pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

ハードボイルドな

 ハードカバー版は図書館で借りて読んでおりましたが、文庫版を待っていたので購入しますよ、はい。

 

機龍警察 暗黒市場 上 (ハヤカワ文庫JA)

機龍警察 暗黒市場 上 (ハヤカワ文庫JA)

 

 

 

機龍警察 暗黒市場 下 (ハヤカワ文庫JA)

機龍警察 暗黒市場 下 (ハヤカワ文庫JA)

 

  ハードボイルドなパトレイバーというべきで作品群でして、パトレイバーは土木作業用ロボを使った犯罪が増えたから、それに対処する為に設立した部隊でしたけれど、こちらは最初から機動兵装、つまり市街戦用の軍事目的のロボに対処する為の警察部局として描かれています。しかし警察官僚からは部外者の外務省出身の責任者とか、兵装搭乗者は、どーみても警察官以外から登用された、良くて傭兵、悪くてテロリスト出身者たち。事情を知らない警察官たちは、その事に反感を持ち、この部局は孤立しているのですが、そうせざる得ない事情が上層部・・・高級官僚や政治家たちの対立に起因しているので、現場レベルは軋轢を起こしながらも犯罪に対処しなければならないという物語。

 ハードボイルドだから、ですが、上層部の足の引っ張り合いで現場が右往左往迷惑する様が描かれているのが好きなんです。どうにもならず現場が無力感に襲われて終わる訳ではなく、対立構造があるからこそ、押しどころがよければ現場がその能力を発揮できる状況になる、とか。そういう展開が好きです。

 今回はその搭乗員の一人、元ロシアの警察官で汚職というか上層部の対立に起因した陰謀の犠牲者になり、辛くも犯罪者となって生き延びてきたユーリという人物の過去、今にまつわる物語でした。

 凄惨で、非人間的で、非情な状況の中で、時折光る人間性みたいなものが好きなんですよね。ユーリとは対照的な生い立ちの幼馴染が、単純な好悪では理解できない行動をとり、彼を助けたり、窮地に追い込んだり、利用したり・・・なんか、そういうドラマとかも好きなんですよね。

 このシリーズ。いわゆる『敵』と呼称される、どちかというと汚職が多い対立閥が存在するのですが、その連中が頻繁にちらほらしてくるエピソードになると、何故か話が陳腐に感じられるのですよ。まぁどういう敵なのか、その全貌が解らない事もありますが、非常に短絡的な目的で対立しているのか、もしくは別の国益を優先させている為に、足を引っ張る行為をしているのか、それが判別しない。それが判明した時に、クライマックスに向かって走り始めてしまうのでしょうけれども・・・

 あと、数年前に比べると物語に登場するテロとか汚職とかが時代を感じさせるものになりつつあるなぁ、とか思ってしまいました。IRA系のテロは和睦が成立してからは日本ではほとんど聞かないですしね。状況が変われば別の事にリアリティが発生するのかなぁ。

 文庫化されていない本もありますし、そちらも気になりますが、新作が発表されて物語が進展するのも楽しみです。

TRPG分を補給

 日曜日に『サンサーラ・バラッド』というTRPGを遊ばせていただきました。GMさんがハウスルールを入れて、よりスピーディに遊べるした形で。

 この作品は、戦闘システムが興味深いのですが、説明していただいた設定やシステムそのままだと、まぁ、戦闘が長引いてダレる可能性が高いと判断していたので、より快適にセッションができたかなぁ、と。システムの肝の一つであるチートを気安くプレイできないと、やっぱり戦闘はつらいですからの。

 さて読み終わったもの。今回は漫画ばっかり。

 

  wikiで調べれば、新九郎、つまり伊勢宗瑞の生涯はだいたい追えるので、つまり事件の顛末も想像できたりします(とはいえ明確な史実はこの巻で出てきたお寺の禁制が最初というだけでして、後はゆうきさんの創作です)が、やっぱりねー、切ないですよねー。お互いいい感じに思っていたけど、当時は身分ある相手同士なら政略結婚でないと結ばれないし、目上の親族がいない備中荏原において、新九郎が自ら縁談をまとめるのも難しいし。もちろん結婚したけど子を成さずに別れたとか、夭折したとか、そういう物語もありですけれど、なんにせよ悲劇にしかならない・・・やっぱり切ないですねぇ。

