pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

自宅で風呂に入れるというのは

 物凄い贅沢な事なんだなぁ、と、しみじみ感じましただよ。自宅の壊れた温水器の交換は月曜日に終わっていたので、月曜日の晩から入れるようになったのですけれどもね。日記で書く時に失念していたという。風呂は人生の洗濯だよ~・・・とまでは言いませんが(あ

 そして何にも関係ないけれども読み終えたのはコレです。

 

南北朝武将列伝 南朝編

南北朝武将列伝 南朝編

  • 発売日: 2021/02/12
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

  著述者が比較的若い、自分よりも年下の方々なので新しい視点で、つまり南朝の『忠臣』という視点ではなく、戦乱の時代をどう生きようとしたのか、という視点で著述していただいていると思って購入しました。はずれなかった。ただ誤字脱字を五、六ケ所見つけてしまったのが残念でしたね。こういうのは編集?校正?の問題ですかね。こういうところにお金をかけられなかったというべき?

 それはさておき、興味深かったのは新田義貞の項でして、新田家が足利一門というのは前にも知っていたのですが、彼が建武政権から高評価を得てしまった事で他の足利一門より排斥(暗殺の風聞)を受けるようになり、トラブルを避ける為に鎌倉から京へ。そして中先代の乱を自発的に(勝手に)討伐した足利尊氏を攻撃する後醍醐天皇の命令に従った為に足利一門と決別し、そして足利尊氏の攻撃によって京が失陥した際、新田義貞を見捨てて足利尊氏と和睦した(すぐに破綻するけれど)後醍醐天皇に憤慨して北陸地方に独自の勢力を築こうとした、という解釈に驚きました。でも、アリですよね。そうなると東北から再度攻勢に出た北畠顕家と歩調を合わせなかったというのも理解できます。どっちが勝つか分らない時に模様眺めしたんだろうなぁ、と。その後彼は戦死してしまうので、その動きは顕著ではなかった事もあり、確証が得られるものでもないのですが。

 基本的に南朝の武将たちが『忠節』を尽くしたように見えるのは、もはや足利方に帰参する事が不可能な立場であったものばかりであったとも言えます。新田義貞遺児は父の仇であると同時に、彼ら自身が足利一門の裏切り者であり、降伏しても自分たちの立場、権利が守れるとは思えません(後醍醐天皇を名指しできないので北朝方に新田義貞を朝敵認定しているし)。楠木一族はもう少し立場が異なり、北畠親房亡き後は吉野南朝の軍事力を担う存在ですが、自らの存立を考えれば北朝との和睦がベストです。しかし抗戦派が主導権を握ってしまった南朝において(窮すると人は過激化する)、彼の主張は受け入れらず単独で北朝に降伏してしまいます。もっともあまりにも北朝方と激しくやりあった過去を持つ楠木一族を受け入れられない武士たちも多く、彼らを受け入れた細川頼之失脚にともない再び南朝に戻っています。

 つまり動乱期において人々は、自分の立場、利益を鑑みて、どうすれば生き残れるか、『家』として存続できるか、それを第一に考えていたのであり、単純な『忠義』を要求されても、それは君主の夢想に過ぎず、現実的な報いがなければ応じられるものではないという、至極当たり前の事が残るのですよね。

 それを「受けない」とか「驚かせられない」という理由で捻じ曲げてしまうならば、小説を書けばいい話です。

 この本は『南朝編』ですから『北朝編』ができる事を期待しています。新しい知見が得られるのは楽しいですから。