pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

まったり

 土曜日は、金曜日の晩に飲んだくれたので、掃除の真似事と深淵オンリーコンのシナリオに手を入れた以外は、うつらうつらしていました。

 日曜日は、アンリミテッドさんに深淵立卓を試み、失敗し、マージナルヒーローズTRPGを初めて遊びました。反射的に妄言を吐いていればいいので、楽しくて楽ちんでした(個人の評価です

 その後、岐阜で飲んだのですけれどもね。

 んで読み終わったものをちょいちょいと。

 

  ついにセンシの過去が明らかになりましたね。意外に箱入り?あと、事が大きくなりつつありますねぇ。外部でもなんかエルフたちが討伐軍を組織したりして。しかし狂乱の魔術師が暴走した理由が、幽閉状態で不死になってしまった人たちにも解らないとは、さてはてどういう事なのかな?次巻が気になりますね。

 

砂ぼうず 21巻 (ビームコミックス)

砂ぼうず 21巻 (ビームコミックス)

 

  あら、灌太、久しぶりですね。前線指揮官ですか、ちょっと出世しているのですね。んで、このエピソードが戦争の初期状態なんですかね?ちょっと前の巻を読み返してみないと前後の事情が解らなくなります。まぁ著者の健康状態をみながら、ぼちぼち続けていただいているので、ぼちぼち続いてくれるなら、もーまんたいですよ。

 

  孤独で傷ついた人の再生の物語・・・で、いいのね?罪悪感で押しつぶされていた幼い姪っこ。一体感を持っていた一卵性双子の姉妹と、成長とともに精神的にも別離していく事に耐えられなかった叔母。その二人がくっついたり、離れたり、傷つき合ったり、癒し合ったりする物語です。最終的には前向きになれたのかな。

 こういう内向的な人々の葛藤と再生の物語は日々自分も体験したいと思ったり、明日も頑張ろうと思ったり、そんな感じになります。綺麗ごとではなくて、生々しい、時には幼子に対しても憎しみを抱いたり、その事に後悔したり、そんな感情の物語が嫌いではないので。

 明日はまた読んだ本の事を書きます。

読み終えました。

 これです。

 

ギリシア人の物語 III 新しき力

ギリシア人の物語 III 新しき力

 

  古代ギリシアペロポネソス戦争後から始まっています。敗北して全ての自信と実力を失ったアテネ。戦争には勝ったけど何かを作り出す事の出来ないスパルタ。そんなスパルタに実力以上の力で挑み一時的に覇権を握るも、国を指導する指導者層、国力の薄さから失速してしまうテーベ。

 混乱の巷になったギリシア社会の北側に『蛮族』とも言われていたマケドニアに、変革者とでも言うべきフィリッポスが現れ、二十年余りでマケドニアギリシアの覇権国にします。そしてスパルタの妥協によりペルシア帝国支配下になってしまった、エーゲ海の東側にあるイオニアと呼ばれるギリシア世界の奪還を宣言するも、事故ともいえる(痴情のもつれが原因とも)暗殺によりフィリッポスは死亡。

 後を継いだのは若干二十一歳のアレクサンドロスでした。十二年余りの業績で大王と呼ばれる事になる男です。面白かったのは彼の能力ばかりでなく、性格からも整合的に彼の行動、なした事が説明されており、自分の中の支離滅裂なアレクサンドロス像が整理され、像を結んだようになります。

 彼が現代に至るまでヨーロッパや中東において大きな影響力を持っているのは、特にバルカン半島やら東地中海限定の文明であったギリシアに普遍性を与え、後のローマと継続性のあるものにした、という事にあるのかも知れません。ちなみにヨーロッパも中東も、そういった意味では互いにギリシア・ローマ文明の後継者と考えている節があります。

 塩野七生さんの作品群では年代的に最古になるこの時代を、最後の歴史エッセイに据えたのは、このアレクサンドロスの爽快感、解放感、そして夭折と言ってもいい最後でもその後の歴史に与えた明るい展望から、なのではないでしょうか。

 発刊から一年半過ぎて、ようやく読むことができました。塩野さんは読者に「グラツィエ・ミッレ」とおっしゃいますが、こちらこそ感謝したいです。読書量に反比例するかのように、再読率が低いアタクシですが、塩野作品はどれも二度以上は読んでいるのです。自分にとって再読に耐える作品と巡り合えるのは、年に数回、あるかないかなので、これだけでも感謝したい。