 あとは応仁の乱前後の武士たちの、世代的な意識格差みたいなものが描かれていて、やっぱりゆうきさんは上手いよな、とか思いました。

 次巻から京に戻るようですが、どーなるのかな?発刊は初夏だそうで、楽しみです。

 

軍靴のバルツァー 13 (BUNCH COMICS)

軍靴のバルツァー 13 (BUNCH COMICS)

 

  前巻の発刊は何時だったかな?とか思いましたが、前巻は絶望的・・・とか思っていた状況が少しばかり前向きになってきました。ハード面では圧倒的に不利ですが、ソフト面では放蕩王子の人脈がそれなりで亡命政府として機能しそうな気配です。どーなるのかなぁ。あと、紅一点の方がダークサイド担当になりました。それもまぁ良いかな?

 

ダンピアのおいしい冒険 2

ダンピアのおいしい冒険 2

 

  今回は半分ぐらいが回想なので、珍しいものを食べる、という情景はそんなに多くはなかったです。でもぼんやりだった時代背景が解ってきました。英国の、名誉革命前です。それが彼らの冒険にどんな影響わ与えるのですかねぇ。しかしダンピアくん、思ったよりも低階層の出身で、よくもまぁラテン語とか読めるようになったんだなぁ、と。ラテン語なんて書き文章・・・あ、そうか。公文書とかはまだラテン語で記されている時代だっけ?それなら覚えてもおかしくないか。

 さて、次はいつ出るのかな?

『豚の歴史』

 この人は百姓の歴史をやりたいと言った学生に、そんな事はやめろといい「豚に歴史がありますか」と言ったといいます。

 

 

  皇国史観の代表的人物というだけで毛嫌いしていたと思うのですが、このエピソードに接した時に悟りました。この人は『偉人』と言われる『看板』しか見ていない人なのだと。今となってはその考え方は古すぎるし、十九世紀の物の見方だと思うのです。この人が活動した大正時代でさえ学者からすると違和感のある感じ方であったらしく、そういう意味でもこの人は神皇正統記を聖書とする、後醍醐天皇を主神に据えて北畠父子や楠木正成らを神族とする南朝教の神主であるという方が正しい気がします。

 歴史はそのほとんどが支配者であったり指導者の視点でしか描かれていませんが、その彼らをそういう立場にたらしめたのは、彼らがそう振舞えるだけの財力を租税として供給した民衆の存在が不可欠であり、彼が崇拝した後醍醐天皇が何故権力の座から転げ落ちたのかと言えば、その朝令暮改、側近重視の行政に徴税担当である武士から三行半を突き付けられたから、とも言えます。自分たちの生存、安全を保障してくれない支配者など不要なのです。この人は、その事を理解していない。光り輝く看板しか見ておらず、その看板を支えないものが悪いという思考なんですね。

 民衆を軽視していると思えるのは、特攻兵器に臨みを託していたというエピソードでも裏付けられると思います。飛行機の方は直接かかわっていないようですが、人間魚雷『回天』の開発は間違いなく彼の門下生によるもので、命を賭して敵を倒すという方法を推奨すること自体、人という資源を軽く見ている証拠ではないかと思うのですよ。その技術を取得する為に、一体どれほどの時間が費やされたのか。そういう考え方ができない。

 もともと神主の家庭出身でそういう傾向があったとはいえ、最初は考証学の手法で中世文献を研究、論述する学者であったのですが、精神論者へと傾斜するのはヨーロッパ留学で共産主義への恐怖を感じ取ったから、かもしれません。当時としては秩序破壊の代名詞であった共産主義者に対抗するよりどころは、旧来の秩序への依存しかなかったのかも知れませんが、あまりにも夢想的に見えます。何故かといえば、彼がブレーンを務めた近衛内閣は、盧溝橋事件から始まった陸軍の暴走を制止する事ができず、楽観論で日中戦争を始めてしまい収拾する事を自ら放棄するような事をし、経済的な生命線である英米との関係を悪化させてしまい、ついには政権放棄してしまったのですから、問題解決に寄与した事などあったのかな?と。

 また戦争遂行の精神的な支えを彼が与え続けた事は否定できないでしょうし、最終的な支持は与えなかったとしても、無条件降伏に反対する将校たちがクーデターを起こそうとした事件の精神的な支えも彼であった事は間違いない。軍人の暴走を期せずして増長させたのは確かです。

 天皇を絶対的に支持しながら、為政者としての教育を受けた昭和天皇には胡乱な目で見られ、弟宮たちから支持されるというのも、彼の言説がどういったものであったかを象徴するような気がします。

