pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

地獄エピソードが続く・・・

 『鎌倉殿の13人』第17回は源義高が殺されるエピソードでしたね。そこに工藤くんが出てくるんですか。「鎌倉は怖いところだ」という述懐。そうねー。まだ入り口ですよ。壮絶な内ゲバ北条義時が覇権を握って、最終的には承久の乱に勝利して、つまり日本の最強権力である事を証明するまで続きますよ。その意味では三谷さんが、大泉頼朝の出演シーンは序章に過ぎないというのは当たり前で、頼朝死後の内ゲバの方が頼朝生前の粛清が可愛く見えるほどの規模で起こるもんなぁ。

 しかし頼朝の態度は、物語的にこれから政権担当者に成長していく政子や義時に対する『教え』にも見える。大河ドラマって立身出世の物語は、だいたい爽快感や達成感の後にひずみというか、ゆがみというか、そんな感じで負の面が描かれるのだけれども、最初に内ゲバを勝ち抜き、畏敬される支配者となるためのレッスンが描かれるとはね。やはり三谷幸喜さんの脚本は一味違いますね。

 んで読み終わったものは同じ場所の、200年ほど未来・・・

 

 鎌倉を拠点とする東国武士の軍事力が、結果的に全国に覇権を唱えたのが鎌倉幕府なら、南北朝の対立から不本意ながら京都に本拠を置くことになった室町幕府からすると、もともとの根拠地である関東+東北地方を統括するのが鎌倉府でした。しかし、そもそも自分たちが本家みたいな気持ちが強いのではないかと思われる関東武士、それを統括している足利将軍家の分家である鎌倉公方家からすれば、「京都にいるからってデカい顔すんなよ」という気持ちがないとは言えない。その為、兄弟で協調する事を優先した初代以外は京都の隙あらば刺す!!みたいな感じ。その為、京都も鎌倉を制御する為に、あちらこちらに罠というか仕掛けを施しており、度重なる暴発の最後が享徳の乱って感じですかね。何故かというと、それまで幕府の権威で大規模動員をかけた京都側が未発も含めて鎌倉の反乱を鎮圧する形だったのが収拾しきれず30年もずるずる争ったのが享徳の乱であり、収拾できなかった幕府も応仁の乱によって秩序が崩れていくのですけれども、そもそも幕府が鎌倉→古河公方勢力を制圧しきれなかった事が原因。つまり、その前の二つの反乱の根本的な解決がされないまま、鎌倉公方を復活させてしまった、幕府側の政治的判断の甘さが響いている訳で、それは中央政局の収拾にも言える事で(当時の将軍義政周辺の政治力不足ということ)、中央が秩序を維持できないほど政治力が欠如している、それが表面化したのが『享徳の乱』ならば、これこそが戦国時代的状況の幕開け、といってもいいかもしれない。

 ただ戦国大名のような自己完結の『王国』を築くまでの勢力は一般的ではなく、伊勢宗瑞も享徳の乱後、十数年を経て関東に姿を現すのですから、線引いて用意ドンっみたいに時代区分は引けないって事ですね。

 関東は、鎌倉時代室町時代も、なかなか血の気が多いのです・・・