pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

気圧のせいなの?

 肩こりと花粉症による鼻づまりの為に寝不足が原因で頭痛が痛いのかと思っていたけれど、気圧のせいで頭痛がするというtweetを見ると、それなのかね?とか思ったりもしますた。んが、土日は高気圧に覆われていたよな、日本列島。低気圧だと頭痛くなるとかでないのかね。高山病とかはそれが原因だよね。

 ま、ちゃんと調べた訳ではないので原因は不明ですが、酒飲むと楽になるって、そりゃアルコールで麻痺っているだけだしナ。最近は酒を飲む日を絞っております。なので思い立ったら葡萄酒を購入しているから、部屋に溜まってきた・・・いや、先日見たTVでサーモンなどの刺身に辛口のロゼが合うって言われたら試さずにはいられないでしょう?スーパーで探したら辛口と明記したロゼがなかったので、カルディで見つめたオレンジ色(透明なので白葡萄酒がオレンジがかっている感じ)の葡萄酒を試すつもりデス。

 さて、読んだもの。

 

イラストでまなぶ! 用兵思想入門 近世・近代編

イラストでまなぶ! 用兵思想入門 近世・近代編

  • 作者:田村尚也
  • 発売日: 2021/03/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

  今までこの手の分野は、実際の戦例、戦訓を読むことが多かったので、『戦争』に関して普遍的な何かを探るという試みは、あんまり意味がないのではないかと思っていました。地形、気候、彼我の練度、装備様々な要因は多種多様にあり、教科書的な答えは存在しないのではないかなぁ、と。しかしそれでは士官学校等で士官候補生やら下士官の人たちが基本的に抑えておく事柄もないという事になり、それはないよな、と思って購入して見ました。イラストだと絶対に図をつけて説明してくれるから、解り易いだろうと思ったので。ここからもう一歩進もうと思ったら、同じ著者の方がハードカバーで書いてみえるしね。

 ナポレオン戦争期に活躍したジェミニが「戦争にも不変の勝利パターンがある」と主張したのに対し、同じ時期にプロイセン王国で活躍したクラウゼヴィッツは「戦場は霧の中だ(予測不能だ)」と主張しており、現在はジェミニクラウゼヴィッツのいいとこどりをしているようです。つまり勝ち確状況はあるけれども、そこへ確実に達成する方程式はないっという。そのクラウゼヴィッツの教え忠実に、大枠の戦略目標、戦術目標を設定して、そこへいたる経緯については現場指揮官に任せたプロイセンの大モルトケは一連のドイツ統一戦争を勝利に導き、彼の後任で二正面作戦を避けようとしたシェリーフェンは細部まで作戦を決め過ぎて、想定外の事態に現場が対処できず失敗しました(実際に失敗した時にはシェリーフェンは退任していて、皮肉にも大モルトケの甥である小モルトケ参謀総長職につき、失敗の責任をとった)。

 何事にも匙加減というのは必要だよねー、という話?この本は第二次大戦までの事を述べており、次に出るのが現代編(というか大戦後の話)らしいです。そのあたりをまとめた本はまだ読んだ事がないので楽しみですねぇ。

A列車をやり始めた~

 久しぶりに『A列車でいこう』シリーズのゲームを購入、プレイし始めました。

 

A列車で行こう はじまる観光計画 -Switch

A列車で行こう はじまる観光計画 -Switch

  • 発売日: 2021/03/12
  • メディア: Video Game
 

  実況動画を見る限り、よくクラッシュしているようなので躊躇していましたが、箱庭街づくりゲーが好きなので、Switchでできる箱庭育成ゲーで、これが一番好みに合うかなぁ、とポチッとナ、してしまいました。昨夜から開始していますが、チュートリアルシナリオは途中からやる事がなくなり、早送りを眺めているだけに・・・まぁ迂闊に路線を伸ばしても、外部都市と観光地を結ばないと人の流れが発生しにくい事を、多額の資金を浪費してトンネル路線を開設して確認しました。チュートリアルだから売り上げとかシナリオクリアに含まれておらず、ヨカッタ、てな感じですね。

