pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

アメリカ視点

 マッカーサーという人物の評伝。前にも読んだと思うのですけどアレは日本人の研究者がまとめたものだったよーな気がしまして、アメリカ人の手による、それも戦史研究者の手によるものなので読んでみました。

 

 押し出しの強い『演劇』タイプの人物であり、自分に有利になるなら虚偽の発言もしてしまう、まぁ困ったちゃんな人なのですが、女性や従う部下に対しては寛容、公正な面もあったりします。また学習するという面では柔軟であり、士官学校時代に保守派から煙たがられるほど改革をし、それが現代のアメリ陸軍士官学校の基本姿勢に繋がる、ともいいます。参謀総長まで務めた後、在フィリピン軍司令官に。政府とか政敵とかに睨まれて左遷っぽいのですが、当時のアメリカ上層の人間は大西洋側を重視し、アジアを軽視していたのですが(まぁ投資額とかアイデンティティとかからすればヨーロッパに関心が向くには常識的ですわな)、父親が西向きに関心のある人物だったらしく、アジア系の人間に対する蔑視も少なく、結構前向きにフィリピンに赴いたようです。

 んが、日本の脅威に対しては楽観視していたみたいで軍備が整う前に日本軍の攻撃にさらされ、戦史家の著者が「言い訳しようもない失敗」みたいな評価を下すほど。失敗を他人のせいにしたりもする。

 自分、太平洋戦争って日米の戦い家と思っていたのですが、マッカーサーが担当した南西太平洋地域における米陸軍の比率はそれほど高くなく、オーストラリア陸軍が数の上では一番多かったようです。あとフィリピン人部隊。フィリピン陸軍になる予定であった部隊ですね。ヨーロッパではオーストラリアやニュージーランドの部隊がカナダの部隊とともにイギリス軍の一角を占めていたのは知っていたのですが、戦争の前半は日本軍対米豪連合軍みたいな感じ。

 それから日本側からすると圧倒的な物量を持つ米軍ですけど、そんな事はなく、冷静にみれば相対的なものであり、また戦争中盤から日本軍の暗号解読に成功した為、必要な時と場所に戦力を集中させる事ができたこと。あとは日本側は補給を絶たれ、戦闘で死ぬよりも疫病や飢餓で亡くなる兵士が多かった事など、まぁ連合側はインフラ整備維持に成功したけど、日本は失敗したな、と。

 あと日本占領時にアメリカ側が『功績』と誇っているのが疫病対策と食糧問題解決。どちらも統治機構として日本政府の信用がガタ落ちしており(勝てると言っていた戦争にぼろ負けして降伏したのだから国民の信用を失うのは当たり前だよな)、配給用食料の供出を渋るのは当然だし、お金で買い付けようにも円の、たぶん軍票の価値なんて紙屑同然だし、日本政府では配給分を満たすほどの食料、日常品を確保できないと想像できる訳で、それを理解したマッカーサーが最優先で食糧を送る様、強く働きかけたようです。これは当たり前ぢゃないです。ヨーロッパも飢餓が襲っている最中です。配分として日本を優先させたということ。なので戦後に記が疫病で亡くなる人は極端に減らす事が出来ました。日本側の文章だと米軍が来たから、食糧問題が軽減したみたいな感じで記されているけど、裏にはそういうGHQ・・・マッカーサーの意向もあったようです。

 マッカーサーの意向で決まった事は婦人参政権の解放。アメリカ本国よりも進んだ状況になりました。これもマッカーサーが婦人を対等のパートナーと見る傾向があったからみたい。あと平和憲法マッカーサーの発案。幣原喜重郎が発案者にされて、すっげえ不本意だったという話は、彼の評伝で読んだ事あるナ。

 朝鮮戦争の仁川上陸戦、そこから鴨緑川・・・だっけ中朝国境って・・・まで北朝鮮軍を押し込んだところまでが、この人の盛りでしたね。中国軍の反抗が始まると「え、老害?」みたいな感じになっちゃって、たぶんパニックになっちゃったんだろうなぁ。

 退役した後は右巻きの胡散臭い人っぽくなった印象。というか、ケネディもそうだけど、メディアによる虚飾が激しい時代だから、なかなか本音を見にくい時代だったよーな気もします。太平洋戦争中は、失敗は人のせいにするけど柔軟性があって協調性もあった人でした。あ、アイゼンハワーの上官時代は能力は認めていたけど性格は合わなかったようです。はい。というかアイゼンハワーの能力をいいように使いまわして、彼をうんざりさせた面があったらしい。なんか、こう、今の日本の経営者にもこういう人、いるよな、って感じでした。