pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

あ~づ~い゛

 昨日と今日はマジで暑かったです。ちょっと動くと暑いとかぢゃない。マジ暑い。くらくらしちゃいますよ。

 土曜日は転た寝三昧というアレな感じ。日曜日は東京コミティアで買物三昧、というか何年かぶりにボジョレー期間限定の赤葡萄酒アイスを食べました。暑いから余計に美味しかったですよ。そのまま新宿で(新宿の伊勢丹にあるのです)一人飲みしてきました。ええっとボジョレー解禁したばっかだからって、折角だからボジョレーって、ああ、やめとけば良かった。いやどんな料理にも合いますよ?しかしですね、軽いんですなぁ。軽いからどんな料理にも合ういうべきなのか?

 はぁ、一本一人で空けるのにボジョレーは少しきつかったです。ボジョレーは多人数で飲むべきものですな。しかしチーズをオーブンで焼く料理は最高ですな、はい。

 さて読み終わったもの。

 

  勉強不足で済みません。現在の皇室は江戸中期に閑院宮家から世継ぎとなった、この『光格天皇』を直接と祖先としているらしいです。江戸時代に入ったら一本線・・・なんて事はなかったんですな。当時の朝廷は、というか数代の天皇は短命な方が多かったらしく、天皇不在にも等しい期間が長かったらしいです。どういう事かというと、幼少で儀式や評定で判断を下せないとか、病床が長くて主体的な判断が無理とか。また江戸時代は朝廷の財布は幕府に完全に握られていましたから、折しも緊縮財政の改革が行われていた時期、朝廷の儀式は、はぶけはぶけと設備が失われたもの、省略できるものからどんどん行われなくなり、傍系から皇位を継いだ光格天皇はこれに危機感を憶えて、幕府と交渉。可能な限りの儀式を再興していったのですね。

 しかも丁度ロシア船やら欧米列強が周航路の寄港地として日本に興味を持ち始めた時期でして、こうなると尊皇というのが盛り上がる。外国と接触する事で日本のアイデンティティーが問われると尊皇が盛り上がるという感じです。そんな時期に幕府と対等に交渉して要求をし、意見を飲ませる(もちろんしっぺ返しを食う事もある)天皇は、日本の中心という意識を持たせました。あのまま衰微していたら今日の皇室はなかったかも知れません。

 そういった意味ではターニングポイントの天皇であったとも言えます。

 

アルシノエ二世:ヘレニズム世界の王族女性と結婚

アルシノエ二世:ヘレニズム世界の王族女性と結婚

 

  知らないでしょ。アタクシも知りませんでした。エジプトのプトレマイオス王朝始祖プトレマイオス一世の娘で、孫子ほどの年の差の夫、トラキアリュシマコスに嫁ぎ、知られているだけで三人の男の子を産みますが、先妻の軍事手腕を持った息子をリュシマコスが殺し(或いは粛正を見て見ぬふりした)、リュシマコスが戦場で倒れ、その隙にエジプトで後継者争いに負けた異母兄が彼女との結婚と引き替えに息子たちの安全を約束。ま、これは裏切られて彼女の目の前で若い息子二人は殺されます。

 失意のうちにエジプトに帰還した彼女は、なんと同母弟であるプトレマイオス二世の結婚。そのまま王夫妻の神格化が進み、プトレマイオス朝がエジプトに約三百年間君臨する礎を築いたという・・・解る?

 ヘレニズム時代、つまりアレキサンドロス大王死後の東地中海は彼の部下であるマケドニア人将軍たちが勢力を争い、割拠していく時代でした。アルシノエ二世はその渦中で翻弄された訳ですが、この時代は王は軍勢を率いて勝利する者でなければならず、血統だけでは(それが確立していない事もあって)地位を引き継げない時代でした。だからこそ若い息子を父王の跡継ぎにすぐさま据える事ができず、各ヘレニズム王国は父王存命中に後継者を共治王として見習をさせていました。

 彼女の長男は生き残りリュシマコスの王位を引き継ごうとしたようでしたが、力不足で地方領主に終わったようです。んで母親のアルシノエは実の弟と結婚?

 たぶんこれは政治的なもので性的なものはともなっていなかった可能性が高いです。プトレマイオス二世は女好きですが、年上で四十前後の姉にいいよるという趣味を持っていたかどうか解りません。ただ姉をそのまま独身にしておくと、彼女と結婚し、その資格でプトレマイオスの王位に挑戦する有力者が現れるかも知れません。それならば王家の特異性・・・近親婚をして特別な家柄である事を表明する方が政治的にはメリットがあります。姉を抹殺しなくてもいいし。アルシノエにしてみても宙ぶらりんな立場よりも王妃になるというのは魅力的です。その為、プトレマイオス王朝は実際の性行為があったかどうかはともかく、兄弟姉妹婚をしてエジプト王家としての特殊な地位を維持していく事になります。

 彼女はその基礎を築き、女神にまでなって崇拝された、という事です。はぁ説明長かった。