pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

芋づる式に仕事が発生した

 なので、落ち着くまで日記を書けませんでした。はい、ちょいと時間ができましたので、バキバキ書くですよ。

 

 現在のところ武田氏研究の第一人者といっても過言ではない筆者が、三方ヶ原の戦いの経緯に疑問を持って調べて分かった事をまとめられたものです。『家康と三方原合戦』ってタイトルですけれども、武田愛に満ち溢れているよなー、とか思ったりしたり。

 自分はどちらかという小田原北条贔屓だと思うのですが、その視点だと武田による今川侵攻はやらかしに見えるのですが、信玄の「氏真は謙信とつるんで攻撃しようとしやがった。だから先手を打った」という言い分も北条氏照あたりが「んぢゃあ仕方ないんぢゃない?」と漏らしている資料を見つけるなど、北条の中にも武田に同情的な見方があったんだよと証明するところなんか、ほんと武田愛だよなぁ、とか思ったり。まぁ氏康が「仲介の労を取った儂の面子を潰した挙句、氏真に嫁いだ儂の娘が裸足で逃げただと?許せねぇ!!」と判断したのは、やはり信玄の抜かりだとは思いますネ・・・

 それよりも、徳川家康という男は、マジでこすっからいですね。北条に横やりされて苦境に立った武田の足元を見て「遠江駿河両国を両者切り取り次第に占領」という約定を「遠江はうちのもんだから、そこに手を出すのはどないやねん!!」といちゃもんつけて信玄に詫びさせるとかね。もっとも信玄も家康を内心、戦国大名扱いしていないので、どっちもどっちなのですが。不信と不満の同盟関係・・・

 しかしその家康の遠江制圧過程で、氏真が籠る掛川城攻めで家康は実は窮地に陥っていた、と。補給の問題です。高低差の書いてある地図を見ると遠江の東西を結ぶ街道は極めて限られていて、特に家康本国の三河掛川浜名湖水運を使わなければ、それを大きく迂回する街道しか存在せず、浜名湖水運と街道を睨める要地を今川に抑えられていた家康は、補給が厳しい状況だったようです。んで、その弱点は本拠地を浜松城に変えても変わらず、東から襲来した信玄は浜松城を東から包囲するように拠点を制圧。そして今川氏真との戦いで思い知った浜名湖水運の要衝を武田勢が攻撃する進路を取った為、家康はそれを阻止する為に三方ヶ原で戦いを挑まなければならなかった、と。このあたりが新説。

 家康領国の征服、状況が許せば織田領国も、という武田信玄の戦略からすれば家康主力を引き釣りだして決戦を喚起するのは正しく、その為に用意周到に布石する信玄の戦略眼は冴えわたっています。何というか、襲撃する側の徳川勢の抜け駆けというか、統制の取れてなさを見ると、見下されても仕方ないかも、って感じ。個々の戦いでは徳川勢も優秀なのですが、いかんせん戦線が薄く予備がない状況なので、一度突破されると踏みとどまる事ができず一気に崩壊。家康は地の利と夕闇、そして身代わりになった家臣のおかげで逃げ延びる事ができた、と。

 もし、信玄が死没しなければ家康の命運は尽きていたかも、という話なんですが、家康ってほんとに強運の持ち主なんですよねー・・・はい。