pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

どちらを先に書くべきか

 それによって題名が変わるよなーっと思いましたが、『鎌倉殿の13人』の方を先に書きます。善児がグッバイしてしまったので。初登場以来汚れ仕事を一身に引き受けていた彼が、心をほだされた一幡が手習いで繰り返し練習していた『一幡』という自分の名前。恐らくほとんど字を知らない善児にとって、ほぼ唯一知っている字がその二文字で、それをよりによって一幡の父頼家を襲撃した際に目にして怯み、不覚を取ってしまいました。そしてその後に後継者として育てたトワに親の仇と・・・

 たぶんそうなるんぢゃないかな、と思っていました。だがそのシーンが何処になるのかってとは想像していなくて、「修善寺」という題名で、トワの両親を範頼とともに手にかけたその場所で、彼自身が仇として討たれるとは・・・物凄く色んなものを引っ掛けているなぁっと。これ以上の死に場所はないかも知れない。

 おかげで・・・すみません。本来最も重要な頼家の死が、個人的には吹っ飛んでしまいしました。自分の中で順位が逆転してしまた・・・

 そして武蔵国に対する時政ぱぱん、いや、りくさんの軽い気持ちの野心が、おそらく次回以降、もっともTwitter民が悲鳴を上げる事件になるのではないかなーっと。あふう。

 んで迷いに迷ってこれを上げときます。

 

 本来、まったく自分の趣味ではないジャンルの作品で、アカデミーの外国語賞をとったからって、それ興味本位に録画しておいたので見たという。三時間超えの長丁場なのですが、途中で居眠りするかも、と思っていたのに、結局全編通して全て鑑賞しました。筋とか主人公への共感とかはあんまりないです。それよりも、演劇人の主人公が複数の母国異言語者たちを俳優して用い、互いにセリフを理解していなくても脚本読みの稽古を繰り返し行う事で、音としてそれに反応し演技をするという作中演出が興味深かったです。こんな風な演出をして演劇を行っている人って実在するのですかね?原作にあるのかな、こういうの。あ、村上春樹が好みぢゃないので。すみません。

 だから何が言いたいのかというと、まったく好みぢゃない種類の作品なのに、この監督、スタッフは三時間こえの作品を見せる力があるという事で、自分からすると物凄い才能の人々たちに思えました。

 他の作品も見ようかな、とも思いましたが、この監督の作品、だいたい長いのですよね・・・ふんぎらないと見る気になれないかも(オイ

書いてたいのが溜まってる

 だいたい感想は、ガンガンこなしているつもりなのですが、今週は次週に持ち越しという本も結構ありまして、たぶん感想書くのに熱くなっちゃって分量が多くなったからなんでしょうね。

 でも今日のはそんなに増えない筈です。

 

 中国の近代から現代文学を専門に扱っていらっしゃる研究者の方の、中国各地を訪問した際に飲んだ酒とか、当時上映していた映画から中国映画の盛衰とか、小説とか詩とか、だいたい最初に中国留学された1970代終盤から研究者として訪問し続け、2000年、そして2010年代の事を書いています。

 まぁ自分が主に興味があるのは酒の事なんですが(隠す事でもない

 中国映画に関しては、自分がアクションやミステリー、SF、ファンタジーが好きなせいか「うーむ・・・もうちょっと頑張って欲しいなぁ。女性俳優さんは好みだけど」って思う事が多いし、小説も読んでみたいのはSFの『三体』シリーズぐらいなので。あ、でも少女騎士団ものを書いている方のは(名前忘れた)、マンガやライトノベル的でなく覚悟完了の気合の入った少女騎士ばかりで王女殿下と王国の為に戦闘訓練どころか政略結婚だってばっちこい!!って男前な(少女ですが)人たちの話で好きでしたなぁ。初っ端から主人公の友人が作戦行動中に戦死する塩っ辛さも好みだった・・・