 これだけの事をしていたら戦犯の末席に列しようなものですが、占領軍が日本軍慰撫に使えると判断したため、おとがめなしの処置になっています。そして著作や講演をこなして、今日的なタレントのような活動をし、九十歳という天寿を全うしています。

そ戦時中に大陸で悲惨な戦闘を経験した司馬遼太郎が、彼の家であり神主を務める福井.勝山の白山神社を訪れる機会があった時、会わなかったといいます。自らの悲惨な体験の元凶に、少なくとも精神的に関わっただろう彼に触れたくなかったのだろうと思うと、自分も司馬遼太郎と同じような気持ちなんだろうなぁ、と感じました。

 彼だけが悪いわけではない。しかしその人生、運命に釈然としないものを感じるのも確かです。

 だから自分は、この人が嫌いなんだ、と納得する事ができました。 

桃鉄も終盤

 昨夜はYouTubeなんぞ流しながら桃鉄やっていました。物件は一つ残して全て購入しました。あ、地区鉄道会社は別です。10兆円の桃太郎ランド購入は、なかなかジリジリしますなぁ。まぁ時間の問題なのでいいですけれど。

 平泉澄の評伝を読み続けていますが、この人、歴史学者というよりも後醍醐天皇を主神として、楠木正成北畠親房、顕家父子など信仰する宗教の神主といった方が正しくない?と思いましたね。人間誰でも自分本位のファンタジー世界を持っていると思うのですけれども、この人はそれが正しいと信じて人に布教してくるので、それが自分としては一番嫌いなところかな、と。『面白い』とか『興味深い』で人様から勧められるのは受け入れる人間ですが、これが『正しい』と言われると「バカいえ」と言ってしまいたくなる人間なので。貴方にとっては正しいかも知れんが、アタクシにとって正しいかどうか解らんだろう、とか思ってしまうので。

 あと、近衛や陸軍皇道派とつながりがあったとか知ると、あ、旧日本でもファンタジー色の強い人間だし、満州国の皇帝となった愛新覚羅溥儀神道講義をしたとかって、外国人に日本固有と信じる神道を勧める?それを信じるのは日本人だけなんでしょ?外国人の溥儀に勧める意味が解らない。こういうところが自分が正しい事は世界一般にも正しいと信じる押し付けがまさで、嫌いなとこですね。

 ただこの人が『国体護持』という国家主義国粋主義に入れ込んだ理由が、大戦間期に流行っていた共産主義への危機感であり、共産主義が唱える『革命』が既存の秩序の破壊、つまり天皇を害する恐れが彼をして右傾させた、とも言えます。

 まだ1/4ほど残っているので読み終わったら、続きを書きます。

 んで読み終わったもの。

 

ノッキンオン・ロックドドア2

ノッキンオン・ロックドドア2

 

  これ、この巻の最終話を書くために始めたシリーズなのかしらん?とか思うような感じでしたね。とはいえ準レギュラーになりそうな新キャラクターも登場しているので、ここで終わってもよし、続けてもよし、みたいな展開ですね。個人的には登場するキャラクターたちがツボにはまって楽しいので、続刊して欲しいところですが。

 しかし青崎さんには、裏染シリーズや『アンデッドガール・マーダーファルス』など、次の巻が待たれる作品もありますし、期待しつつも待ち続けるしかないかしらん?とりあえずこれは文庫版が出たら購入という事で(オイ

見たのは『麒麟』のみ

 先週日曜日までの、つまり放映分は見ました。

 やっぱり比叡山の虐殺を非道な事件として信長の行為を非難する論調になるようですね。しかし象徴的なのは、もっと手ひどく非難するかと思っていた駒が「戦にいいも悪いもない」と言っていた事ですかね。

 自分の理解だと(つまり最近の説だと)宗教組織として信長は比叡山を殲滅したのではなく、敵対する政治組織として殲滅しており、また命令の主体は興福寺のお偉いさんでもあった義昭ではないか?という説もあるよーな・・・つまり、ドラマとしては折衷を取ったのかな?でも仏法がどうのとか言わせているな。やはり従来説よりか。

 大河ドラマがファンタジーという事を心得た上でも、前回のドラマの、つまり摂津晴門による明智暗殺未遂事件の展開は、ええっと、ドラマが過ぎるよなぁ、と。足利義昭人間性にすがった暗殺回避だもんなぁ。人間ドラマとしての表現なのだろうけれどもね。光秀よりも遥かに文化人要素の強い細川藤孝が武闘派めいて語られていて、息子の忠興と間違えてません?とかね。

