pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

あけおめ、ことよろ~

 この題名を年始に何度使ったのかなぁ~・・・三が日後の仕事始めで日記を書くので、そんなに使ってないかもしれません。調べていませんが(あ

 この年末年始は読書がはかどりましてね。その代わりに映像作品は録画ものが微妙でした。『岸部露伴は動かない』はそこそこ好きでしたが。あ、『スパイの妻』もラスト、解説してくれる方の言葉で「ああ、そっか」と感心したりしました。そのくらいかな。録画しておいた洋画が期待外れでした。なので自室でブラウザゲーしながら読書がはかどるという・・・

 

 承久の乱後に設置された鎌倉幕府の京都の出先機関の歴史です。ある意味、マニアックな北条一族の歴史とも言えます。最初は軍事力を放棄させられた朝廷の為に、洛中警護を担うような形だったものが、次第次第に役割が拡大していき、朝幕関係の窓口、西国御家人の裁判だけでなく寺社、非御家人たちの裁判まで引き受けるようになりますが、基本的には鎌倉からの吏僚系御家人六波羅探題に就任した北条家の家人、あとは畿内御家人の一部ぐらいしかいないので軍事的には強力とは言えず、護良親王楠木正成のゲリラ戦を追討しきれなかった事で幕府が舐められる事になって蜂起が相次いで、結局滅亡の引き金になったとも言えます。

 探題就任条件は二つのパターンがあって、一つは北条家内で家格の高い若い人、もう一つはそこまで家格が高くなくても政治経験豊富な人。その辺がどういう過程で決定されたのかが判明すると、北条家の志向?思考?パターンが読めたりしたりして。

 マニアックな知識が入手できて楽しかったですねー。

 

 著者は現在のところ、日本での漢~三国期研究第一人者なのですが、どーも資料に忠実という印象があって自分は面白くないよなーっと思っていたのです。んが、この本を読んでみると、そうでもないよね。当たり前だよね。と思いました。

 漢帝国の発展展開と儒教がどのようにその公認学問・・・宗教?当時はそんなに区別がなかったようですが、となっていったのか、そしてどのような過程で捨てられたのか、というのが解ります。そして三国時代曹操儒教以外を(宗教性を排除したものを)支配に使ったのに対し、理念的に敵対する諸葛亮は『漢の儒教』を実践主義にして対抗したという意見で、状況証拠でしかないけれど、そういう見方もあるのかーっと思いました。調べてみると中国の歴代王朝って、結構個性がありましてね。変わらないのは官僚たちと皇帝の権力の綱引きぐらいであり、それは現代中国でも変わらんなぁ、という感想は持ちますが、それぞれの時代事情があって面白いです。

 

 もう二十年近く前の、つまり上皇陛下の事なんですけれど、これ読むとね、天皇は死ぬまで退位?譲位?しないというのは非現実的だというのが解ります。寿命が延びたとしても体力、気力の衰えは如何ともしがたくなります。そうなる前に後継者に継承する事は、当事者責任として当然であり、国会審議があった日にゃ書類が天皇を追いかけてくる、なんて話を聞けば、国事、公的職務を務めている人たちは非常時が起これば休日だ、なんだという事はできず、仕事をしなければならない訳で、何が言いたいのかと言えば、公的職務につく人たちには、きちんとした待遇を与えるべきだと。死ぬまで激務しろって考えてみれば最悪のブラックだよね。企業にゃあ退職制度があるから、そこまで言われる事はない(制度的には)。でも天皇という職務は亡くなるまでやらねばならないというのが現状。制度的にも認められず、上皇が譲位されたのも「特例」みたいな感じらしいし。

 まぁ今上陛下も体力の限界を覚えたら譲位されればよろしい。そうしたら先例を積み重ねると官僚というのは首を縦に振りやすくなる人種だからネ。

 そんな事を思いました。

 漫画系は明日にします。