 あ、話がそれましたね。

 中国のお酒でお気に入り、というのは実は・・・あ、白酒で高いのが「香りが好みで美味しいなぁ」と思った事はあったのですが、毎回銘柄を覚えない。北京の二鍋頭というのはこの本の著者の方は美味しいって書いていらっしゃって、この銘柄は見た事あるから中華料理屋さんで試してみたいとは思っています。

 醸造酒の紹興酒は、良く解らない。皆同じ味に思える。何か明確な違いがないのかしらん?とは思うのですが、もしかしたら日本に入ってきているのは全部同じ銘柄なのかな?と思ったり。

 中国の葡萄酒も美味しいものがあるようですが、コスパ的に南米物がいいなんて中国本土で言われているという事は、外国の日本で手に入る中国葡萄酒で美味しいものを味わおうとすると、それなりの出費は覚悟しないと後悔するって事なんですかね。そういえばこの夏、頂き物の北海道の甘口白葡萄酒が、警戒しながらいただいたのですが、上品な甘さですっきりとした飲み口で、あ、これなら美味しいと思ったものです。頂き物だから値段が解らないのがアレですが。確か余市の会社で葡萄酒銘柄に醸造者ではなく葡萄生産者の名前を付けていたなぁ。珍しいなぁと思いましたね・・・

 あ、もう一冊感想を書くつもりが、この一冊で、しかも本の内容とは無関係な事で埋まってしまった。いや、中国のお酒の話で埋まっているからいいか。

 そういえば中国の麦酒といえば青島麦酒なんですけれども、バドワイザーっぽくってアレだなっと思っていたのですが、最初はドイツ人が作っていてあちらの味わいであったのが人民共和国時代になってから今の味になってしまったみたいです。

 やっぱり軽い飲み口が受けるのかね。そうでしょうなぁ。ドイツ人が作っていた時代の青島麦酒、飲んでみたいけどなぁ。ムリか。

疾風の様に~♪

 四十年ぶりに全話通して見ました。

 

 リアルタイムで見ていた子供の頃は、そんなに好きではなかった記憶があります。後番組の『聖戦士ダンバイン』や『重戦機エルガイム』の方が好きでした。しかし三十代過ぎた頃、両作品をDVD-BOXで購入して見てみると・・・んー??思い出補正がかかっていたのか、なんか釈然としなかったのですよね。ダンバインは主人公側が旧守派みたいな価値観で、敵側は過酷な競争原理がある(ように見える。逆に言えば手柄を立てれば誰でも立身出世ができるとされている)とは言え近代的な考え方で、便利なオーラ・マシンを発明、実用化し、異世界バイストン・ウェル産業革命を起こしたようなもの。のこにバイストン・ウェルは魂の安息地だから近代化とか競争原理とか、そういうのを持ち込むのはアカン、になるのだけれど・・・中世的封建世界が幸せなのか?と思うと袋小路に迷い込む。

 エルガイムは、なーんか脚本の繋がりが悪い部分があって、それが気になってしまうのですよ。一人の人間が全ての脚本を書いている訳でなく、複数の人間が手分けして書いているので、そういう物語上の齟齬が発生してしまう時がある。それが気になる・・・

 んで五十もこえた、おっさんがザブングルを見ると、別に悪くない。もちろんコメディをドタバタとしか描けなかった、という製作者側の反省も解るけど、登場人物たちのあっけらかんとした前向きなバイタリィが眩しい。悔しいとか怒りとか、説明できないけれど爆発する行為が、鬱陶しくもあるけれども「そういう時もあるよねぇ」と思う自分もいる。

 富野由悠季さんは当時から「全滅の富野」と言われているぐらい手掛けた作品で登場人物の大半が死んでしまうのだけれども、この作品は主要レギュラーはほぼ死なずにラストまで行き(甚だしい事に主人公が登場するきっかけである両親の仇ティンプさえ死なずに最終回を生き延びる)、敵役たちも何処か憎み切れない可愛いところがあり、楽しかった。もちろん物語的には落ち着いたドラマ展開、演出がないので薄いって感じがするのですが(支配階級イノセントへの対抗組織ソルトがいまいち良く解らなかった)、ミーハーな動機で一生懸命になる人々も可愛くて最後まで見ていて飽きなかったです。