 帰宅したら続きをやっていきマス。

 他にもね、『ギレンの野望 アクシズの脅威V』の動画を見て、こんなやりかたなら楽に連邦第一部クリアできるやーん、とか、あ、このやり方なら引きこもって無双兵器開発までもっていけるわー、とか思ったらやりたくなりましてね。PS2版しか持っていないから父親が居間から撤収しないとできませんので(居間のTV画面が必要なんや)、九時半過ぎからやってました。シュミレーションゲームは辞め時を見極めるのが困難・・・それを見誤ると、ズルズルとプレイし続けて、こんな時間?になります。花粉症で鼻が詰まっている事も合わせて寝不足気味です。自分よりも二十歳ほど若い知り合いがくも膜下出血で緊急搬送されて、まぁ一命をとりとめてリハビリも順調で、退院も決まったようですが、飲む酒の種類は違えど、結構な頻度で飲む方で、その方と自分の違いって、年齢と睡眠時間くらい?食生活は・・・どーなんぢゃろ。あ、真剣に考えたら似ている事の方が少ないわ。とはいえ、睡眠不足をよろしくないし、くも膜下出血なんぞしたら何もかもがストップしてしまいますからの。リハビリで立ち直れるとは限らないのだし。自分も気をつけないとね。節制、大事。

 とか言いながらね。今日明日は週末ぢゃーん。どうやって飲もうかって、そればっかり考えていますな。まぁええねん。この週末は何も予定を入れてないから惰眠を貪るねん。

 まだ五十字不足か。

 あ、今読んでいる本、面白いです。読み終わったら感想を書きますが、ちょいちょい攻撃的な文言が出てきてうっとおしいな、そういうのは学会とかの内輪でやってくれんかな。一般書籍でそういう事を読むの、自分は好きぢゃないんだよな。あ、論文で書くのはより論外か。論文だけにナ(寒くなったぢゃろう?

読んだというよりも

 興味のあるところを拾い読みって感じですかね。

 

沈まぬ太陽(一~五) 合本版

沈まぬ太陽(一~五) 合本版

 

  読んだのは図書館にあった山崎豊子さんの全集に収録されたバージョンです。ハードカバーで三分冊ですが、最初の一冊目からツラくて、盟友の裏切りあたりから、ああ、分断して統治せよ、に引っかかたんだなぁ、とか、拾い読みしたところで、半官半民で監査で手心を加えられるとか、株主総会を総会屋(この言葉も最近聞きませんね。死語になっているならいいけれど)に頼んで無風にしちゃうとか、乱脈な利権あさりの経営、社員を階層化し、労働力を搾取する、とか上層部の安全に関する無関心とか、何というか、日〇航空をネタにした架空の航空会社の話なんですけれども、著者の不信感というか反感がベースにある話だよなぁ、と思いました。

 御巣鷹山の墜落事件は当時中学生だったので覚えていて、なるほど100%の安全などないんだな、当たり前か、という感想と、墜落事故で四人の方が生き延びた奇跡にびっくりした記憶があります。一人が自分と同じ中学生だったから余計に印象的でしたね。

 読み続けられなかったのは主人公が会社に属する事へのこだわりを共有できなかった事ですかね。ここまで排斥され、左遷人事を受け続け、家庭も崩壊しそうになっているのに、それでも会社を辞めなかったメンタリティが今時ではないな、と。そしてその辛抱強さというものに経営陣が寄りかかって甘えてきたから、悲惨な現場であり続けたという事で、これは現在でも教育現場とかでありますよね。現場の個人的努力が持ち出しになっていても、企業努力達成の為に当たり前と考えている。『働き甲斐』というものは働く本人が考える事で、よそから言われる筋合いの事ではないし精神論だけで鼓舞しようとしている時点で現場に甘えているんですよね。

 『魚は頭から腐る』というのは構成人数が少ないから、利権共有関係を構築しやすく、相互批判をする可能性が低くなり、利権を得られるなら危機意識も低くなるって事もあるのかも知れません。現場が腐敗しないとは言わないけれども、腐敗する余裕さえなくなる場合もある。弱い立場の者に全ての矛盾を押し付けて、臭いものに蓋をして、という体質は物語当時1960年代~80年代と現在でも変わらない不変の宿痾なのでしょう。