 本当にありがとうございました。これからも読み続けさせていただきます。

 ってまとめればいいのにねー。

 

人形の国(4) (シリウスKC)

人形の国(4) (シリウスKC)

 

  打って変わって絶望的な超未来世界ですよー。世を拗ねた男が強大な力を手に入れ、主人公は休眠状態。はてさて皇帝の次の一手は?三つ巴の関係が次巻から始まりそうです。どうなるのかな?半年後が楽しみです。はい。

 って書いておかないとね、この本を本棚に収められないからです。

昨日あれだけ書いたのに

 『ギリシア人の物語 新しき力』、まだ読み終えていません。アレキサンドロスの話を熟読したいので、ゆっくり読んでいます。たぶん明日には感想書けるのではないかと。

 んで、その読了遅れの一因(オイ

 

  一応の決着がつきましたが、謎は何一つ解明されておらず、というかプロローグに過ぎないというか、ええ。作者としては長男のエピソードをとっとと終えておきたかったのでしょうかね?そして謎の核心は別の地域にではなく、マロニエにこそあるみたなエピソードでした。

 んで、七兄弟のエピソード、これから別々ではなく錯綜して語られていくみたいな展開・・・つーか、兄弟それぞれに相方をお目見えしていく話なのかなぁ。まぁ少女漫画系なんだしね。

 来年の続巻が楽しみです。

春の雨

 タイトル書いてから、あ、Bonnie Pinkの曲に『四月の雨』ってあったなぁ、と。あ、YouTubeにはなかったわ。割と好きだけどアルバム曲だしなぁ。

 久しぶりの雨とともに今日は冬のような気温だそうです。なかなか今年を最後に処分するセーターを捨てられない・・・まぁいいけど。

 昨日図書館で発刊されてから一年半ほどで、ようやく塩野七生ギリシア人の物語 新しき力』を借りる事ができました。巻末に『歴史エッセイはこれで最後だから』と書いてみえて、読者に感謝を表明してみえます。そっか、塩野さんの認識では小説ではなくエッセイだったのかな。ま、それが妥当かも知れません。小説というには想像部分が少ないので。

 ベストセラーではないけれども、出版社に継続して仕事契約をもらえたのは、読み続けてくれる読者がいてくれたから、と書いていらっしゃいます。しかしベストセラーというものが少なからぬ部数をただ買うために買い、読まれる事なく終わるコレクターアイテム、もしくは見栄の為の小道具と化しているなら、塩野さんの作品がベストセラーでなくても五十年作家活動が行えるほどの読者を得たという事は、本当に塩野さんの作品に身を通し、考え、身に着けていった人々が多いという事かな?とも思ったりします。

 まだ『ギリシア人の物語 新しき力』を読了していませんが、塩野七生という作家は、自分にとって十代後半から現在まで、三十年に渡って読み続け、興味を与え続けてくれた方でした。今でも新刊や借りた本が手元にないと思えば、すぐ傍らの本棚の、一番手に取りやすい位置にある『ローマ人の物語』、それもカエサルの周辺時期を読んでいます。ま、今は久しぶりに『悪名高き皇帝たち』なんですけどね、読んでいるのは。

 最後の歴史エッセイという作品を読んでからこういう事は書くべきでしたが、まぁ他に書く事もなしなので、早手回しに。

 一年半遅れですがお疲れさまでした。そして、こちらこそ、解りやすい形で西洋史に触れる機会を下さって、ありがとうございました。大なり小なり影響を受けている自分を見つけて、意外に思ったり納得したりしています。これからも大切に読ませていただきます。

 再読する事が珍しい人間なので、あたしゃ(書かなきゃいいこと

 

歴史小説家と歴史研究家

 週刊誌で歴史小説家が若手歴史研究者に論争を吹っかけて、論議の焦点がかみ合わずに(というか年長の作家側は権威とか部数とか、経験とか、つまり歴史研究とは異なった事でマウントをとりに来る)終わるという、という話題をツイッター上で見かけましてね。ああ、さもありなん、て気持ちです。