 たしかプラモデル化されていたけれどガンプラほどはやらなかったナ。たぶん原因は作中のセリフでもあるように敵味方同じようなマシンに乗っいて、カラーの区別も分かりにくく、つまり特徴的ではなかったからかな?今もあんまり見分けられなかったもんなー・・・まぁそういうところがもともとの仲間が、ノリと勢いで敵味方に分かれているだけで、あんまり憎悪が残らないドライな感じのまま、ラストシーンに繋がったのかな。

 『未来少年コナン』がやりたかったみたいな話、スタイリッシュコメディがやりたかったという話も聞きますが、そういうのがのちの作品、特にスタイリッシュコメディは『カウボーイビバップ』みたいなものになっていくのかな、と思ったりしたり。

ほんとに知れば知れるほど・・・

 旧日本軍の組織的にダメなところが目に付くというか何というか、そういう組織だから日本滅亡とも言える状態になってしまったのですけれども。

 

 散々な評価のインパール作戦については補給の面から検証されたものを読んだ事があるのですけれども、これは主に作戦を立案、実施した責任者であり『愚将』のレッテルを離れている牟田口廉也という人の評伝と作戦が提起され実施、敗北を受けての中止に至るまでを追った本です。

 著者が牟田口という人物の評価に義憤を持って書いているのは一目瞭然なのですが、確かに牟田口廉也という人物を『愚か』と評価するのは安易と思えます。それを言うなら旧日本軍の意思決定に関わった人間は全て愚かと言えます。まぁ愚かなんだけど。

 インパール作戦は、中国の重慶政府への補給路遮断と英領インドを攻撃独立させ、イギリスから継戦能力を奪い、戦線から脱落させる事を目的として計画されました。ただ計画された当初から兵力、装備、補給、制空、全ての面で劣勢であり、牟田口本人もムリと判断。しかしこの作戦が大本営に意向であると認識すると、「上層部の意志を実行するのが実働部隊の義務」と判断、一度不同意を示しただけに一層作戦実行に意欲を見せます。

 この判断は牟田口の個性というよりも日本軍が各実戦部隊に求めていた姿勢で、つまり、大体の方針を中央が決め、前線部隊がその目標達成に努力するという、大日本帝国憲法が作られた当時の思想に基づいています。現地ほど情報に明るくない後方はアレコレ口を出さず戦略目標を設定し、前線部隊が自軍の実力の範囲でその目標に達するという奴。統帥権の独立ってのも、もともとはこの意味だったらしい。

 んが、上からの命令が決定されたからには遮二無二それを達成する努力を無制限に求められると考えたのは牟田口はじめ当時の日本軍の、なんかダメな方向に発揮されちゃった努力と見えます。現場は劣勢である事が解っているのに、それを実現する為にやるって・・・たぶん戦記物とかで劣勢を覆して勝利を得るって事を『英雄的』行動って賞賛していたからかも知れない。だがあれは不正規な戦果であって、幸運によっぽど恵まれないと失敗のリスクが高い山師的な行動でもある訳で、解っているのにやらざる得なくなる事に自分から入り込んでいく。

 それでも少しでも状況を改善する事はできた筈なのに、「軍人ならば」「日本人ならば」「同期ならば」「あいつならば」解ってくれるっていう思い込みで『報連相』が滞り、他にも現地の事を知っている参謀が人事異動でいなくなっているとか、人間関係がアカン連中がいるとか、戦時でありながら平時の人事、政争の結果の、適材適所でない人事とかもあり、悲惨な結果はもっとも現場の、一番下っ端の一般兵が押し付けられるという・・・現代日本ブラック企業と同じ構造ですね。日本人って変わっていませんね。

