pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

『英雄』と『英雄』演出する者と

 いやそんなフレーズが思い浮かんだので。最初に『英雄』の方。

 

 トマトスープさんの漫画は息子のオゴデイの代のオルドを舞台にした話なのですが、今まで馴染みがなかった(あんまり読んでいなかった)時代なので、これ読んだら少しはマシになるかなぁ、と。ま、親父のテムジン・・・チンギスの話なのですが、読めば読むほど野心とかよりも「どうしてこうなった?」っていうチンギスの呟きが聞こえてきそう。モンゴル高原からシベリアにかけて存在した遊牧勢力のうち、比較的弱小の長であったテムジンが、場当たり的に危機に対処していたら、気が付いたら大勢力になり、誠実に公正に振る舞っていたらライバルを圧倒し、交易路を求めていたら征服事業になってしまい・・・あれれ?っていうのがご本人の感覚かも、と。

 編纂物ばかりで同時代資料に乏しいのを考古学で補填する形で論述していますが、書かれた方は入門書であると言っておられます。確かに流れを知るにはいい感じ。二十代だったの時に『集史』っていう中東イスラム視点のモンゴル史を読んだ事を思い出しました。

 んでその後に読んだのがこれ。

 

 現在のインド『最高権力者』と言えるモディ氏の半生とその政治家としての『業績』、そしてインドがどんな国になっているのか、という事を説明しています。民主主義国が権威主義国に変容していく様が解ります。少数宗派、主にイスラムを標的にした迫害で不満を解消しつつ、自らの意見に従わないものを排除し、マスコミをコントロールし、『善政』や成果を演出するって感じで、これが問題なのは、経済にせよ、社会動静にせよ、実際に調査された事を公表せず(もしくは調査すらせず)、政府与党に都合のいい事ばかり公表したり記録したりしているので、実態に即した政治ができなくなる、ということ。そしてモディ首相をカリスマ、英雄に仕立てる事によって有権者から考える力を奪っているようにも見える。実態は政府与党と大資本家による富の分配に終始し、問題解決には程遠い事ばかり。現場の空洞化とか貧困層への矛盾しわ寄せとか、とんでもない事になっているのではないかと想像される。

 なーんか、この手法、見た事あるんですよね。官僚に諮らず政治を行っているから、与党とにぎにぎな連中以外は中央政府から逃げ出して地方政府に移動しているとかっていうのも、維新とか安倍、菅の手法に似ている気がする。維新はお仲間資本家とにぎにぎうまうましているとこと、メディアコントロールで選挙に勝っているとこ、専門家をバカにかるとこか。

 2000年代からこっち政治家ってそういうタイプが増えたって事ですかね。自らのアンチテーゼとして共産主義が存在し、建前だけでも庶民への生活保障、衛生保険環境を充実させないと自らが優れていると言えなかった1900年代までは資本主義も社会福祉を充実さぜるを得なかった訳ですが、それが崩壊し、自分たちの体制に過剰な自信を持ってしまった『自由民主主義』の権力者たちが自分たちの『自由』を希求して、庶民生活を顧みなくなったってのもあるんですかねぇ。

 ま、インドという国をもっと注視しなきゃなりませんよ、という本でした。

 『英雄』になる人って気が付いたらそうなって終わりを全うする感じで、『英雄』たらんとする人って、無理押しでそう演出する場合が多いので、終わりを全うできない感じなんですけどねぇ。『大国』は余地があるから軽薄で考えなしな事をやっても存在できるけど、それが何処まで許されるのかね。