですが、この巻は物語の登場人物が東からの戦乱に追われて逃亡の旅を続ける中、少しづつ、供連れを増やしていくって感じですかね。そして一応の目的が設定される。

 この『紐結びの魔道師』のシリーズは初めて読んだのですが、なんかこの登場人物が混沌としている感じがいいですね。善悪はっきりしたりとか、己の行為に苦悶する主人公とかぢゃなくて。特に表題の『赤銅の魔女』がいいですね。見ず知らずの人を目的の為にあっさり殺したかと思えば、自分が焚きつけた幼馴染みが殺されると激昂して仇を即座にとるとか。何か物騒なんですけれども、ある種の一途さがあって魅力的ですね~。まぁ『ヒロイン』枠だから仕方ないか。

 運良く図書館で続きを借りられたら、2巻目『白銀の巫女』を読みたいと思います。その前に文庫化している前作を購入するかも知れないナー。

意外な史実

 ちょっと興味があったのでネ。

 

加藤清正 (織豊大名の研究2)

加藤清正 (織豊大名の研究2)

 

  加藤清正というと豊臣秀吉子飼いの武将の中では武功派と思いがちなのですが、実は彼の戦績は『賤ヶ岳の七本槍』以外は朝鮮侵攻まで目立った武勲はなく、実際に参陣した例も賤ヶ岳以外で記録が残っているのは、小牧・長久手戦のみで、しかも秀吉本陣に参加する百五十名あまりを指揮する、つまり秀吉旗本の一人。当然戦功はなし。

 こうなってくると賤ヶ岳の戦いは、本来は最前線で戦う必要性が低かった秀吉本陣の兵まで追撃戦に投入した激戦であった事が解りますね。

 それはともかく、では加藤清正は何をやって出世したのかというと、秀吉蔵入れ地という大名領内に設定された秀吉に年貢を納める領地の代官をやったり、検地をやったり、はたまた改易された大名の領地を後釜が決まるまで管理したりと、つまり吏僚、文官の役目を果たしていたという事です。のちに政敵となる石田三成と同じですね。

 そんな四千石あまりの領地しか持たないかれが一躍十九万石(領地は四十倍以上の増加である)の肥後北部の大名に抜擢された理由は、はっきりしません。考えられるのは、九州征伐前哨戦で失敗し改易された讃岐を支配していた尾藤氏の領地を受け取り、二ヶ月ほど管理していた手際を評価されたこと、同じように太閤検地に携わった武将たちのうち、彼だけが極端に領地が少なかった。また肥後の国一揆鎮圧後、改めて肥後の検地を行ったのが彼と小西行長で、事情を知っている彼らに肥後を任せたのではないか?と推測されます。

 しかし無茶苦茶な人事ですよ。百五十人しか部下、というか兵士を引率していない男に、十九万石・・・だいたい一万人の軍役を課せられるような領地を与えるなんて、まずもって支配するスタッフが存在しないというか、それを捜すところからやらなきゃならない。そして失敗すれば尾藤氏のように改易が待っている。この緊張感が加藤清正を律し、秀吉の命令に沿うように活動し、軍事行動を行うようになったのでしょう。

 朝鮮侵攻の先陣は彼と小西行長、他何人かですが、彼と小西行長平壌からは別行動をとり、加藤清正は北部から明への侵攻ルートを探せという秀吉の命令を忠実に実行し、現在の北朝鮮、中国国境付近まで侵攻しますが、小西行長は最初からムリと考えていたらしく、はかばかしい戦果を得ていません。このあたりの軋轢がのちの関ヶ原への伏線になったようです。

 あと農林業が主の肥後では朝鮮侵攻の主力武器である鉄砲、弾薬の調達が難しく、大豆を高値の釜山で売りさばいたり、小麦粉を生産してマカオ、マニラのスペイン人やポルトガル人に売り、鉛や硝石など弾薬の原料を入手していたようです。

