pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

比企さんグッバイまで

 『鎌倉殿の13人』後半見返しは題名通り、比企一族の滅亡まで見ました。こうやって見返すと、ブラック義時誕生のきっかけは、阿野全成の死ではなかったかなーっと。梶原殿グッバイは、信頼している人物だけど所詮他人という気持ちがあったかも知れないので、まだ余裕があったけれども、阿野全成は源氏一門でも妹婿だし、宗教的にはともかく政治的にはまったく無関係な人物。その彼が比企と北条の確執に巻き込まれる形で、ぬっ〇されてしまった事で義時の中で、何かが切れてしまったように見えましたねー。それまでは話し合いや妥協での問題解決を模索していたのに、一転して幼子まで抹殺する事を平然と口にしているなぁ、と。政治的には正しいけれども、今までなら苦悩していた事柄をあっさりと口にした。

 身内が殺されて、やっぱり何かが義時の中で壊れたんだなぁ、と。

 あと比企氏滅亡のシーンは、凄く好きです。悲壮感よりも、素直にヤラれると思うなよ!!って感じが武士っぽくって好きだなぁ。比企能員妻、道さんが「兵を整え、迎え撃て!!」って言うシーン。もう整えている段階ぢゃないんだけど、パニくらずに家人に指示を下し、娘と一幡の逃亡を促す流れが好きです。あとこのドラマでの比企能員の悪だくみするけど、いまいち踏み切れない、詰めの甘い人柄とかも(脅しのつもりで阿野全成を殺したところが、踏み込めないところかなぁ。政争の局面にはまったく関係ない北条側の人間を殺すって、相手がやる気なら火に油を注ぐ行為にしかならないよねー)。

 そういえば北条時連から時房に改名したのですけれども、改名当初から父親に『トキューサ』呼ばわりされていたけど、これ『ときふさ』を『ときゅうさ』読みされたって事だよね。平仮名書きからそう読まれるなら、すんなり入るな、と改めて思いました。

 時間が確保できれば、今夜は頼家グッバイまで見たいなぁ。

 それとは別に読み終えたもの。

 

 電子版が記載されましたがアタクシが購入したのは紙冊子です。電子版で保持する事に不信感があるので。色々な意味で。自分自身も含めて。

 今回自分が感銘を受けたのは細かい新聞の死亡広告に書いてある亡くなった人の姓名、階級から士官級軍人の死亡分布図をつくり、実際の戦闘でどれほどの損害を受けたのか、という事を割り出すという事で、交戦国の戦果発表の欺瞞を暴くというもの。

 あ、後、主人公(たぶん女性士官が主人公)の発想で汚職陸軍軍人グループの醜聞を効果的に発表して打撃を与えるシーン。上司は優秀だけど、人の心がないから心理戦でより効果的に戦果をあげる方法を思いつかないところとかも面白かったです。

 ぁ、千字超えた。もう一つ読んだ漫画作品がありましたが、それは明日に。

見返してみる

 録画しておいた『鎌倉殿の13人』の後半、頼家が鎌倉殿になってからを昨夜から見返し始めました。二話分見て、もう梶原殿がグッバイですよ。早いですね。一晩に二話か三話分見れば年内には見終える事ができると計算。でもまぁ24日に散々見損ねた『キャッシュトラック』を録画してすぐに見たいから、計算通りにはいきませんがネ。

 加速度的に凄惨さが増していくドラマ展開は一気に見返してみるとより増すのではないかな、と思ったりしたり。そういえば義時の『地獄』っていっも政子が関わっているな。そういう意味では悪い姉なのかも。

 それきさておき、読み終わったもの。

 

 十数年ぶりの新刊出たと思ったら、トシォ、なんで死んでしまうん?君、登場人物の一番始めに並んでいるぢゃん。主人公かと思うぢゃん?

 この漫画で一番のお気に入りは、黒幕のゴールドスミスと君の元妻エノラなんぢゃよ。キレッキレのアクションで、ほとんど感性だけで動いていて、君にまだぞっこんなエノラがいいんですよ・・・なぁ、なんで死んでしまったん?「一人になってしまった気がする・・・」ってエノラ、呟いているんよ。可哀そうやないかい、エノラが(あ

 残されたのは頼りない日本出身の若造と少女のみ。この漫画、もしや全滅ものなんぢゃないかしらん・・・まぁ楽しいんだけど。

 次は何年後の発刊になるのかしらん。次回はエノラがもっと活躍するといいなぁ・・・

 

 アウトローものってくくりで一つ。前にも評伝を読んだ事があるのですが、その後に書かれた本なので新しい情報があると思って読みました。チェも女性関係の倫理的にはアレな部分があるよね。酷いもんだ・・・

 しかしそれ以外は純粋で理想主義で、つまり、まぁ隙があるよね、と。一国の主導者たりえたフィデル・カストロの闇にあたる部分が、あざといというか、汚いというか、まぁそういうもんだよね。チェ・ゲバラにはそれが希薄で(ないとは言わない)、良心的であろうとし、だからこそ失敗し命を落とす事になったのですよねー。

 こう言ってはなんですが、自分は右にも左にも共感しきれない人間で、チェ・ゲバラに対しても歴史的人物への関心以上のものがなく、醒めているのですが、先日の日本赤軍の方が刑期を終えて出所された時、やたらと喜ぶ人とかマスコミとかがいたのを思うと、チェ・ゲバラもああいう左のアイコンなんだよなぁ、と。そして亡くなってしまったからこれ以上汚れない、安心して崇める事のできるアイコンなのだと。

 彼らが活動していた時代から半世紀が過ぎたけれども、人を過酷な状況に追い詰めると過激化し、テロリストを増やしていく、という理屈が理解されて、人が追い詰められず生きていける環境を整える努力がなされているのかな?半世紀経過したのだから、それぐらいは進歩していて欲しいな、と思う次第。