 にしてもこの物語の政治家や高級官僚、大多数の財界人があまりにもテンプレで、利権に捕らわれ、政治家がいかに信用ならないかと描かれており、そして1980~90年代の漫画とかもそんな感じで社会の闇を描いていたなぁとか思い出し、ああ、そういう時代だったのねぇ、と振り返ってみたり。

 映画は知りませんが、WOWOWのドラマは原作小説よりも多少救いのあるエンディングでしたよ。少しばかり留飲が下がるという類でしかないのですけれども。

 自分は救いのない展開の物語も結構読めると思っていたのですが、アレですね。それは登場人物に感情移入できたから、なんでしょうね。自分の親世代より少し上のメンタリティに、どちらかというと否定的だから(オタクを社会が日陰者扱いしていた時代を見てきているので、そういう時の社会の主体が、彼らだったせいなのかも)余計にそう思うのかも知れませんねぇ。

シュミレーションゲーは時間泥棒

 というか、ゲームはすべからく時間泥棒なのですが、動画で簡単最速で『ギレンの野望』の連邦編第一部をクリアしているのを見つけてしまって、自分でも試したくなって午後十時半から始めたら止まらなくなり(動画はPCプレイでしたが、自分はPS2版なので動画のように早くはできませんでした)、イベント選択ミスして本部を襲撃されたところで詰みになったのでセーブもせずに辞めましたが、あ、十二時過ぎてる・・・

 今朝、同じ動画主が第二部以降の簡単最速クリア動画をあげているのを発見したので、今度は時間に余裕がある時にやりたいなぁ、と。睡眠時間が五時間前後だと、眠たくて仕方ないのです。そうでなくても『春眠暁を覚えず』なのに、眠気がヤバ過ぎて運転中とか、すげえ危険ですからナ(昨日もな

 そんな感じなので読み終えたものはない・・・事もないか。これです。

 

  巻末に同人誌版の宣伝がついている商業誌なんて初めて見ました。これ、最近はアリなの?

 三十年ぐらい前、自分が同人誌の世界に入った頃は「趣味のもの」という意味合いが強く、その頃流行っていたものは、「ヤマなしオチなしイミなし」でヤオイ本でした。死語だな。ヤオイ=BLっていうのも、今書くまで忘れていたし。あ、自分はそういうのは買いあさっていませんでした。なんかね、エロでも後ろ向きの、愛情表現とかそうぢゃなくて、鬱屈したエネルギーを性にぶつけているようなものを読んでいました。屈折した青少年だったので。後は絵柄で購入していましてね。時々内藤泰弘さんのような正面から清々しくぶつかってくるものとか読んで、ほっこりしていましたけど。

 購入するものはプロ志向のものが多かったけれども、しかし商業誌ではぶつけられないリビドーみたいなものが感じられて、自分は商業誌とは別ジャンルと解釈していましたね。

 ところが最近は同人で売れた人、作品を商業に取り込んでいくケースも多くて、コレもその一つ。発端は作者が週一で自分好みの可愛い女の子イラストを上げていたものでしたが、次第にそれが評判になり、一コマ漫画のようなイラストがたまって同人誌になり、短編アニメにもなっていましたね。そして商業誌ですよ。

 内容的には作者の好みが爆裂している、たわいのないラブコメなんですが、まぁこういうスタイルはアレでも、なんだか和む内容をぼんやり見たくなるっていうのは、自分も疲れているのかねー・・・疲れるような事は何もしていないな。花粉症で鼻づまりが酷くて、安眠とりづらいから、にしておくかな。はい。

好奇心で読み始めたけれど

 WOWOWで2016年に放映されたドラマ『沈まぬ太陽』をちょろりと見たので気になって、原作小説を借りて読んでいるのですが、これが、ツライ。

 冒頭が巨大組織が属している個人の人生を全力で潰しにかかっているエピソードで、そもそもの理由も主人公が自発的に始めた事ではなく、上司というか上の世代に無理やり押し付けられたようなものであり、やるからには誠実にやらなければと取り組んだら、今度はその上司を含めて幹部から総睨みになり、社会的な抹殺まで視野に入っているような展開が進められていくという・・・しかも盟友は裏切るし。

