pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

月末の購入品

 まとめて購入したので、まとめて感想、みたいな。

 

 著者がお亡くなりになり、アシスタントさんたちと生前交友がありお互いの作品の展望を話し合っていた方が、残された資料とか何とかから作品の今後を再構築していく、という作業で『ベルセルク』を完結させようという試み。ついに単行本にまでなりましたか。

 考えてみればこの作品、自分が高校生の頃から続いていないかい?過酷で救いようのない物語ですが、最初二巻ぐらいで止まって、ま、こういう話の続編は難しいかなぁ、とか思っていました。その後続刊が出て、あ、やる気なんだ。んぢゃあ買おうかな、と言って現在に至ると。ここまでくると完結させられるのか?という方向だけに興味が向いている感じ。この巻の内容も、せっかく前向きに物語が再始動しかけたのに、奈落に叩きこみやがって!!みたいな?

 しかしこの物語、超常の力に踊らされて破滅していく人間模様でもあり、その超常の力に頼っている限りガッツは勝てないのでは?とか思わせる巻でもありました。だってガッツに好意的な超常勢力って、非力というかそんな感じだし、グリフィス側が襲来した途端、裏返るというか、ひっくり返るというか・・・

 それよりも心砕かれたガッツだよ。ここまで打ちのめされたのは初めてかも。再起する為の物語は用意されていますよね?

 

 あ、こういうの好きなんです。登場人物は全員善人とは言えない。けれども義理とか人情とかは何処か残している。そういう人たちがヒイヒイいいながら頑張る話とか、好き。組み合わせもいいですね。凄腕の美青年と得体の知れない口先だけで生き抜いてきたような小太りの男。彼らが地獄のスターリングラード攻防戦の中を生きていく・・・

 あと、彼らが属している共同体みたいなとこも、割と好きです。戦争で何もかも失った人々が生き抜くために犯罪でも構わず手を染めていく。最初は生き抜く為だけだったのに、首領が次第に疑心暗鬼、恣意的に行動をし始めて最悪な独裁になって、でも本人は自分と共同の為と信じてやまずに逆らう者だけでなく、疑わしい者まで首吊りに処していく・・・これが独裁者心理なんでしょうね。自分、政治的な団体特有なものと思ってましたが、身近なとこ、つまり対して規模が大きくない会社とかでもそういう状況というのがあって、中国歴史物語で出てくるような典型的な暗君と佞人が、まさか現実社会でもあるなんて!!って話、聞いたりもしましたからね。

 世の中って面白いなぁ・・・って面白がっちゃいかんのだけど。

さっむ!!

 涼しいを通り越しましたね。タオルケットかぶって寝ていましたが、寒さで目が覚めましたよ。今夜は毛布を出すべか。季節がいきなり変わるのは、ちょいと困りまするよ。明日あたりから長袖にした方がいいかしらん。

 とまぁ、そんな気候の変化が激しいってとこから、こんな本の話。

 

 主にインド以東の東、東南アジアにおいて、天変地異がどうのようにとらえられてきたのか?という一般書だそうです・・・そうか、これ、一般向き・・・そうだよな。論文じゃないもん。

 中国において洪水とか飢饉とか、そういう天災が君主への譴責であるって話は聞いた事があるのですけれども、仏教において地震が吉兆と見なされるって話は初めて知りました。仏教の世界観からすると地震は仏、菩薩の力によるもので、ありがたい・・・って、え?まぁ動産、不動産問わず財産の少ない人は地震の被害で失うものは、自身や家族の命ばかりで、それさえ助かれば、新たな人生の出発と捉える事も可能な訳で、為政者が施しとかしてくれれば、却って生活が楽になるかも知れないわけで、そういう発想だと吉兆なのかぁ、と。

