pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

小説は、まだ。

 夕食を終えた後、一、二時間ばかり転寝を繰り返し、集中できなかったので。また寝つきが悪くなる。このタイミングで寝てしまえばいいのだけれど、早すぎるしナ。絶対夜中に目覚めるでせう。

 お気に入りの作家さんの作品ですから、流し読みはしたくないので、まだまだ時間がかかります。替わりにと言っては何ですが、これは半分流し読みでした(オイ

 

 題名は内容に対して、ちょいと微妙な気も・・・どうかな?城を主に文献資料メイン、考古学発見をサブみたいな感じで解説していてるのですが、政治はともかく戦略にそんなに触れているかな?

 著者の方は静岡県出身で、主に静岡県の歴史研究、文筆を仕事をされている方ですので、この本に取り上げられているのは静岡県の城、城跡です。興味深かったのは駿府ですかね。室町、戦国時代に拠点を置いていた今川氏の居館は、その後に建てられた家康の駿府城の下になってしまったみたいなんですけれども、だいたい同じようなところにあって、安部川と東海道の交差する立地だから交通の要所ですね。以前にどこかで耳にしたか目にしたか、静岡市清水区の江尻が駿府の外港だったそうで、最近静岡市内の地図を眺める機会があったものですから、これ、駿府から江尻に向かうのって大変?

 何気に市街地図を見ていると久能山が間にででーんと鎮座していて、海岸線まで出て向かうのは一苦労しそう。内陸の久能山の北側に平地があるので、こちらから回らなければならないみたい。川があるらしいので、それを運河みたいに使っていたのでしょうか?『平成の大合併』まで江尻は清水市という別の自治体であったというのも納得しますね。静岡中心部との接続が乏しい。

 静岡って江戸時代は将軍家の直轄地というイメージがありますが、今川氏が治めていた頃は、どうも長らく駿府、江尻あたりまでが東の際らしく、以東は関東の勢力に従う領主が治めていたみたいです。室町時代の今川氏は鎌倉公方を始めとする関東の勢力に対する最前線という位置づけで、関東管領上杉氏との関係で、緩衝地帯の領主も上杉氏に近かったり、将軍に近かったりと多様で今川氏には服属していなかったみたい。これが伊勢宗瑞の伊豆堀越公方攻略の過程で、次第に今川氏の政治支配下になる・・・と思いきや、伊勢宗瑞の勢力下になるんですな。伊勢宗瑞は今川氏親の叔父で後見役で、彼自身は今川家御一家の立場、つまり政治的には今川氏に属する存在なんですけれども、世代が下り、子の氏綱が北条を称し、花倉の乱の後、今川義元が政治的に氏綱と対立するようになると、北条の方に近しかった駿東の領主たちは北条軍が進軍するとそちらについています。最終的にこの地域が今川に服属するのは三国同盟の前座にあたる今川、北条の停戦条約からって感じ。それまで駿府は、ほぼほぼ最前線みたいだったと。

 あと、静岡県の海岸線って浜名湖から清水の港まで、えらいなだらか、船泊になりそうな入り江が一つも見当たらない。だから水軍が発達せず、武田家は伊勢とか熊野とかから水軍を呼んで編成していたのかな?とも思ったのですが、地震で隆起して入り江が平地化し、江戸時代に農地になったところも多いらしく、一概に水軍が発達していなかったとは言えないみたいで・・・沿岸航海が主の時代に熊野灘を越える航海術を持っているから、純粋に操船術を見込んで呼び寄せたのかな?とも思い返したり。

 本を読むと、知らなかった事に気づく事が多いのですが、この本もそうでしたねー。