 あと、本能寺の変の伏線が張られ始めましたね。そして自分はどこまで「麒麟が来る」を見続ける気力が持つかなぁ、とか。気力と言っている時点でアレなんですが、気になるのが、本能寺の変で親友細川藤孝と、いい感じの仲、筒井順慶が何故味方しなかったか、それだけなんですよね。それ以外は割とどーでもよかったりするのです。なんか脚本がどうも肌に合わない感じがしてきてねー・・・

 読み終わった本はまだないです。しかし読んでいる途中の本は三冊でして、短編ミステリー集が一番読み終わるのが早そうですが、途中の感想は、ずっっっと忌避してきた『平泉澄』の評伝かな。日本中世の研究家ですが、国家主義者、国粋主義者として戦前の史学会や軍国日本の精神的支柱みたいなイメージがあり、軍国主義日本が嫌いな自分としてはあんまり触りたくない人なのですけれども、ちゃんと知らずに嫌うのもいかがなものかと思い、とりあえず評伝を読んで嫌いになろうと思った次第。

 研究姿勢としては考証主義で、ファナスティックなところはないという評価を目にした事があるのですが、この人よりも前の研究者である田中義成とか渡辺世佑といった方たちの論文は現在でも引用されているのを見た事があるのに、高名な割に平泉澄の論文が引用されている事例を、寡聞ながらあんまり見た事がないのです。何故かなぁ、と思っていたのですが、どうもこの方、日本中世史と精神史で成果を残し始めた頃にヨーロッパに留学し、その時に危機感を感じて国家主義国粋主義を学生や世間に教化する、どちらかというと思想家の方に自らの活動を軸足にしてしまったようです。

 あと、その研究姿勢も当時にあってさえ保守、いや古い体質で、有名な「豚に歴史がありますか」と発言は「無名の人々に歴史はない」「歴史は著名人の個人的業績さえ追えばいい」という今日から見ると、特に80年代90年代に民俗学の成果から歴史学が深化した事を知っていると(そして自分も物語としての『歴史』から現在の論述への興味に目覚めたのが、大学生当時にジェンダー問題を日本古典から論じてくれ講師の方のおかげかなぁ、と思い返しています)、その姿勢が得るところのない古さ、と感じずにはいられないのです。

 つまりこの人は歴史研究者というよりも国家主義国粋主義的思想家として評価する方が正しいのかな、と。つまり自分が嫌いな理由が解ってきたという・・・まぁ読み終わるまで結論は出ませんがね。

昨日の日記は変な文章

 合間のちょいとした時間の狭間を見つけて、せかされるように一気に書いてしまい、推敲などしておらん当日記は、書き手であるアタクシの頭の中でも未整理な状態で文章を書き始めるので、文脈がダメな文章がしばしば出現します。昨日の日記はまさにそうだったなぁ、と。直す気は毛頭ありませんが(オイ

 昨夜は桃鉄をやる事に熱が入りすぎて録り貯めた「麒麟が来る」消化ができませんでした。今夜はやりたいところ。先週は今の蛍光灯がスイッチが入ったり入らなかったりと、なんだか煮え切らず、日曜日に電気屋さんにLEDに変えてもらうまで落ち着かなかったものですから、録画を見る事もしなかったですよ。ワンタッチで取り換えているのを見て、あ、電気量販店で買ってきて自分でもできるんぢゃね?とか思いました。次回故障した時、覚えていたらやろう。

 桃鉄は100年プレイ折り返しまできました。10兆円の桃太郎ランド取得が目的になっています。他にも鉄道省の兆を超える物件を買うとか。もっとも難易度が低い奴でそれをやって満足したら、ちゃんと戦うプレイをする・・・かな?ボンビーの苛烈さを見ていると借金を積み重ねていくプレイも楽しいかもしれぬとM傾向に走りそう。

 さて読み終わったものの残り。

 

小説 イタリア・ルネサンス3 ローマ (新潮文庫)

小説 イタリア・ルネサンス3 ローマ (新潮文庫)

