pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

ある意味呪い

 日本の出版業界の『呪い』で本能寺って言葉がタイトルに入ると売れるっ、みたいな『信仰』があるみたいだなぁ、と思ったりします。この本はそんな『信仰』の犠牲者・・・なのかな?

 

本能寺前夜 西国をめぐる攻防 (角川選書)

本能寺前夜 西国をめぐる攻防 (角川選書)

  • 作者:光成 準治
  • 発売日: 2020/02/26
  • メディア: 単行本
 

  このタイトルだとさぁ、『本能寺の変』直前の状況を論じていると誤解するのでは?とか思いますが、著者自身は、『本能寺の変』の直前の西国の大名たち(織田家宿老たちを含む)の状況を描き出す為に信長上洛後、つまり足利義昭政権樹立から語り始めています。事実上戦国後期の西国事情です。だから『本能寺の変』そのものへのアプローチはないです。

 では、他にどんなタイトルがいいのかって言われると、まぁ、これが一番売れるよね、とも思うし、間違っていないし・・・ね?

 著者のご専門が毛利家なので毛利家の拡大と織田政権との激突、そして劣勢が、その原因とともに語られています。足利義昭織田信長と共倒れになる事を忌避して信長と絶縁、対立、追放されますが、自家の勢力拡大こそ望みますが、中央政界への関与など考えていない毛利家は足利義昭への余同を拒み続けます。

 しかし織田家との境目争いが次第に激しくなると、足利義昭は「いずれ対立するだから、僕の味方になってよ!」とばかりに強引に押しかけてきます。ここで毛利家も戦国大名。自家の勢威というものが配下大名、国人領主の利益を保護してやる(あるいはその姿勢を見せる)事で維持されている事を自覚しており、配下大名(主に宇喜多家)の利益確保の為にも対織田戦争に参加していきます。

 足利義昭を旗頭に頂いたこと、蜂起した本願寺への海上補給路を確保したことで毛利家側は有利な展開に。それをもとに摂津、丹波、播磨など西畿内の諸国へ調略を仕掛け、有力な国人領主たちの織田家からの離反を招き、ついには織田家摂津の旗頭である荒木村重まで寝返らせます。

 ここまで有利に進めれば毛利家主力の侵攻さえあれば畿内制圧も夢ではなかったでしょうが、弱小国人領主から成り上がったとは言え、織田家と毛利家はその成り立ちが異なります。織田家は自家以外の戦力を持たないところから出発。領主次男三男の徒侍たちを集めた、一種の傭兵集団で戦います。その生活基盤を織田家にのみ依存し、戦功が即立場や生活の安定に繋がる組織では、侍階級に好戦的なまでの戦意があります。

 しかし毛利家は国人領主連合から大きくなり、常に同僚たちの立場や利益を考えながら軍事行動を決定しなければなりません。毛利家は盟主でありますが、配下への支配力は低い。経済的な基盤も毛利家が与えた物ではありません。

 織田家も同じように後背に敵を持ちながら、軍事力の展開は毛利家のそれに比べて迅速であり、軍勢招集、集結の遅さは致命的です。謀略においては有利な状況を造りながらも、結局織田家に対して主力軍を動員しての決戦を一度も挑んでいない。それを配下の大名や国人領主に見透かされて、逆に秀吉の調略に苦戦していく事になります。

 長宗我部家の成り行きも語られていますが、明智光秀は毛利家に対して和睦の外交筋を担っていたようで、秀吉の攻勢で和睦路線の可能性が低下していくと、光秀の織田家家中における立場も低下していく。長宗我部家に対してもしかりと、信長が複数用意した和戦両方の外交筋で、結果的に光秀がババを引いてしまい、このままでは佐久間信盛のように自信が失脚する恐れがあると考えて、本能寺に踏み切ったのではないか?そんな説も唱えられています。

 あ、タイトルを回収していますね、ちゃんと。おやおや(オイオイ