気がする。なんとなく。明け方に寒く感じて布団かぶると、暑く感じて二度寝ができないという奴。難儀難儀。
おなかの調子は落ち着いてきている感じ。やはり飲酒すると暴食してしまうから、それでお腹下りーぬになってしまうのでしょうな・・・しかし土曜日には豚白モツのトマト煮込みリベンジをしたいであるので、その時までには赤葡萄酒が飲みたくなりたい。つまり、飲酒自重・・・言葉違う?(あれ
さて昨日読み終わったもの。
読むというよりは見る、なのですが、一応イメージ小説みたいなものもついているので。TRPG『シノビガミ』のカバーイラスト時代から存じている、というよりも、自分が知っているのは、ほぼそれ。イラストイメージが、ほの暗く、曖昧な和風黄昏。でも豪華絢爛って感じで、コミティアの同人誌でもこういうテイストのものをよく手に取り勝ち。何処の何処だから判らない胡散臭い人々や街角のイラストが結構好きなのかも。
眼福、眼福・・・
はい、例の奴も一様読了しました。平将門の乱で将門と敵対した伯父平良兼が開発したり、まとめたりしたのが上総国で、豊かさの源泉は砂鉄をもとにした鍛冶、つまり鉄製農具や武具、馬具の生産。そして馬牧の管理を牛耳って軍馬を調達しやすかったことが上総広常の巨大な勢力の源であったと。
反平氏になったのも、その一年前の政変で自分の利権を平氏政権に邪魔されたからで、吾妻鏡よりも主体的な理由で頼朝陣営に加わったと。更に頼朝に誅伐されたのも、彼が尊大だから、とか、東国第一主義だから、とかではなく、確証はないけれども状況証拠から奥州藤原氏政策の対立ではないかといいます。
頼朝にとって奥州は嚢祖と仰ぐ源頼義が前九年の乱で名を挙げた地であり、その源頼義以来の主従関係であるという事を伝説化して、御家人たちを自らの支配下に置こうとした彼にとっては軍事的に制圧しなければならない地域でした。
しかし上総広常からすると、常陸北部の佐竹氏、そしてそれとつながる奥州藤原氏とは交易を通じて文物を手に入れている間柄。佐竹氏と交戦したのは霞ケ浦周辺の領地争いに起因するらしく、広常と佐竹氏は婚姻関係もあって決定的に敵対する関係ではなかったそうです(その割には騙し討ちしているけど、それはええんか?と思わないでもない
つまり奥州制圧を目論む頼朝と、奥州交易派の巨頭であった広常。ゆくゆくは対立してしまうであろう彼を先手を打って頼朝が殺した、というのが著者の仮説です。まぁ頼朝の口から出た上総広常殺戮の理由を、京都の公家さえ「本当かなぁ?」と首を傾げているぐらいですから、真相はそんなところかも知れません。
てっきり谷戸田とかで豊かなのかと思っていたら、上総氏は交易で豊かだったのねぇ。やっぱ江戸時代になるまでの武士って多角的な、商社的な存在だよなぁ。