pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

昨日までの忙しさは・・・

 何だったのか?ってぐらい、まったりです。もうちょっと平均的に仕事がこないかしら、と思うのですが、それはどなたも思う事でしょうね、はい。

 昨日の日記では読み終えられるか?とか書いてましたが、読み終えましたので書きます。

 

武田信虎 (中世武士選書42)

武田信虎 (中世武士選書42)

  • 作者:平山 優
  • 発売日: 2019/11/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

武田信虎 (中世武士選書42)

武田信虎 (中世武士選書42)

  • 作者:平山 優
  • 発売日: 2019/11/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

  言わずと知れた武田信玄が追放した実父です。同時代資料や甲陽軍鑑という軍記物には、判で押したような暴君テンプレートをつけられています。だから「性格破綻者だから追放されたんぢゃねーの?」という論者もいまして、とりあえず自分もそんな風に思っていたのですけれども、さすがに同時代資料にはそういう悪行というものは書いておらず、ただ信虎が追放された事実が甲斐国に知れ渡ると、、国中大歓喜という表現が残っていましてね。

 なんでそんなに嫌われたのかね?信玄だってやっている事は同じなのに、あっちは郷土の英傑扱いなのに、なんで?という疑問はずっと残っていました。

 端的に言うと、父祖の時代から続く武田家の内紛やら甲斐の国人領主との戦争を乗り越え(つまり敵対者を屈服させ)甲斐を本当に初めて統一したのが信虎であった事。それは同時に今まで課せられていなかった税を国人領主に課す事でもありました。現代だって消費税率あがれば皆不平不満しか言わないぢゃないですか。課税が上がって喜ぶ人はいないという事です。

 また信虎治世の時代は絶え間なく災害が、毎年のように押し寄せる時代でした。現代でも台風やら大雨やら地震やらで混乱するのに、当時ならばなおの事でしょう。それに伴い物価上昇が半端ない。今回のこの本の目玉はそこでして、記録に残っているだけの当時の甲斐国における物価指数をグラフにすると、高止まりで下がってこない。

 これは災害と同時に頻繁に行われる戦争の為に物価が上がっているのですね。当時の武田信虎は関東を二分する政治勢力のどちらかに加担し、その反対勢力との抗争を強いられています。具体的に言うと今川・北条同盟。特に北条とは和戦を頻繁に繰り返し、攻めたり攻められたりを繰り返しています。

 信玄の時代も頻繁に起こっていますが、こちらは防衛戦よりも侵略戦がほとんどで他国での略奪行為で甲斐国が富むという、戦争の産業化が行われています。信虎時代は治世末期になって甲斐を統一した事もあり対外戦争を開始できるようになりましたが、まだ配下がその旨味を覚えるほどではなく、苦役としての戦争というイメージしかありませんでした。

 つまり生活が苦しい事、全ての象徴が武田信虎個人に凝縮されてしまったようなのですね。信虎追放の時期は丁度大飢饉が起こった時であり、宿敵北条氏では代替わり徳政でその危機を乗り切ろうとしています。信虎は婿問いという当時の風習を行っている最中、婿今川義元を訪ねて行った隙に国境を封鎖されました。つまり為政者のイメージ刷新の為に信虎は貧乏くじを引かされたと。

 ただ北条家は前当主の隠居という形で新当主に見習い期間を持たせるという家風が伊勢宗瑞と北条氏綱の、つまり創成期からあるのですが、武田家は父子で争ったり、信虎父である信縄は夭折したりと、隠居による穏やかな世代交代というものがありませんでした。信虎も追放されたし、信玄も急死だし、勝頼は滅亡ですね。隠居による交代という選択肢がなかったが故の事件とも言えます。

 ちなみに信虎信玄父子の仲は「悪かったんぢゃない?」ぐらいです。意見対立はあったでしょうね。想像できるのは引退して欲しい信玄と、俺がやられば!!の信虎って対立。その後は今川家で舅として尊崇を受けたり、足利将軍の外様衆としてそれなりに高い待遇を受けたりして、足利義昭の頃までは良かったのですが、足利義昭追放の時期になると信長と信玄は対立してますからね。結構危険な思いで武田領国まで逃げ延びたらしいですけど、やっぱり世代交代の経緯が経緯なので、甲斐国の土は踏めませんでした。

 有体にいえば、がんばったけど我が強かったから戦国大名としては報われなかったって印象です。結構すっきりしました。