 他にも地震による大被害を被る事によって独立紛争、戦争が停戦に至ったインドネシアアチェの例が挙げられていて、助け合わないと生き抜く事ができない状況になると、争い続ける事はできないって発想になる、と。転じて大陸に住んでいる人間は、天変地異にあったら被害がなかったところへ逃げればいいけれど、小さな島国だと逃れるところは、少なくとも歩いて逃げる場所はない訳で、となれば憎かろうと嫌だろうと、協力していかなければ生きていけない状況になる訳で、つまり話し合いとか妥協とか協力という発想は、島国とか狭い地域で生きていかなくてはならない人々の知恵、という事になりますかね。

 そうなると、大陸型の国に住んでいる人々が「お前は死ね。俺は生きる」的な発想になりがちというのも判らないでもない。自分やその仲間だけでも逃げられる場所があるなら、敵対する人々の事だと思いやる必要もないわけですから。

 SDGsというものは、地球環境が限られたものと理解する人と、広大な空間であると感じる人では、まったく熱意が異なるというのもうなずける訳で、たとえばロシアに住んでいる人は人口密度がそもそも低いので、環境汚染をしても他に住む場所がたくさんあるから、環境改善するよりも移住すればいいって考えてしまうし、個人レベルならそれで問題などない訳です。

 「助け合い」とか「思いやり」っていうのも、きれいごとの裏側に、そうしないと生き抜けない過酷な環境がある、という事を想像しないと、上っ面な言葉だけになってしまうのかも知れませんね。

 

アンファル最終回

 録画できてなかたorz。なので今週水曜日のBSフジで放送されるのに賭けます。んもう。しかし土曜日深夜は土砂降りが降っていましたからな、自宅近辺。何せ雨音で目覚めましたもん。風雨が激しいとうちのアンテナ、ちゃんと受信しない事あるから不安だったけど、確認したら案の定でした。RRRは大丈夫だろうな?

 金曜ロードショー枠で放送された『葬送のフリーレン』初回は、良かったです。漫画版の静止場面の単調さを感じる事があまりなかったです(あ

 旅の大目的が決定されるまでを初回でやったから一時間四十五分ぐらいになりましたかね。あとから確認したら二巻の初めまでやっていましたね。前衛が参戦するところまでやるかなぁ、と思っていましたが、亡き仲間の魂に会いに行く物語だったんだなぁ・・・忘れてた(あ

 これから毎週金曜日深夜に録画して、漫画版とどう演出が違うのか、それを比べるのが楽しみです。

 『ど家』・・・まだ徳川移封前の江戸、評価低くしちゃうのね。北条時代から東の重要拠点であるし氏政が城主を務める事実上の二都状態だったんだけどなー。こういう家康から江戸の繁栄が始まった~って演出、何時から改まるのかな。変わらないか。

 あと、北条が関東の片隅で静かに繁栄?んなバカな!!と笑いそうになってしまいました。滅びゆくものが感じる理不尽さを共感させる為のセリフでしょうけれども、いや、いやいやいやいやいや・・・関東において圧倒的な勢力として、中小勢力相手にぶいぶい言わせていたのに、おいおい!!そんな突っ込みをしてしまた。

 秀長グッバイとか、旭も病床とか、その場面で寧々が「徳川殿が頼り」って言わせるって、なんか沈みゆく船から逃げようとしていない?その中で三成が「殿下をお停めします」って、なんか健気だな。

 三河家臣団の団結の要として、石川数正が去り、酒井忠次が病気療養中となると大久保忠世が登場となるよねぇ。本多正信だけが冷静で、そして義理堅い面を出す。過去にあんまりない演出でいいですねぇ。次週が朝鮮侵攻となると関ヶ原は十月末ですかね?

 そして読み終わったもの。

 

 十九世紀からのドイツの、主に庶民の食事情を研究したもので、単純にジャガイモ、という訳ではないのがミソ。受け入れられるまでの地道な在野知識人の啓蒙活動が必要だったとか、イタリアの食文化の影響の大きい南ドイツではジャガイモはそこまで常食されず、麦粉を使用した食品が多いとか。珈琲が食文化に浸透したのもブラジルのコーヒー豆生産量が増えて、それまでコーヒー流通を牛耳っていた国、企業の間をぬってドイツ企業が進出したからとか、それでも高級品なので代用品文化も栄えたとか、低所得者のカロリー確保優先食事事情とか、その中でも働き手の成人男子優先にいいもの食わせるとか、そのせいで子供の成育もなかなか問題とか、掘れば掘るほど色々なものが出てくるジャンルですねぇ。

