pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

読み切れるものですね

 昨日続けて読みたいってゆっていた図説・・・ではないけれども『清須会議』の本が一晩で読み終える事ができたので、こうして感想が書ける訳です。

 

 勘違いしていたのですけれども、羽柴秀吉の立場って、明智光秀を親の仇として討った織田信孝を総大将にいただいた討伐軍の一員であって、功労者の一人だけれども会議の主導権を握れる程ではなかったみたいですね。あと織田宗家相続は、当主信忠嫡男の三法師に決まっていて、しかし三歳の乳幼児が政務を執る事はできないから、彼が成人するまでの後見人を決定する事が目的であり、その点、参集した柴田勝家丹羽長秀羽柴秀吉池田恒興は足並みをそろえていた、と。この時点で宿老の対立はないようです。

 対立していたのは信長次男の信雄と三男信孝で、信雄は信忠同母弟で三法師にとっては最も近しい親族ですが、対明智戦に出遅れたという引け目があり、信孝は母親の身分が低いと信長生前から一門衆の序列も低くされており、これを自力であげる為に四国討伐の総大将に自ら名乗りをあげるほど、やる気・・・野心がある男。総大将として山崎の戦い明智光秀を打ち破った実績を引っ提げて、三法師の後見人となる気、満々。

 これが『天下人』織田家の不幸でしたね。二人のいがみ合いを危惧して二人のいずれも後見人にせず宿老会議の合議で補佐する形に。領地分配で信忠領国の尾張と美濃を分け合っても領地境をどこにするかでもめているし、火種はありまくり。安土城再建まで三法師を岐阜城で預かる信孝は、それをいい事に三法師を手放そうとしないし。

 そこに秀吉が付け入る隙が生まれる訳で、誰が喪主になるかでもめて信長葬儀も遅延する訳で、ならばと自分の養嗣子次秀勝が信長五男である事を理由に、とっとと葬儀をしてしまう。問題はこの秀吉の行動に丹羽長秀池田恒興を始め多くの織田家臣、従属国衆が賛同している訳で、つまり信孝の野心で秀吉の求心力が高まったように見えるのですよ。そんな信孝に柴田勝家がついてもね・・・雪深い北陸、運が悪い事に例年にない深雪に見舞われてしまって時機を得た軍事行動ができず敗退、滅亡。信孝も信雄によって切腹させられ、織田家当主は信雄に決定されますが時遅し。織田家臣と言えども自らの家の存立を第一に考え、それを保証してくれない、つまり内輪もめで頼りにならない織田家よりも、その役割をになってくれる羽柴秀吉を支持する織田家臣が多くなるのは当たり前で、信雄・家康連合が秀吉と戦争をしても織田家臣の大半は秀吉方。越中佐々成政が反秀吉になったぐらいで実質信雄・家康領国対織田旧臣という、あるべからざる構造に。いかに信雄の求心力が落ちているのか、という証なんですけれどもね。これ、個人的に資質(暗愚)で片づけられてきたけど、本質的には信孝野心を彼を始め残された織田一門が封じ込める事ができなかった時点で、つまり織田家臣、従属国衆の信用を失った時点で決まったのではないかなぁ、と思ったりしたり。

 手垢がついた話題と思っていたけど、目から鱗でしたねぇ。