  • 作者:塩野 七生
  • 発売日: 2020/11/28
  • メディア: 文庫
 

  朝日文庫版では最終巻でした。主人公とその愛人(恋人よりもふさわしい)である職業高級娼婦との悲しい結末が描かれています。たぶん以前の版を読んだのは二十年近く前なので、ストーリーは覚えていますけれども、細部は忘れていますので、訂正部分はどこだったのか、解りません。でもラストの、若きファルネーゼ枢機卿の「私にそれを言わせる権利は貴方にはない!」というセリフあたりの演出というか、ストーリーというのか、その流れは好きです。やるせなくて、切なくて。これだけだと何言っているのか判りませんよね。でも書いてしまうとネタバレになってしまうしなぁ。

 史実では法王パオロ三世の孫であるファルネーゼ枢機卿は正妻の息子となっていますが、当時の風習では長男は世継ぎであり聖職者にする事は、まずない。そのファルネーゼ枢機卿という高位とはいえ何故、聖職者になっているのか。それを著者なりの妄想というか、想像力で解決しているのがミソ、ですかね。

 今月二十三日にこのシリーズの、おそらく本当の最終章が発刊されるのですが、それが今から楽しみです。塩野さんの感性が大学時代からの自分を育ててきた部分があるので、おそらく塩野さんの最後の作品になるだろうこの小説が楽しみでならないのです。

読んだり見たり遊んだり

 この週末は引きこもって本を読んだり、『宇宙戦艦ヤマト2199』を久しぶりにみたり、桃鉄をやったりしていました。悪い癖で本読みとゲームは同時進行(オイ

 ヤマト2199を購入した理由が2202があまりにも凄惨な戦闘シーンの連続で、つまりドラマとしてはそれほど複雑ではなく、2199のガミラスほどに政治的な内戦状態が発生しないガトランティスは、どちらかというと内証的な葛藤が描かれる事が多く、なんかそういうものが、星々を滅ぼそうという非人間的な行為と相いれない気がして飲み下せなかったからかも知れません。物語としては出来がいいと思うけれども、なんか納得できなかったんですよねー。続編の噂のあるヤマトですが、たぶん見るけど・・・どーだろ?

 読んだのはこちらの作品。

 

キアズマ(新潮文庫)

キアズマ(新潮文庫)

 

  同じシリーズの『スティグマータ』を狙っていましたが図書館にはなく、どうやら貸し出し中のようだったので、こちらを読みました。今までの作品とは異なり、まったく別の登場人物による、大学生による自転車競技のお話です。ミステリーよりもスポーツものよりの物語ですが・・・この作品を読むとスポーツとか、教師とか、指導者とかへの不信感が募りそう・・・ま、そういう不幸なめぐりあわせで傷つき、障害を負ってしまった人々のエピソードなんでしょうけれども、世の中には誠実な人ばかりではないと承知していますが、取り返しのつかない身体的な傷を負ってしまう可能性があるスポーツにおいて、自己本位な、非誠実な指導者の話に接するのは、創作とはいえ不愉快だし不信感を感じるものです(中学時代に体育で自分自身の迂闊な行為の結果とは言え、全身を強打して失神した事があるのです。その時の先生は今から思えば対応が未熟だったかも知れませんが、非誠実とは言えませんでした。事情を知った父親が中学に怒鳴り込んでいった事は、少し気恥ずかしかったですが、しかし失神から目覚めたとき、自分は一人で立ち上がる事もできませんでしたし、子供の大丈夫は信用ならないというのも今から振り返れば理解できます。こういう事は過剰対応で丁度いいのかもしれません)

 人を信じないと社会は成り立たないし、人に信じてもらわなければ生きていけない。なーんか、変な方向に思考が向いてしまいましたね。

 

  フレンチ・ビストロのシェフが日常的な、ちょっとした疑問みたいな謎を解いていくシリーズの第三弾ですね。文庫化は今年でした。これ読んでいると、同じようにワイワイガヤガヤしながらフレンチを食べる店に行きたくなります。予約しないとダメな店だし、そこに行ったらがっつり飲んで食べたいけれども、それなりの値段があるので「財布の覚悟完了」って気持ちにならないとダメだし、一人で行くと寂しくなってしまう店なので(たいてい二人以上、グループのお客さんばかりで店内は騒がしく、一人で静かに過ごす雰囲気ではない)、たいてい人と行くのですが、自分と同じように葡萄酒を飲んだり食べたりできる人って二人ぐらいしか思いつかず、そのお二人とも現在名古屋市内においでではないので、あきらめるしかないという状況・・・新型コロナウイルス禍を生き延びていただいてくれれば、またいける日もくるかなぁ・・・

 あ、内容にはほとんど触れていませんね。明日はそんな事にならないようにしないと。