 二十世紀に向かって食環境は工業化で食品保存が容易になって低コストになるにつれて改善されますが、これは国家の富国強兵の一環。つまり体格の良い、自己判断可能な兵士を欲した為でもある訳で、食育や教育が産業、軍事力育成と直結していると考えると、「無駄だから」と切り捨てていくと、取り返しのつかない事になるよねぇ、と思ったりしたりします。はい。

懐かしい

 日頃、懐かしいという感想をほとんど感じない人なのですが(だいたい忘れているか、日常の新しい事に目を奪われがちなので)、よーつべで何故か出てきたこの動画には、流石に懐かしさを感じました。


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 具島直子さんて、1995~97ぐらいに三枚のアルバムを出していて、そのアルバム三枚とも確か購入していて、CDラックに今もある・・・そんな知識を2009に発売されたベストアルバムを購入して思い出しました。メディアにほとんど出ない。当時ライブもしない、というアーティストを何故自分が知ったかというとZIP-FMの平日昼間、何曜日だから忘れましたが十五分くらいの番組を担当して見えて、当時も日中車で配達していた自分にとってFMラヂヲは配達の友でしたから、良く聞いていました。

 メロウでグルーヴィ、今聞くと少し古風な感じの曲調。優しい感じでもロマンチックでも、歌詞にドキッとする文章が含まれている事があり、そういうところが好みなのは変わらんなぁと思いました。

 今年の梅雨~九月現在は高温多湿で大変不快というか耐えがたいというか、そんな機構なのですが、自分が二十代のあの頃、梅雨とか秋雨の頃って、少しひんやりして、しっとりとしていて、シーツやら布団やらにくるまっているのがとても心地よい季節でした。具島さんの楽曲ってそんな、気だるいけれど心地よいって雰囲気がとても似合っていて、そんな当時が蘇ってくるのが、とても懐かしく思えました。

 今は徐々に季節が変化するなんて事、あんまりないからねぇ。春を感じる前に夏が、酷暑が来て、暦の上では秋だけど酷暑はまだまだ続いているという・・・色っぽい出来事でなくて、季節の事で懐かしく思うところが自分らしくてねぇ・・・

 二つぐらい自分の好きな曲を貼り付けてとこ。


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 んで購入したベストアルバムも。

 

 このアルバムさえ十四年前なので、今現在どのような活動をされているのか、調べてみないと判らないのですが、インディースアルバムを出され、ライブもされたそうなので、引きこもっていておられた90年代に比べれば、よりアグレッシブになっていらっしゃるようですね。あ、リマスターして2019年に90年代に出た三枚のアルバムが再発されているんですね。ベストアルバムも、も一つ出てる。よーつべの音源も五年前にUPされたものらしいですし、AORの再評価とともに、また楽曲を出してくれるのかなぁ・・・AOR、何の略なのか、何度説明を読んでも理解していないけれど(あ

まずは漫画の方

 昨日書けなかったものから。

 

 ようやくダンジョンから脱出できましたね。二週間滞在していたらしいですよ、彼ら。だからなのか、こういう描写は初めて見たな。年頃の青少年が異性にまったく接する事無く、サバイバルを生き抜いて、その果てにドレスアップした年頃の女性に会うと、どういう症状になるかっていう・・・そうか、そうだな。そうなるな!!