 他にも関ヶ原戦の後、徳川の覇権確立後、豊臣秀頼徳川家康の会見では秀頼を守るように参加したとか通説ではいいますが、実は紀州徳川頼宣が彼の婿であり、婿に付き添う形で会見に参加したのが実情。つまり完全に徳川方として参加しているのですね。

 吏僚出身の彼ですが、朝鮮侵攻、関ヶ原、それに続く徳川、豊臣の並立時代と緊張感に満ちた時代を生きたために、常に臨戦態勢の領地経営をせざるを得ず、その為に領地は疲弊し、また直轄地以外の大身家臣は独立性が高く、戦時の即応性は高くとも当主の命令が貫徹しがたい状況であったようで、彼の死後、ついに徳川家光の代替わりを契機に加藤清正を祖とする大名家は、領内の疲弊を理由に改易されます。

 統治畑から立身した彼が戦時体制からの転換を図れなかった・・・まぁ、彼が死んだ後の事ですから何ともできなかったようですが、幼い後継者しか立てられなかった事が原因かも知れません。

自宅2回目

 いつも朝のうちに書いている日記を帰宅してから書くのは、なんか変な感じ。まぁしばらくこれで行ってみます。明日はもう変えているかも知れないけれども。

 

鳥居強右衛門:語り継がれる武士の魂 (中世から近世へ)

鳥居強右衛門:語り継がれる武士の魂 (中世から近世へ)

 

  読んだのはGW中でしたが、何か書くのを後回しにしていました。割と戦時中までは有名なエピソードで、長篠の戦いの前哨戦、籠城を続ける長篠城から徳川家康へ援軍要請に向かった下級武士の鳥居強右衛門。役目を終えて帰還するも途中で攻囲側の武田勢に捕らえられ、援軍はこないと城内へ言え、と言われたけれども、それに従わず殺されたという人物。

 その様子が強烈な印象を与えたらしく、子孫ではなく、それを見た、あるいは伝え聞いた武士が指物の絵柄につかったというのが、表紙にとられた磔にされた男の絵。

 どうも物語性が付与されて後世に伝えられ、江戸後期には武士の誉れになり、そのまま明治、戦中まで引きづったようです。戦時中の映画にも撮られたようですが、あんまり興行成績は芳しくなかったようです。もう戦争も随分続き、勝利どころか終結の目処も立たず、戦意高揚とかに国民がうんざりしていた様子がわかります。

 そういえば神風特攻も戦争継続を国民に強制する為のプロパガンダが最初でしたねー。そんな内容の本です。

 

 

 

  アタクシが購入したのは角川文庫版です。

 実を言うと、あたしゃFate世界の価値観に、もにょっている人間なんです。なんかねー、奈須きのこさんの価値観とか世界観が、もにょりの原因だと思うのですよねー。英霊のギルガメッシュがなんで強いのか、納得していないし、古い原初最強という設定も好きになれない(進歩の概念を否定しているのが好みぢゃない)。それならアレキサンドロス二世が最強でいいぢゃん、とか思うのですが(古いし、現代に至るまでヨーロッパから中東、もしかしたらインドまで伝承が伝わる超有名人)、彼が強いとかあんまり聞きませんね。まぁ所詮好みの問題だし、どーでもいいのですが。

 しかし謎解き話が主体なら話は別で興味を持っていたのです。んが、同人誌で集める気はなかった。もっと手軽に読みたかったのです(幼女戦記もそう思っていたけど、こっちは読みたい欲求に勝てず、文庫版を待たなかった・・・)

 という訳で購入して読みました。ふーん・・・なるほど。んで、あ、そうなんだ。ま、どうでもいいんだけど、それは。という訳で(どういう訳だよ)、一応欲求は満たされました。後は全巻文庫版で出てくれる事を祈るばかりです。

 ちなみに、あたしゃロード・エルメロイ二世というキャラクター、わりと好きですよ。ご本人は聖杯戦争に関わりたいようですが、あんな『戦争』なんかに関わらず後進の育成とかする方がよっぽどいいですよキミ。

 『図書館の魔女』の影響で『奥義』とか『秘儀』は詐取、詐欺の方便だと考えているアタクシですが(あ