これこれ。
鎌倉時代の将軍、執権、連署といった、まぁ政権主催者の事を書いたものですよね。
まず源家将軍家が絶えていく過程。兄頼家の外戚である比企氏と、弟実朝支援者の北条氏との争いであり、またカリスマを得ていない頼家が専制を行おうとして御家人の支持を失い、北条氏が勝利。実朝が早々に(三十代で)自らの血縁後継者を断念した事から、どうも北条氏や幕府関係者が皇族将軍を望んだみたいです。
また源家将軍には武士としてのアイデンティティを御家人たちは求めましたが、摂家将軍から高貴なる雲上人、秘せられる象徴となっていき、文化的な素養だけが求められるようになりました。また天皇の息子、孫ぐらいが求められ、それ以上血縁が離れるとグッバイさせられるという・・・うわぁ、たまらんな、これ。
執権、連署の在り方も最初から決まっていた訳ではなく、また得宗家(泰時流)は妾腹だった為に主導権の確立に結構軋轢が生じています。(宮騒動、宝治合戦)元寇で一端時宗の時代に得宗家の優位が確定しますが、なんと当時の人々早死にで(三十代で死亡している人が多いこと!!)、システム確立前の個人の力量が求められる時代においては、当人はともかく、その子孫たちに押し寄せるプレッシャーは半端じゃなかったのでしょうね。
だいたい義時、時房、泰時、また重時といった得宗家、極楽寺流、大仏家という北条家でも主導的立場になった家筋の初代は結構老年まで(六十代ぐらいまで)生きていますけれども、その子孫たちの短命なこと!!
まぁ中には五十代、六十代まで生きている人もいますが、そういう人は体の頑健さ+精神的な余裕のある若年時代を送れたのかも知れません。
うーむ、鎌倉時代の北条一族にだけはなりたくないなー、とか思ったりしたりして。