 出版社に対する著作者の発言力というのは、販売部数の多寡によるのではないかと疑っている(まぁ確定)自分からすると、書いた事が「うけた」人間が強い立場になるのが文壇という奴なのだろうと。そういうところで活動している小説家という職種の人たちは自らの著作の部数と経歴が立場を強くし、権威化していくと認識しているのでしょう。

 しかし研究という場は、その結果が整合性が取れているか、言ってしまえばいくら職歴が長くて、論文内容を多数引用されていようとも、その発言全てが無条件に肯定される訳ではなく、整合性が取れなければ否定されるという業界です(たぶん

 つまり語っている土俵が異なる人々が、異なる前提で論争したところで意味があるのか?と思うのです。まぁ研究系の新書では珍しく何十万部も発行できたので、その若手(四十代)研究者に作家が論争ふっかけて話題つくって、結局論議が成り立たなかったという事です。何十万部発行したところで、研究者は出版社や世間に対しては発言力は増すとは考えても、学会ではそんな事はないと認識している訳ですがネ。

 なのでね、作家さんは自分が書いている事は創作物であり、研究成果に基づいて自分が想像力を膨らませた『ファンタジー』を売っていると認識して欲しいです。自分が書いている事が論証もされずに『史実』とか、論証できない奴が悪いみたいな論議は不毛だし、目にして気持ちいいもんぢゃないし、作家への評価を(自分が)下げるだけですが。

 その点、塩野七生さんなんかは賢くて、新聞あたりは『学究』とか評価するのですが、あの方は研究成果に基づきながら、判明していないところを想像力を膨らませて書いており、またご自分が興味を持たなかったところは書かない。なのでご自分のジャンルは『小説』つまり歴史小説とはそういうものですよね。「自分はこう考えるけど、貴方はどう思う?」という疑問を投げかけられていると、読んでいると思うのです。肯定する場合もあるし、否定する場合もある(日本史関係に関しては、昨今の成果が反映されていないので、「古いですよ」と言いたくなるから読んでいない)。でも、それで構わないのですよ。信じる信じないは読み手の判断だし、楽しむ楽しまないも同じく何ですもの。

 あ、これの事を書くスペースが・・・

 

北条氏康の家臣団 (歴史新書y)

北条氏康の家臣団 (歴史新書y)

 

  戦国期の北条氏の中で一番知名度が高くて評価が高い武将期の家臣たちの動向です。これを織田信長の家中と比較すると、織田家がいかに急激な膨張、自転車操業を繰り返してきた存在であるのかが解りますね。重要な部門責任者は一族、一門に任せるのが一般的な(北条氏もそうしている)戦国期にあって、血縁関係にない家臣にそれを任せるという事が、いかにイレギュラーなのか、そういった意味では武田家もそうですが、先見性というよりも、一族の離反や死亡によって信頼できる年齢、能力の一門、一族武将が払底した為に、やむなく、って感じなんですよね。結果的にそれが良かったというけど、あくまで結果の話でしかなく、組織としての強靭さとしては、さて、どうなのだろうか、と。

 この本の感想の、枕にしようと思った話が長くなってしまったわい。

生来の怠け者

 自分の事です。抜けると思った手間は全て省く傾向があり、それが失敗の元にもなっています。そして土曜日にそれをやらかしました。んで、だいたい蓄積した経験則で処理する傾向があり、それが他の人との認識違いを産み出し、更なる失敗を産み出すという事になります。やっちゃった後、口に出した後で、それと認識する失敗です。自分より年下の人たちを不愉快にさせてどーすんだ?老害か。老害かもな。

 そんな土曜日でした。やっぱデータゲーのGM向いてないな、自分。もう自重しよう。

 日曜日は、やっぱりデータゲーのTRPGでしたが、こっちはPLなので特に何とも・・・という訳ではないけれども、まぁ攻略法が見えたので良かったのかな?