 文章的には読みやすくて解り易いだけになお辛い。

 あと、こういう人っているよなーっていう人間の狡さとか汚さというか、上世代の問答無用の押し付けとか、ああ、こういうエピソードを大なり小なり体感すると、人間なんてろくでもないな、とか思えてしまうのです。どこかにほっこりするエピソードはないかと探しても無駄なので、息抜きに『よつばと!』読みましたよ。はぁ、救われる。

 この手の小説には話が判る存在で力を持っている奴は、だいたい裏があると相場が決まっているみたいです。今のところ爽快感のある奴は登場していません。もしかしたらそうなるかも、という奴はいますが、大抵無力です。たぶん意図的でしょうが、政治家や高級官僚、財界幹部という肩書の存在に反感を持つようにできています。

 解っていたけど、うう、救いがないエピソードが続くという事が、ここまで予想できるとは・・・たぶん、登場人物に感情移入ができれば良かったのでしょうが、やはりねぇ、厄介ごとを押し付けられる過程が・・・自分なら「やりたくないものを本人の承諾なしに、就任したと公表するのは詐欺ではないか!!」とあくまで突っぱねますね。そこから修羅場とかなら受け入れる事ができたのかも知れないけれども、それを受け入れてしまうのが、どうにも。

 舞台となっている1960~70年代や作品が発表された1990年代のメンタリティなら「上世代の無理強いに逆らっても無駄」というのは広範囲に同情されるのでしょうが、それでも、その時代でも自分は「イヤだ」を貫いたかも知れません。無理強いで請け負った事がうまくいった試しはないし、やるからには絶対的な協力を要求しますね。それが請け負えない人間は、厄介ごとを押し付けるだけの無責任な人間ですから、信用する事も、そもそも交際する値打ちすらない。だいたい無理強いを仕掛けてくる人間が日本を敗北に導いた原因の一つだと思っていますからね。上の世代の甘い言葉なんて、裏が取れなければ信じてはいけません。世代マウントで思い通りにしようとしてくる奴なんて、無思考の頼りにならない存在ですから。

 ああ、ネタがないからって、こんな事書いてはいかんよねぇ・・・

張り子の国家

 土曜日はボドゲをして、日曜日は読書とゲームと転寝をしていました。お気楽だね。そして日曜日に読み終えた本がコレです。

 

  先日この著者の方の本を読んだ時、他の研究者への攻撃とか、恨みつらみがパラパラとみられて(個人的な印象です)、研究姿勢は真摯なのに、この読むのに苦労する本はなんぢゃと思ったものですが、今回の本はご専門でない事もあって、そういう攻撃的な面がなりを潜めていまして読みやすかったです。ま、内容がアレと言えばアレなのですが。

 しかしぼんやり感じていた事の答えを教えてもらったような気分です。古代日本の律令国家は額面通りならば、膨大な官僚を必要とする筈なのに、漢籍に、つまり漢文を自在に操り、教養をある程度持つ人材が、学校機関も存在せず、それらを学習する伝統すら根付いていない時代に、富国強兵の手段として制度だけ導入したところで身につくはずがない。それも支配人口が日本(というよりも畿内以西ではないかと疑っている)の十倍いるだろう中国王朝の制度をそのまま移植したところで、不要な部分が発生するのは目に見えています。スカスカなんですよね。

 だから中国王朝の首都を形だけ真似た平城京とか平安京がスカスカになるのは当たり前で、外交的な虚勢を保つためだけの外見を、維持する必要もなくなったら、そりゃあまぁ住む人の利便性を優先する形に変形していくのは当たり前ですよね。計画都市の脆弱性という奴。

