pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

歴史小説家と歴史研究家

 週刊誌で歴史小説家が若手歴史研究者に論争を吹っかけて、論議の焦点がかみ合わずに(というか年長の作家側は権威とか部数とか、経験とか、つまり歴史研究とは異なった事でマウントをとりに来る)終わるという、という話題をツイッター上で見かけましてね。ああ、さもありなん、て気持ちです。

 出版社に対する著作者の発言力というのは、販売部数の多寡によるのではないかと疑っている(まぁ確定)自分からすると、書いた事が「うけた」人間が強い立場になるのが文壇という奴なのだろうと。そういうところで活動している小説家という職種の人たちは自らの著作の部数と経歴が立場を強くし、権威化していくと認識しているのでしょう。

 しかし研究という場は、その結果が整合性が取れているか、言ってしまえばいくら職歴が長くて、論文内容を多数引用されていようとも、その発言全てが無条件に肯定される訳ではなく、整合性が取れなければ否定されるという業界です(たぶん

 つまり語っている土俵が異なる人々が、異なる前提で論争したところで意味があるのか?と思うのです。まぁ研究系の新書では珍しく何十万部も発行できたので、その若手(四十代)研究者に作家が論争ふっかけて話題つくって、結局論議が成り立たなかったという事です。何十万部発行したところで、研究者は出版社や世間に対しては発言力は増すとは考えても、学会ではそんな事はないと認識している訳ですがネ。

 なのでね、作家さんは自分が書いている事は創作物であり、研究成果に基づいて自分が想像力を膨らませた『ファンタジー』を売っていると認識して欲しいです。自分が書いている事が論証もされずに『史実』とか、論証できない奴が悪いみたいな論議は不毛だし、目にして気持ちいいもんぢゃないし、作家への評価を(自分が)下げるだけですが。

 その点、塩野七生さんなんかは賢くて、新聞あたりは『学究』とか評価するのですが、あの方は研究成果に基づきながら、判明していないところを想像力を膨らませて書いており、またご自分が興味を持たなかったところは書かない。なのでご自分のジャンルは『小説』つまり歴史小説とはそういうものですよね。「自分はこう考えるけど、貴方はどう思う?」という疑問を投げかけられていると、読んでいると思うのです。肯定する場合もあるし、否定する場合もある(日本史関係に関しては、昨今の成果が反映されていないので、「古いですよ」と言いたくなるから読んでいない)。でも、それで構わないのですよ。信じる信じないは読み手の判断だし、楽しむ楽しまないも同じく何ですもの。

 あ、これの事を書くスペースが・・・

 

北条氏康の家臣団 (歴史新書y)

北条氏康の家臣団 (歴史新書y)

 

  戦国期の北条氏の中で一番知名度が高くて評価が高い武将期の家臣たちの動向です。これを織田信長の家中と比較すると、織田家がいかに急激な膨張、自転車操業を繰り返してきた存在であるのかが解りますね。重要な部門責任者は一族、一門に任せるのが一般的な(北条氏もそうしている)戦国期にあって、血縁関係にない家臣にそれを任せるという事が、いかにイレギュラーなのか、そういった意味では武田家もそうですが、先見性というよりも、一族の離反や死亡によって信頼できる年齢、能力の一門、一族武将が払底した為に、やむなく、って感じなんですよね。結果的にそれが良かったというけど、あくまで結果の話でしかなく、組織としての強靭さとしては、さて、どうなのだろうか、と。

 この本の感想の、枕にしようと思った話が長くなってしまったわい。