pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

暇、なんですけれど

 はい。暇なんです。だから雑用が捗ります。と言うても限度がありますが。なので、これはチャレンジなのですが、あと一冊読み終われば明日午前中に図書館へ返却出来ます。講談社現代新書なので、ハードルは低いです(オイ

 そんな事はともかく読み終わった本。

 

 一応、中世と近世支配の分水嶺とも言われる、言われてないか。まぁそんな感じで語られる事が多い『太閤検地』なんですけれども、案外試行錯誤の繰り返しをしているのだなぁ、と。もともと軍役量の計算の為に行っていたもので、織田家武将時代は指出、つまり自己申告の検地でしたが、政権主催者になると征服地とか配下武将に領地を与える前とか、そういうタイミングで実測検地をするようになります。なので自分の身内、支配下に入るとより念入りな検地を求めるという感じ。外様の大大名ほどその大名家自身による検地を認めますが、豊臣政権に従属度が高いほど政権の奉行人によって実測検地されるという。また相対的に大名権力が弱いところ、例えば佐竹家や島津家は国人連合体の色彩が強かったのですが、実測検地で隠田とか洗いざらい調べ上げ、増収入になった分を大名家直轄地として多く確保し、経済力や恩賞授与などによる家中統率を強化させ、軍勢指揮官としての専制権をアップさせています。

 まぁ代わりに動員を受けたら、きっちり兵力を提供して軍役をこなせよ、という事なのですが。

 マニュアルを制作する前って感じで、その土地、その従来の支配を考えながら、検地が行われる度に手法が変わっていく感じで、意外だったのは秀吉と秀次が、秀頼誕生により緊張関係になり、結局秀次自死、家族滅亡という騒然とした状況になっても検地は行われていたこと。それどころか朝鮮侵攻という秀吉最晩年のギリギリまで検地は行われていて、まさに秀吉治世全般で『太閤検地』は行われていたのだなぁ、と。

 これによって武士は在地性を否定され、また年貢は村請を基本とし村という行政単位が誕生したといってもいいのかな。これ以前は荘園制であり集落=村という支配単位ではなく、耕地による区画だった筈なので。

 つまり近世は織田信長ではなく豊臣秀吉によって始まった、という事ですねー。はい。

 あ、もう一冊感想を書こうと思っていたのですが、思ったよりも検地の話で埋まりましたね。では後日にしましょう。