再読した本です。
敗戦直後の首相、幣原喜重郎の発案、肝いりで極東裁判とは別に、日本が壊滅的な敗北を喫した『戦争』の起源を探ろうとしたしたのが『戦争調査会』というものでした。しかし調査委員に元軍人が含まれている事にソ連と英連邦・・・というよりオーストラリアとニュージーランドが猛反発し、「今度こそ『勝つ戦争』をする為の研究ぢゃないのか?」と言われて、ぽしゃってしまった企画です。それでも調査資料は全十五巻の冊子にまとめられ刊行されました(二十一世紀に入ってからですが)
公文書焼却とか、関係者自害とか、証拠隠滅されてしまった中でも膨大な資料が玉石混淆に集められているので、今後これを元にして戦前、戦中の歴史研究が進展する事を願ってやまないのですが、最近の状況というか、議会政治をやっている限りは繰り返される事が、1920年代、そして戦後の議会制民主主義政治でも起きているのだなぁ、とまたまた思いました。
特に野党が繰り返し訴えている『二大政党』って、そんなにいいものぢゃない、というか、1920年代にそれで失敗しているのですよねー。この時期、日本は政友会と民政党という二大政党が議会の過半を占めていました。戦前の日本って憲法はドイツ帝国をモデルにしているのに、運営は立憲民主主義のイギリスを目指しているようなんですよ。まぁ天皇家を守ろうとしたら『君臨すれども統治せず』のイギリス式がいいに決まっています。権限を持ったら責任が生じ、責任をとるとなると天皇家を排除せよ、なんて声があがらないとも限らないのですから。このあたり軍部は解っていないのですが、その事を、つまり『天皇大権』って憲法に書いてある!!と自覚させたのは、実は政党政治家でして、当時第一次大戦後の日本は、戦争景気が終了し不況になりました。それに対する為に民政党は緊縮財政、軍縮を訴え、政友会は投資拡大を訴えました。
1920年代は各国とも肥大した軍事費削減を考え、軍縮ムード。日本においても民政党が政権を担って国際協調路線でしたが、それが行きすぎて軍人蔑視が進んだらしいです。まぁ無理もない。国家予算は五割近くが軍事費という、なんぢゃそら、という状況なんですもん。そして第一次大戦は最終戦争と考えられていて、もう戦争がないなら軍人なんてお払い箱。世間の厳しい空気に若い軍人ほど絶望して過激化するのですが、その軍縮会議に反対する為に政友会が「軍事費に関して政府が主導するのは、天皇の統帥権侵犯ではないか」みたいな事を言い出して、ややこしくなったと。
そして政権を握った政友会は軍事費に対して口出しできる状況にはなく、日中戦争に暴走する軍部を止める事はできなかった、とかなんとか。
二大政党制だと対立軸を何としても作り出さねばならず、こういう事が起こりうる、という前例ですね。
野党というものは政権与党を攻撃するのが使命であり、これはどうしようもなく、与党はその野党の攻撃に対処して、より政策、法律の精度をあげるのが望ましい姿なのでしょうけれども、批判する側が〇能だと、何だか良く分かんない政治混乱を招くだけ、という気がします。
議会制民主主義のいいところは「代わりはいくらでもいる」であり「血を流さずに支持を失ったものは失職する」ところだと思っています。でも誰でもいいって訳ぢゃないし、なんだかねー、と思う時もあるし。ああ、何が言いたいのか解らなくなってきた。あかんなぁ。