 牟田口自身は前線最高指揮官である自らの責任であると背負い込み、それ以外にも責めを負うべき連中が口を閉ざし、牟田口を非難したりしている事に著者は憤りを感じています。

 自分には大日本帝国憲法が、政治はともかく、軍事に関しては責任を問えない人に最高責任を預けてしまったが為に、無責任体質の軍隊になってしまったの宿痾が凝縮されているようにしか思えない作戦でした。

 ほんと、こういうやらかしをした人間を祀っている〇国神社を参拝にする気になれないのは、こういうとこなんだよな・・・護国神社も行った事ないけど(あ

読み終わった本が溜まりました。

 予想以上に読み進みが早かった、というか、まぁ暇という事ですよ、はい。

 

 イメージ的に、一人対多数の異性、あるいは性愛対象にチヤホヤされるというのが『ハーレム』かと思われがちですが、ちゃうよ、というのがこの本の趣旨です。資料的に一番残っているのがオスマン朝の時代のものなので、それが論考の中心なんですけれども、ぶっちゃけて言ってしまえば、血縁後継者の再生産を合理的に突き詰めていった末の存在である訳で、世襲王朝の宿命、存在理由である血縁者による政権主催者継承をスムーズに行う為にあると言って過言ではない、と。

 昨今の皇位継承者問題にもある通り、本来出産は運任せ。臨月を迎えて出産するのも、五体満足で生まれるかも、男女の別も、現代では医療のフォローがありますが、基本的には運頼み。数うちゃ当たる的にやらないと安定的に男子を得る事も難しい訳で、その為に複数の女性を君主の夫人、妻妾として用意する、というのが第一の目的。

 その複数の妻妾と君主自身の世話をする女官たち(妻妾候補でもある)、必要な男手として宦官。彼らの住居、生活の為の諸施設。君主の子女の為の教育機関までも含めてハレムなのです。つまり君主のプライベート空間。

 またオスマン君主は政略結婚相手との間に子供を設けない傾向にあり(姻戚影響を極力排除する為、らしい)、周辺勢力から抜きん出た、つまり対等の国力の勢力がなくなった時点で対外勢力との婚姻をしなくなり、女性奴隷のみを婚姻対象とするようになったと。性愛面からすると男が思うがままに性的欲求ぶつける為だけと捉えがちですが、政治的に見て姻戚の影響をほぼ完全に断ち切る事ができるというメリットがあります。もちろん協力も得られませんが、少なくとも思惑を考慮する勢力は少なくなります。後継者選びで煩わされる事もない。

 またイスラムでは基本奴隷と結婚できません。結婚するなら奴隷身分から解放しなければならず、また購入から七、八年で奴隷身分から解放する事が(イスラムに改宗する事を推奨されますが)道徳的な義務とされています。肉体重労働を強いられる奴隷を別とすると、奴隷と現代の労働者って何が違うかって、自身の生き方を選べない点・・・ぐらい?権利がないという事は義務もないって事だし、奴隷の犯罪は量刑的に軽く見られる傾向があるし。少なくとも生存権はあります。奴隷の主人だからといって生殺与奪権を持っている訳ではなかったはず。少なくともそれを誇示する事は蔑まされる。

 まぁイスラムキリスト教も同じ信徒を奴隷にする事は禁じていますから。つまり異教徒には人権が制限されるのは同じですが(仏教徒のアタクシは人権をしぶしぶ認められる存在か?

