pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

読み終えたらオーソドックス

 英国人作家のミステリーが自分は結構好きなんでしょうかね?

 

 『完全犯罪』を犯しただろう犯人ばかりが館に招待された、という煽り文句が気になって、このレイチェル・サヴァナクが探偵役のシリーズを読み始めたので、ワクワクしておりました。んで、何とまぁ、そういう事かい!!という、この読み終わった後味に不純物が残るような読感が堪らぬ~、というのが率直な感想。

 日本の『本格』とか言われる推理ものだと、タイトルの館を舞台に密室物の連続殺人とかが行われる展開になるのですが、最終幕まで『モルグ館』と称される館には行かないという展開。関連があるのかないのか判らない殺人が複数発生するし、鋭いくせに抜け作、その割に自ら危機を脱する力はあるワトソン役まで酷い目に合います。

 その一連の殺人事件、どういう風に本来のネタと絡んでくるのかというと・・・あ、そういう事なのね。ふーん・・・という感じ。あれだけ延々と不連続な殺人事件を語っておいて、肝の部分との関連はそういう事かい!!って感じ。この件に関しては、全てを知って憤るワトソン役くんに同意したいところですが、探偵役は致し方なし、みたいに心得ている感じです。まぁそうしておかないと自分の身の上も危ないし、殺された人々も迂闊というか何というか・・・そういう人間をそういう事に引き込むなよ、とかも思うけど、脇の甘い人間の方が引き込みやすいんだろうなぁ。

 そして思い返せば本筋の伏線もいたるところに張られていましてね。ご丁寧に小説の終わりに、この部分がそうだったんだよーって書いているんですよ。これ、この小説の舞台である1930年代に流行った『フェア』な推理小説物を狙っているのですかね?自分が好きなアガサ・クリスティの『アクロイド殺し』はアンフェアという批判を受けているのですが(物語としてしか読んでいない自分は、謎解きの公平さなんてものは求めていないので、どーでもいいのですけれども)、英国作家としてはそういうところはこだわりたいものなのですかね?

 このシリーズ、探偵の立ち位置が常にグレーなんですよね。正義を振りかざすでもなく、必要以上に悪党という訳でもない(結構悪いなぁ、と思う時はあるけど、理由があってやっているので気にならない)。なーんか漫画『黒執事』の伯爵一家(使用人を含む)みたいな一党感がレイチェル嬢とトルーマン一家(三人)にはあるのですよね。そういうところも含めて気に入っているのかも。

 シリーズが順調に日本語化されますように。