 現代でも京都という都市には、なんかそんなところを感じる時があります。計画都市の脆弱性はなくなっても、虚飾性というものが付きまとっている気がします。人が集まっているから物価が高いという論法は、大阪府京都府ではスーパーの販売価格が異なる、大阪府の方が安いという話を聞くと、無関係ではないかと思えます。他にも京都というブランドが付与される事によって商品価格が高くなるという事も。うちの隣の方が京都の業者に売った商品を、ご自分のお得意さん(東海地方)が「ええもん買った」と自慢した時には、なんといって解らなかった、とか言う話も聞きます。

 盆地故に夏は暑く、冬は寒いという気候もありますし、河川の氾濫という面でも決して住みやすい環境とは言えないと思うのですが、古くからの首都というても江戸幕府に開かれてからは首都機能も喪失している筈です。

 地方に出た貴族は都への郷愁を再生産するように義務付けられているのではないか?という疑問もありましたね。

 平安京、京都が存続し存在している意味という考える上で、興味深い内容でした。

読み終えたものがないのでネタに困るなり

 一応、今日の午前中に図書館に行くつもりですけれども、先日調子に乗って読み終えた小説本の感想を全部書いてしまいましたから、ネタないなーっと。

 んで思い出したのが、NHK庵野秀明さんに四年間取材したという例の番組。本放送は見逃し、再放送の予定も見当たらなかったので、まぁいいかー、と思っていたらYouTubeであげている人がいたので、消される前に見ておきました。ついでにね、岡田なんちゃらさんの「NHKはドキュメンタリーをつくっていない」というYouTubeも見ましたが、円盤派の自分は「シン・エヴァンゲリオン」を円盤で見るつもりでして、それを見た後の感想で書こうとは思っていましたが、まぁネタがないから書いてしまえ、と。

 自分としてはエヴァンゲリオンに対して、ガンダムボトムズやカウボーイ・ビバップに対するような気持ちは持ち合わせていません。登場人物の痛々しさに共感は覚えるものの、物語として自分が好きとか、唸るとか、ヤラレタとか感じる面がそれほどないので。だいたい想像する展開をなぞっているよなー、と。だから演出には興味は持つけれども、そこまでからな。押さえておきたいとは思うし、円盤も買うけど、見終わった後泣く、とかはどうかな?と懐疑的。

 なので庵野監督の手法とかも「へー、そうなんだ。つきあう方は大変だなぁ。大変だけど、やりたいことをさせてくれる現場だから、スタッフは参加するんだろうなぁ」とかぐらい?そのあたりはかつて『オネアミスの翼』で一緒に仕事した岡田さんなんかが「それはヤマガがやっただろ」みたいな突っ込みを入れているのをみると、ご自分が経験したもの、見た事があるもの、それら全てを総動員して、見た事がない映像として構築していく、というのが正しい解釈なのかな、とも思います。

 最近「天才」という言葉に懐疑的でありまして、そういう言葉でくくられる作品、物事でも思考や手順を追っていけば、それを造りだした人、組織の過去の経験や知識が昇華したものであると理解できる訳で、発想力の評価であって、ある日突然スバラシイものができあがる訳ではないということ。

 庵野さんにしてもそうで、実際の製作にかかった四年間やそれ以前の前作が完成した瞬間からの月日に経験したこと、思考したこと、それら全てが反映されている訳で、ある日、ぽっとできた訳ではない。それが「天才」という言葉を使った途端に安易なものになってしまう感じがして、好きになれないのです。

 ま、解り易いイメージですからね、「天才」って。でもその言葉を使用するのは文章表現者の逃げのような気もする。イメージに語らせて具体的な描写や表現をしなくても、それがスゴいと思わせる事ができるから。でも「天才」的なものが何かなんて演出で語るしかない。突き詰めて考えれば、日下に新しい事などなく、それを感心させるのは演出の出来しかないのだから。

 そういう事ををしっぺ返しする為に、庵野さんは『プロフェッショナル』の取材を受けたのかな。そして「番宣」と庵野さんが言ったとおり、番組スタッフは庵野さんという人物の表層だけをなぞった作品を放送した訳であり、話ができていたのでなければ、スタッフは「してやられた」とも言える訳で、なんかそういう考察も面白いな、と思ったりしたり。

 ああ、シン・エヴァの感想とともに書きたかった事は書ききってしまたわ。