 それもこれも偏に安定的に男子後継者を再生産する事が求められていたからで、その目的以外に何百年も続くはずはないですわな。性愛欲求の濃淡があるし、それが義務であるから強制力が発生する訳ですし。そのおかげをもってオスマン朝は何百年も男子継承を続ける事ができましたが。近代以降、それが有効なシステムであるかどうかは別として。

 皇室の男子継承が現代においていかに綱渡りな制度であるか分かります。明治天皇までの畜妾制度をもってしても安定的な直系継承は不完全でしたし、そもそも子供が誕生する事が奇跡であるのですから、その事を基本に考えないと抜本的な解決は難しいかなぁ、とか思ったりしたり。

 あ、性愛とか後継者再生産面でしか書かなかった。もっと色々あったのに・・・まぁいいか?(ナニ

今週の『鎌倉殿の13人』

 九死に一生を得た頼家くん。目覚めてみたら最愛の家族と、最大の支持勢力を失っていたという地獄の状況。色々気が付くけれども、その先に思いが至らず、至誠の御家人を自害に追いやってしまい、またまた株を落としてしまう。もういない方がいい人に。うはー・・・

 あとは一幡殺害を義時に命じられながら泰時の命で助けてしまい、そこでまさかの情が移って殺せなくなってしまった善児。あの、人の姿をした無機物のような男が、初めて人に見えるのですよ。命令を果たそうとして、自分に無邪気に手を振る一幡を殺める事が出来ず苦悩する姿に、人の姿を見てしまった訳で。

 自分、お話とか考える時に、職業的殺人者って一体どういう気持ちで殺人を犯すのかなって考えるのですが、たぶん殺害対象を同じ人間ではなく、ヒトの姿をしたモノとして捉えて、それを機能停止させるという意識ではないかなーっと思うのですよ。自分と繋がりない人に対して好悪も希薄だろうし。善児場合、命じられた殺害対象を、今まで躊躇なく殺してきた訳ですが、初めて「マテ」と言われて手元においていた最中に、自分に情を向けた一幡を、もうモノとは見れなくなってしまったのではないかと思うのです。トワは自身が暗殺者として育てた訳だけど、善児の場合は命じられて汚れ仕事をこなしていた訳で、そういう心構えとかも必要から取得していったのかも知れない。元々は大人しい、生真面目で主に忠実であるだけの男だったのかも知れない。そんな彼の『普通』の部分が呼び覚まされて、殺せなくなった・・・ようにも見えます。

 次週予告を見ていると、頼家だけでなく善児にも地獄が待っているような気が・・・

 ねぇ、『鎌倉殿の13人』の次回予告、銀河万丈さんにやってもらいません?「来週も小四郎と地獄につきあってもらおう」みたいな。

 んでこれ。

 

 この本の感想って書いたかなぁ?思い出せない(確認してから日記を書けよ

 鎌倉殿~の時代から半世紀近く先の話ですが、ドラマでは盟友の北条義時三浦義村、そのひ孫と息子の時代に結果的に北条家が三浦宗家を滅ぼす事件が起きます。位置づけとしては北条家に対抗できる最後の御家人の消滅なのですが、以前の大河ドラマ時宗』だっけ?前史として北条時宗の父時頼が不本意な結果として宝治合戦をやっているのですが、当時不勉強の私は「また大河が主人公をいい人に仕立てようと思って演出しているんでしょ?」みたいな目線で見ていたのですよ。

 ところがこの本で、北条家と三浦家、それぞれのトップは互いに抗争を回避しようと、優柔不断にも見えるほどに努力したにも関わらず、周囲の流れに逆らい切れず激突、三浦家滅亡になります。こういう本ってネタの古典や一次資料から「だいたいこんな展開だったのでは?」って論述だけで終わるのですが、珍しい事にこの事件を小説仕立てで物語っており、三浦家の中でも主戦派の当主弟光村の視点が重要になっています。っていうか何故北条家姻戚の立場よりも、『鎌倉殿』側近の立場を重視して北条家に抗ったのか、という視点。

 他にも鎌倉殿の最側近として立身した安達家が、北条家姻族としての立場で生き抜く事を選択した為に、その外戚の地位を三浦家と争ったというのも宝治合戦の側面でもあります。そんなに上手いとは思わないけれども、小説として表現する事で分かりやすくはなっていたと思います。

