pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

解放感

 毎回感じる事ですが、艦これのイベントをクリアすると解放感があります。やっている最中のストレスと比例で感じます。今回は二番目に簡単な難易度でやったのですが、舐めプ編成で散々苦しんで、ちょろりと調べて手元にある最強戦力をぶつけたら突破出来ました。お札に苦しめられない為に難易度の低いものをやっているのですが、まぁこれくらいはね。道中の夜戦大破にイライラしていたのですが、ボス削り中にドロップ艦も出てくれて、はぁ助かり申したと。これでドロップ周回なんて、発〇してまう・・・

 はい。そして同時進行で読んでいる本はまだ一つも読了していません。昨日ちょろりと書いたアブドュルハミド二世の評伝があと二章で読み終えますけれども、それは明日以降という事で、自宅で読んでいる島津義久、義弘兄弟の評伝の事など。こいつはボリュームいっぱいでして、それも二人が五十代で豊臣政権に屈服してからの記述の方が長い。今、二人がその豊臣大名として領国支配を完遂出来ず、軍役が満足にこなせず、評価石高三十万石として(差出検地すら不十分というありさま)一万人の軍役を朝鮮侵攻に課せられたのに、どうも三千人弱しか動員できず、兵糧の手当てにも困るという、豊臣大名としては不適格という状況。これ容赦なく取り潰されかねないレベルです。

 これはどうも島津家の意思決定機構の特性らしく、室町末期に守護家が没落したのは守護家が国人領主たちの支持を得る事ができなかった為で、それならばと重要家臣(老中)たちが合議をし、それによって当主義久が方針を決定する、という意思決定機構でした。こうする事で、まず当主の責任問題にならず、老中たちが意見を尽くして決定した体裁をとり、決断を擁する場合は籤、つまり神事として決定するという有無を言わせない形式を取りました。

 しかしこれは当主がその島津家の意思決定行為に責任を持たないという体裁をとるものであり、まだ物事が単純化できた大隅、日向、肥後といった周辺の境目争いは処理できましたが、敵失で(大友にせよ、竜造寺にせよ、自らの失敗、ミスによって島津軍に大敗している印象があります)期待以上の大勝利をあげてしまった事が不幸の始まりだったのかも。竜造寺、大友の支配下から逃れようとする勢力から期待され、九州統一という夢が目の前にぶら下がり、毛利家の支援をあてにして豊臣政権の出方を見誤り、敗退するという。

 この原理がね、かつてのタリバンアルカイダを客人として保護した為に、本来やりあう必要のなかったアメリカとやりあう羽目になった事を彷彿とさせます。頼ってきたものを支援する事が武士の名誉という・・・

 しかもそのあたり義久は自発的決断を一度もしていない。そういう癖がついてしまったからか(豊臣政権に降伏した時、彼は五十を過ぎています)自ら決断する、責任を取るという思考ができない。なので薩摩、大隅に領域を削られてしまった後の混乱に主導権を発揮する事もできず、配下領主の自律性を期待するといえば聞こえはいいけど、検地とかも強制力が弱いので、一向に島津家の石高が解らない。締め切り違反の島津家に政権側が激怒するのが解っているので、持病の虫気が発症するとか、なんか夏休みの宿題をやりおえていない小中学生みたいな感じ。

 有名な島津四兄弟のうち、末弟の家久は降伏直後に原因不明で死亡していますが、次弟歳久は梅北一揆の首謀者として自害させられていますけれども、当時彼はリウマチらしい病で身動きが取れず、どうも朝鮮侵攻の軍役を始め、経済的に一向に政権が期待する経済的奉公ができない島津家に対し、本来ならば当主義久に責めを負わせるところ、彼とその側近のみが琉球王国との交渉ノウハウを持っていたので、歳久は身代わりという感じで処罰されたみたいです。

 なんかここまで読んでいると、最強どころか田舎のダメダメ親父としか思えなくなってくる。この後、印象変わるのかなぁ・・・