pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

刺身食べたら、元の木阿弥

 はい、腹弱っている時に食べたらダメですよねー。で下りました。はい。週末には飲酒できるまでにはなりたいです。はい。

 そして読み終わったもの。

 

 ええっとですね。関ヶ原合戦前後から毛利輝元の死後に至るまで、つまり幕藩体制下で毛利家がどのような体制になっていったのか、という事を説明したもので、これ読むとですね「毛利家は徳川家の敵手たりえないわ」というのが、よーく理解できます。はい。

 成り立ちとして徳川家康が一人で創業し発展、大きくしていった徳川家は家康という指導者のカリスマが確立しており、異論はあれど最終的には家康の判断で動くようになっているのですが、体制が同じように見えて毛利家は当主輝元に家康ほどのカリスマ、統率力がない。

 これは毛利家の成り立ちにも問題があって、創業者は祖父元就だと言えますが、彼は人生後半戦(家督を息子隆元に譲ったあたり)で勢力を拡大し、西中国の覇者となりました。んが、息子隆元はその急激な勢力拡大に処理落ちし夭折。跡を継いだ輝元は若く、二人の叔父の助けで毛利家の運営を行いますが、まぁ彼が陣頭に立って指揮する場面はほとんどない。それだけ組織が大きくなってしまっているので。

 そして幸か不幸か、対織田戦争では負けずに済んだけれども、ほぼほぼ詰み状態まで追い込まれていました。つまり戦国大名の存在意義、国衆たちの安全保障を担える存在なのか?という問いかけに対して極めて脆弱である事が露呈し、豊臣政権下の検地も毛利家自身の手になるもので不十分。関ヶ原合戦において反徳川に立ったとしても、どうも統率力不足を自覚しているのか、いまいち決戦に踏み込む勇気がなく、『総大将』でありながら徳川との和睦打診を決戦前にもやっている始末(そして西軍有利の展開になるとひっこめている)。

 まぁ防長二国で存続を許されたのはいいけれど、相変わらず統率力が不足しており、多くの策略を経て、また有力分家の自立も個別で将軍家に仕えるよりも、毛利家として結束した方が結果的に良い、という考えに至ってようやくまとまるという体たらく。「仇敵」である徳川家すら毛利家存続の方が全国統治に有利と判断して、その方向に努力しているというのに、世代が交代すると再び当主の求心力が弱く(輝元実子世継ぎの秀就は我儘に育ってしまったので、素行が悪く、忠誠心を集めにくい人柄に。しかも弟就隆の存在もあり、まぁ分裂方向は変わらない)、よくある伝説、毛利家当主が徳川家に新年になるたびに反抗を誓うなんて儀式、行う余地もないという・・・

 世代交代しても強靭な求心力を維持し続けた小田原北条家とは比べるべくもないですね・・・