 最近、大河ドラマの影響もあってか鎌倉時代の研究物の出版が多くなって、嬉しいものでありますよ。

今日は歴史もの的な

 昨日に引き続き漫画の感想です。

 

 『ダンビアのおいしい冒険』の著者の新作です。今回は主人公がフィクションで彼女の眼を通してモンゴル帝国の内側を見るみたいな感じです。奴隷身分の幼い彼女が学者の家で教養を身に着け成長し、その家に帰属意識が芽生えた頃にモンゴルの侵略が。知ってはいたけれどこういう風に表現されるとモンゴルの攻撃は情け容赦ないよな。特に抵抗を示すと皆殺しの運命が。これ、攻撃側の論理では「逆らったらこうなるゾ」という見せしめの意味があるのですが(その後の侵略が楽になるという)、やられる方はたまったものではない。主人公の町も迎撃に出た軍は打ち負かされ、町を捨て非難する者と家屋の地下に引きこもる者と別れます。主人公は家の女主人とともに引きこもりますが発見され、古代から引き継がれた学術書の為に母親にも等しくなった女主人が殺されます。

 それ以来秘かに恨みを持ちながら、身に着けた教養を武器に、その学術書を求めたチンギス・ハンの末子の妻に仕える展開に。

 チンギス・ハンの死後、分裂するも勃興していくモンゴル帝国の創成期なので落としどころが解らない物語ですね。彼女の『復讐』がどのように変化、昇華していくのか、それが気になります。

 

 

 気にしているつもりが見落としていました。中世ドイツの都市ケルンで市警を務めるオドくんが(『修道士ファルコ』という漫画では元市警のキレキレ修道士で、事件が起こると修道士である事を忘れて捜査してしまう「罪深き」人)主人公の中世ミステリー(時々コメディ)ですね。六巻が今月出る事を知ってから、あれ?自分、何巻まで持っていたっけ・・・と確認したら五巻を忘れていたという・・・いかんいかん・・・

 趣味どストライクの漫画ですが、何故か見落としてしまうのですよ。ダメですねぇ。

 六巻は貴族の内輪もめ話でした。中世的解決方法で市警は出る幕ナシ・・・というか権限的に関わったらヤバい。上司の警視の意見通りですが、物語を読んでいる方としては、そういわずに事件解決しろよ、とか言いたくなる。まぁそういうもどかしさを楽しむ作品ですねー。こういう物語を読むとですね、D&DとかのTRPGで悪党を力づくで排除するPCパーティは「暴力が全てを解決する」人種だよなぁ?とか思ったりしたり。そんな事を思いますねぇ。

 著者の方は画業五十周年の方ですので、健康に気を付けて、仕事を続けていただきたいですねぇ。

 

 話の続きとしては、昨日の日記の後に書くべき感想かも。人が自由に人生を楽しむならば、少子化に向かう傾向は避けられないかも、とは思ったりしたり。

 しかし自分の子供の頃は「増えすぎた人口を・・・」みたいなSF話はガンダムを始めたくさんあり、どっかで日本の集合住宅はアンチ人口増加政策だったみたいな話も聞くので、人口爆発で地球が住めない環境になってしまうより、現在は人口抑制期に入っているのもかもしれないと思ったりしたり。

 そういえば江戸時代中期までは農業生産力の増加と相対的平和で人口が増加傾向でしたが、後期以降は農業生産の限界から抑制期になり、明治期まで人口は横ばいだったよーな。先進国と言われる国々の高齢人口が減少に転じるのは自分たち世代がこの世からグッバイを開始するニ・三十年後ぐらいですかね。その頃になると、もしかしたら人口が増加傾向になるかも知れないなぁ、とかなんとなく思ったりします。

 漫画の内容は特に関係ないです。百合な関係の大人の女性が他人の思いを踏みにじってまで幸せになっていいのだろうか?って戸惑っています。その揺らぎを楽しむ漫画です・・・こう書くと悪趣味だな。書き方・・・