pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

大宴会の大団円

 お疲れさまでした。

 

 ダンジョンに潜った冒険者が食糧難になったから、魔物を料理して食う。TRPG、特にD&D経験者なら一回ぐらいは頭をよぎったであろうネタを正面から漫画化してくれた作品と当初は理解していました。それからウィザードリィ風味の設定、そもそもの原因が悪魔の話になって、その悪魔が何故、こういう存在になったのか、どうやって話に決着をつけるのか、とても楽しみにしていました。

 大団円で良かったですよ。途中でフェリンの復活はないかも、とか思ってしまいましたからね。そして最終的なライオスの称号が、あまりにもらしくて笑ってしまった。

 日記には書いていないのですが、別に転生したら人の能力値が可視化できる力を持った領主の戦記物漫画を読んでいるのですけれども、これが、味方になる登場人物が皆いい人ばかりで味気ないんですよね。コーエーの、のぶやぼ、や三国志みたいな、あれを遊んだ人が能力値数値化した人材を使いこなして皇帝になりあがる物語を夢想するのは、誰でも一度はあると思うので、それを作品化、商業ベース、コミカライズしたのは凄いと思うけど、内容的にマイルド過ぎて自分には合わないな、と。

 でも『ダンジョン飯』の登場人物って善とか悪とかではくくれない灰汁の強い人たちばかりで、物凄く自分好みなんですよね。ライオスの処遇に関してもいちゃもんつける人たちがいたし、『信じる』という一言だけで話進めないし(そもそもライオスが信用ならない面のある男だ。魔物を食べたがる欲求に関しては)、承諾するにしても、その人なりの整合性を得た上でしている人が多いから納得できるのですよね。

 考えてみるとこの作品の『悪魔』も悪意から、というよりも生き物の欲望に美味を感じてしまって、その欲望を知的生命体に欲してもらおうとしている『だけ』とも言え、その意味では善意に溢れているのですよね。しかし狡猾で言葉巧みで、その意味ではキリスト教的な悪魔ではありますけれども。

 もう一度、食べるものがないから魔物を食べる、ってところから読み返してみたいです。購入して本棚に並んでいるんだから、その気になりさえすれば読み返せるんですよ。最近はフリーレンのアニメエピソードを見るとコミックはどうだったかな?と振り返っているので、年明けてアニメが放映されたら、ダンジョン飯でもその作業するんだろうなぁ、と。楽しみです。