 ダンジョンものというか冒険者ものって、だいたいパーティに一人や二人女性が入っているものが多いから気づかないけれども、異性断ちした青少年がどういう症状になるのかは、想像すればそうなる訳で。いや盲点だったなぁ。

 建国神話の暗部が暴露されたアルトリア王国。さて次巻以降どうなるんでしょうかね。半年後、楽しみです。

 はい、次。

 

 

 読んでいる最中に、この二冊はセットで書いた方がいいかなぁ、と思って。

 『大奥』という女の園オスマンのハレム同様、完成された後宮って感じなんですが、もともとは上流階級の奥向き、つまり女主人が取り仕切る家政機関みたいな感じで、表の、つまり男たちの社会と対になるような形。プライベートな方向から当主一家をサポートという感じ。京文化の教養を積んだものをトレードしているっていうのも、江戸初期で上級階級ってゆーたら、公家社会ですものな。

 また武装した男たち(武士に関わらず帯刀している)から女を守る為のアジールの役割も果たしており、大奥の閉鎖性は女性を閉じ込めておく、というよりも、男が侵入してこないようにするが主眼だったようです。だって戦国期までの武士って、人殺し専科のやべー奴らで、舐められたら殺すという精神構造で、そういう連中が武装して闊歩している世の中だもの。刀狩を経たとは言え武装している連中がごろごろしている世の中。比較的非力な女性が男とトラブル起こしたとき、命の危険にさらされる例も少なくないですもんね。

 んでこれは女性目線の話で、男性目線からすると、プライベートな立場から将軍に意見する事ができる訳ですよ。日常生活で秘書とか身の回りの世話をしている人たちですから。んで将軍家と親族付き合いしている大名家とかからすれば、自分たちの要望を直接将軍に伝えてもらえる有力なコネとなる訳ですが、それで表の秩序、組織を無視されるとトラブルのもとになる。これは自分の想像ですけれども、表の組織が崩れてしまい、自分の母方親族や愛妾などを側近にして政務を行った室町十三代将軍足利義輝は、三好義継や松永久通らに攻め殺されてしまったのですけれども、奥向きの都合で将軍の命令が出されていたから不公平感から不満を抱いて御所巻き、殺害になってしまったのかなぁ、と。

 これを防ぐ為もあり、また四代将軍から八代将軍まで、養子相続とか、夭折とか、順調な父子相続ができなかった。つまり将軍姻族が権力形成ができなかった為に、大奥の統率は表の老中が行う事になったようです。一応これでプライベートな奥向きと、公式の表向きの住みわけができた、という感じ。

 主に語られているのが江戸前期までなので八代将軍以降の話は、この後継続するのかな、と思ったら著者の専門は戦国後期なので、江戸中期以降は守備範囲外という事で(そもそも幕府大奥の事もそんなに長く研究されていた訳ではなく、どちらかというと豊臣政権期が専門)、ここで一旦お開き、という事だそうです。

 オスマンのハレムもそうですが、江戸大奥も将軍の寵愛を得て男子を出産すれば、庶民でも上流階級に至れるシンデレラストーリーがあり、そうならずともキャリアアップで上層の階級に至れる数少ない経路がある組織です。表の男の世界は家柄、血筋、能力の順の評価なので、大奥ほど実力主義でもないので。

 もちろん誰でも大奥女中になれる訳ではないし、下働きはツライ労働ばかりでしょうけれども、一つの夢があった事は間違いない組織でしたね。

どうしようか

 長らく追っかけていた作品が終了しました。

 

 最終巻でタイトル回収されました。まぁ解っていた事ですが。タイミング的に『逆襲のシャア』の前の時間軸なんですが、シャアがそんなに好きではない人なので、ファンサービスなんでしょうがシャアのネオ・ジオンが出てきたところで、うーむ・・・どーしよ、という気持ちが。

 著者の方々の前作『ギレン暗殺計画』が好きだったので、その流れで購入していたのですが、作品軸が進むにつれてファンサービスが多くなってきまして、そこにもにょってくるという困った展開。ゴップとか、ヤ・・・いやいや、ヴァースキが出てきた時は、ニヤっとしましたけれども、『ギレン暗殺計画』に登場した少年兵が成長した姿で登場した時は、これに何の意味が?と勘ぐってしまいました。特に意味はなかった。単なるファンサービスだた・・・