 そして読書感想のお時間。

 

  四半世紀近く前の本ですが、あ、そうか。つまりユーゴスラヴィアの紛争、崩壊は四半世紀前の話なんだ。

 かつて多民族融合、非同盟主義、つまりアメリカやソ連、どちらかに追従するのではなく、第三の道を模索するという政治勢力がありました。また、中央集権で覇権主義に陥りがちなロシアの共産主義とは異なった、国情にあった社会主義からの共産主義を模索する勢力があったのです。

 結果として全て失敗でした。第二次大戦で互いに虐殺を行い合った民族は、若い世代の友愛を許容できず踏みつぶし、冷戦がソ連社会主義の崩壊、脱落による西側勢力の不戦勝に終わると、その資本主義の経済支援を仰ぐ他なく、そして人間が考えた、人間心理を無視した体制は、その人間心理故に堕落、崩壊していくという。

 結果として分裂、紛争、民族浄化(つまりジェノサイド)が発生します。

 自分が知っている最も酷い民族浄化方法って、相手民族の男性は皆殺し、女性には「お前がママになるんだよー」行為を強要していく。つまり種族根絶やしなのかと思ったですが、実態は更にエグく、強姦をし妊娠させた女性を中絶できない状態まで追い込み(中絶すれば母体も危険になる程度まで胎児を成長させる)、その後、家族親族の下に帰す。そうなると父権が強いバルカン半島では敵対民族の子を、父権者の許可なく孕んだ女性は一族の恥になり、それこそ封建的な時代のように殺されてしまう。そして殺した一族の間に感情的な断絶をもたらすという・・・ヒデエ。

 本では比較的平穏に独立を達成したスロヴェニアセルビア人を排斥して、つまり武力でセルビア人を国外に追放して独立したクロアチア。独立を達成しながら三つの民族が紛争を開始したボスニア・ヘルツェゴビナ。残部の国で新ユーゴスラヴィアセルビア中心に立てるというところで終わっています。その後ボスニア・ヘルツェゴビナイスラムクロアチア人地区とセルビア人地区で分裂。残部の国々も紆余曲折を経て、それぞれに独立を達成し、ユーゴスラヴィアという国は、名前は完全に消滅します。民族の融合、友愛は、憎悪と経済的不公平の前に敗れ去った例というべきなのか、それとも・・・

 顛末を詳しく調べようと思ったのは、本棚にあった米澤穂信さんの「さよなら妖精」が引っかかっていたからで、きっかけなんて、ほんの些細な事なんです。はい。

あともうちょっと、もうちょっと何です

 二十九年前発刊のユーゴスラヴィア関係の本、後残すは最終章だけなんです。でも、凄く重要な事を書いている本だと思うので、熟読したいのです。

 一応wikiの日本語版で紛争後のユーゴスラヴィアの、つまり現在に近い姿の記述に目を通しました。日本でもニュースが流れたと思うのですが、すっかり忘れていて、かつてユーゴスラヴィア連邦と言われた国が、ほぼ全て分割独立して、それどころかボスニア・ヘルツェゴヴィナに至ってはセルビア人地区とそれ以外に分かれて独立しているし、かつてセルビアを構成していた地域も更に分割されている様子・・・うはーん。

 バルカン半島が民族、人種のモザイク地域だとは知っていましたが、ここまで細分化が進んでいるとは・・・経済的に成り立つとかそういう話ぢゃないんですよ。そしてどっちもどっちで、互いに非人道的な行為を繰り返し、際限ない憎悪を産み出した挙句の現状なんですよね。

 ま、ユーゴスラヴィアを産み出したチトー政権時代も「臭いものには蓋をしろ」的に、第二次大戦中の互いの虐殺行為を隠蔽してしまい、問題解決をしてこなかった事も一因なんでしょうがね。でもチトー自身は民族の融和に草の根レベルで尽力しているんですよねー。ただそれが結局実を結ばなかったという。まぁ互いに怨恨を持ち、習俗の異なる民族が、本当の意味で融和するなんてありえないですしネ。

 しかし改めて当時の様子を読むと、西欧諸国ってどこまでセルビアが嫌いというか、不信感を持っているの?これって生理レベルに近いのでは?という感じです。一時期なんか非人道的な事の全てはセルビア勢力のしでかした事って決めつけている時期もあるし・・・そしてその一因が第二次大戦中にナチスみたいな事をやらかしてユダヤセルビア人を虐殺しまくっていたクロアチア人組織の、ドイツに亡命した人々のプロパガンダらしいってのを読むと・・・なんだかなぁ、って気分になります。

 でも、これが人間の歴史なんですよねー。はい。

 あ、感想は週明けにできると思います、はい。