pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

漫画の感想を書くといったな・・・

 あれは嘘だ(おい

 まぁ他の本の事を書きたかったデスよ。

 

 表題にあるように太田道灌は江戸を切り開いた一人です。とはいえ江戸は道灌が拠点とする前から寒村ではなく交通の要所であり、国人領主の重要拠点でしたけれども。

 太田道灌は最近になって確定した史実が増えた人ですけれども、実名も確定していない人です。『新九郎奔る』では資長説を採用していましたけれども、花押が違うとかで別人説もあった筈。(この本では別人説)

 太田道灌は戦術面、そして当主の家宰の相克という戦国初期の事象を体現している人でして、この人の事績を追っていけばだいたい戦国初期の、つまり室町期と戦国期は何が異なるのか、という事がだいたい解ります。というか、この人の人生は室町期の矛盾を下から克服しようとして失敗した、みたいな感じです。主人よりも大きな力を持つ同僚が忌避されるので抹殺されとも。これが家柄なんて危機管理には役に立たない。実際の実行力がある人間が上に立たないとっっっ、という風潮になる戦国後期になると変わってくるのですが、彼のような前提があってこその話かも。

 あ、著名な文化面の事績は創作の可能性が大だそうです。つまり太田道灌の事績の最たるところは、己の軍略の可能性を最大限発揮し、君主権と軋轢が生じ、それを自身の力で克服できなかったこと、ですかね。

 戦略家、戦術家としては冴えに冴えている人なんですけどね・・・

 

 世の中、様々な事を研究していらっしゃる方がいるもので、著者は1970年代から横浜中華街をフィールドワークされているそうです。ちなみに『中華街』という単語は日本発祥で中国語にはないそうです。あと『中華料理』は日本人向けにアレンジされた中国料理の事で、アレンジなしが『中国料理』だそうです。謎解けた。

 もともと幕末の開港の時に、栄えていた神奈川に外国人がくるのがイヤだったので、当時は半農半漁の寒村だった横浜に白羽の矢が立ったそうです。そして埋立地や新規開拓地を外国人居留区にしたのが最初で、ヨーロッパ人が商売の仲介人として中国人を雇い連れてきたそうで。居留区制が廃止されるとヨーロッパ人は水はけのいい高台へ移り住み、湿気のある埋立地や開拓地には中国人が残り(安かったから)、それが横浜中華街の最初だったそうです。中華街の街路が斜めに走っているのは、埋立地の区画割の頃名残だそうで風水的な意味はないそうです。

 今みたいな観光地になるには多くの紆余曲折があり、横浜市の後押しも必要で、現在となっては最も観光地化に成功したチャイナタウンだそうです。固定ファンがいてリピーターがいるという、どこぞのアミューズメントパークみたいですね。

 それにあやかろうと、チャイナタウンではなく、一から『中華街』を作ろうとしているところもあって、あ、そういえば名古屋の万松寺もそれを画策して失敗してるなー、とかね。ソウルの『中華街』は成功した口みたいですがね。経営者は韓国人で働いているのは朝鮮系中国人らしく、生活臭はない、つまり完全にアミューズメントパークらしいです。

 人間、発想力と実行力があると魅力的なものをつくる事ができる、って事ですかねー。