 でもゴップは良かったですね。ゲーム『ギレンの野望』から無能な連邦の高官の代表みたいな感じでしたけど安彦さんのORIGINもそうですが、軍政家、つまり政治家としては敏腕、辣腕であるという描写があって、評価が上向きになったというのは自分としては良かったです。映画のジャブロー攻防戦あたりの発言からも、前線指揮官ではなく軍高官としての発言だけど、凄く冷静でジオン軍の狙いどころを正確に理解していますし、だぶんゴップ=無能演出の起源ってホワイトベース隊に対する「永遠に厄介者かな、あのホワイトベースは」って発言から来ているのでしょうけれども、あれも軍高官としては当たり前は感想でしょうね。正規の訓練を経ずに、民間人、それも少年兵中心に出来上がった部隊を支援し、運営する事の忸怩、他とのバランス、軋轢を考えると頭が痛い存在でしょう。どっかで全滅してくれねぇかなってのが偽らざる本音かも。

 現場からすれば、活躍して戦果もあげているんだから、認めてあげてよ、と思うけれども、組織からするとそうも行かない。レビルは現場の実績が全てって思っているから思い切った支援をするのでしょうけれども、外野や他の部隊とも相手にしなければならないゴップあたりは、そんな割り切りができない。そんな視点もだんだんできるようになったってとこですかね。

 そういう意味では楽しい漫画でしたけど・・・うーむ・・・どうしよ・・・

 って迷っているうちに千文字こえた。もう一つの作品は明日に回します。

戦国武将列伝

 ようやく読み終えました。

 

 中国地方の戦国期って、毛利元就を筆頭に油断のならない武将がひしめいているという印象なんですけれども、それだけ生き残りが激しい地方とも言えるのかも知れません。西国は瀬戸内海をメインストリートにした海外との物流経路にあたるので、そういう面でも生き馬の目を抜くって感じかも。

 だいたい中小の国衆たちの考える事は同じで、『自分の安全は保障して欲しい』『でも大国の言いなりにはなりたくない』『盟主は遠くある方がいい』みたいな感じ。なので敵対勢力が弱体、消滅すれば、それまで従っていた大国の頸木から逃れようと反旗を翻す事がままあったり。自分たちの都合が合わなくなれば乗る馬を変える事も。

 その為かなのか、どうなのか。中国地方の勢力は大内、尼子、毛利など強大化する時は早いけれども、その強大化は寄木細工、集合体って感じで、小田原北条氏のような中央集権的な機構が弱い感じ。そういう集合体という意識は最後の最期まで残り、毛利家は『カリスマ』元就の後を継いだ輝元の、決して無能ではないけれどもアレな感じもあって江戸時代も宗家は庶家の統率に苦しむという。

 あとこの本で、名前だけ、のぶやぼで知っていたという武将の詳しい経歴が知れましたね。山名理興の読み方が、『やまなただおき』で系譜は判明しませんが室町四職の一つ名門山名氏の一員だというし、一時上記の理興の出身一族と言われた杉原氏は備後の国衆だけど活躍したのは山陰伯耆で、名をあげた人(とか言いながら名前は忘れた)が山陰で活躍していた時期は、のぶやぼでも評価の高い武将になりそうでしたが、その方がなくなると跡目争いで寝返りとかもあり備後の本領は安堵されたけれども、伯耆で獲得した領地は没収されたとか。そういえば備後で勤めていた時、杉原って先輩がいたなぁ。あの時は山名理興が杉原一族って聞いていたから、神辺城主の末裔かもね、なーんて事を杉原さんに自分が言っていた覚えがある。ご本人はそういうの、興味なかったし。

 それからその頃歴史好きな年配者の方は『頼山陽先生』って、やたら江戸時代の頼山陽を持ち上げていて、たぶん『頼山陽史観』が当たり前だったんぢゃないかな。関わらないでおこ、とか思ったもんな(あ

 まぁ二十代前半の自分の知識も、のぶやぼの武将列伝がほとんどで、薄っぺらかったけれども。あ、今もそんなに詳しくはないです。歴オタの端くれってくらいのもん。

 戦国武将列伝は評伝が立てられないような武将も取り上げてくれるので楽しいです。アンファルの三巻を読み返したら、入手している関東編下にかかりますですよ。