 どーかな・・・

炎と血

 題名は読み終わった本ですけれども、一言、先日終わったサッカーW杯について。こんなにPKで決着がつく試合の多い大会も珍しくない?それだけ接戦が多かったのですねー。お好きな方々は血が滾ったでせう。

 さて本題。

 

 

 小説のシリーズ名は『氷と炎の歌』なのですが、それよりもドラマシリーズ名『ゲーム・オブ・スローンズ』の方が著名になってしまったかも知れないですね。小説本編では十数年前に滅亡し崩壊したターガリエン王朝の草創から順次歴代諸王の歴史を綴る、というのがこの本。

 史実をネタにした歴史物語は、解明されていく史実に追いつけず、今の自分にとっては小説家の物語よりも、研究者の研究の方が謎解き要素もあり大変面白く思っているところがあります。

 んぢゃあ架空の歴史物語は?と思うと、これって相当な知識と想像力が要求されるもので、自分は書こうとして挫折しました。はい。

 その点、ジョージ・R・R・マーティンさんはずげい。ほんとに年代記っぽい作品を書き上げている。この本はエイゴン一世から数えて七代目のエイゴン三世が親政を開始したところまでで、あ、こりゃターガリエン王朝終焉まで書きたいんだな、という内容。・・・本編完結していませんけど?せんせー、御年七十超えましたけど????

 あと読んでいて感じたのは、日本とか中国とかの通史だと、必ず安定期をつくった『名君』みたいなのを何人か設定して書いている「正史」が多いのですが(というか現代にいたるまでそういう感じ)、このターガリエン王朝の年代記はそういう設定からは開放されている感じ。四代目のジェヘアリーズ一世がそういう立ち位置とも言えますが、優秀でバランス感覚の優れた王ですけれども、ターガリエン王朝を盤石なものにしたという印象からは程遠いです。比較的有能な息子二人は戦死とかで先立たれているし、孫が継承しますがこれが出来が良くなく、男子継承か、長子継承かで争った「双竜の舞踏」という二系統の王族の戦争も、なーんか優秀な戦略家不在の、無様な殴り合いという感じ。映像化すると生えるでしょうが(現にドラマ化していて第一シーズンが終わったところかな?)ドラゴン同士の戦いも視覚的に格好いいけど、著述としては、だらけてしまうかな?

 やっぱり優秀な指揮官、優秀な戦略家不在の戦争は、先が読めない不透明さがあって、その不安がこの小説の魅力ですが、爽快感はないですね。ジェヘアリーズ治世が一服の清涼剤でした。

 この後のターガリエン王朝の年代記は・・・いつ出るのですかね?本編の続編もまだですかいね?

『鎌倉殿の13人』

 『伊賀氏の乱』までは行きませんでしたが、義時、毒殺?は行きましたね。栄光でも、従容とした死でもなく、自らが望んだ人生でもなく、義務と責任故に背負ってきた鎌倉を、最愛の息子に託す最期が、そしてその息子の為に、更なる業を背負おうと、生きようとした彼を、姉が否定するシーン。零れた薬すらすすって生きようとする義時に、その直前に自らの袖で薬を拭い去るシーン。もう休んで欲しいという姉が突き付ける死が、どうにも説明しづらい感情を呼び起こします。

 能力も気力も望みも平凡な男が、家族への義務と責任感だけで第一人者を務めた。そう表現するドラマだったのかなぁ。

 実朝期の解釈が、もにょりましたが、それ以外は概ね楽しめた大河ドラマでした。

 あとは・・・最終回に来年の主人公を出すんかい。まぁ、あの人は『吾妻鏡』の愛読者でしたが。

 土曜日は『シノビガミコン』みたいな規模のオフセッションに参加してきました。ギミックがワクワクして面白かったです。個人的には平行世界を行き来して、善人も悪役もロープレできたのが満足。あとは・・・なんで親キャラ同士、子キャラ同士で、示し合わせてもいないのに同じ奥義構成、長所と弱点まで同じってどういう事やねん。そういう事もあるんですねー。

 打ち上げで十年ぶりぐらいに行った『とりとり亭』の鳥南蛮が別メニューみたいで驚いたことも。楽しゅうござりました。

 日曜日はビリヤニこさえました。炊き立てではなく、保温状態で数時間おいた方が、パラッとした食感になって好みになったかなぁ、と。

 そして読み終わったもの。

 

 推理小説ばかりでなくSFっぽいもの、書下ろしも含まれている短編集です。上手い人は、何でも面白いものを書くのだなぁ。特に『百合アンソロジー』に寄稿した作品は、最後の最後まで「百合か?」と疑いながら読み続け、クライマックスで「なるほど、こういう解釈、物語の百合かぁ」と納得しました。いちゃこらというよりも、歪な信頼感的な感性。面白かったです。

 んで作品的にはその百合ものが2022年三月刊のアンソロジに収録されていたもので、十一の作品集と銘打ったのは、それ以外に収録を目指していた作品があったからなのですが、どうもそちらは版権の許可が下りず、仕方なく無理を言って百合ものを掲載させてもらったという・・・そっか、FGO、そんなにややこしいのか(あ

 気持ち的にはシリーズものの続編を早く出してほしいのですが、こんな感じで作品を世に出していただけると、読者としては嬉しい限りですよ、はい。

 

今日は漫画を中心に

 書くタイミングを計っていたのです。と言っても、そんな大した感想ではないですが(オイ

 

 雷を操る龍をついに仕留めるのですが・・・えー・・・漁夫られてるー!!しかもなんか、乗組員の親御さんらしいよ?

 あと、屠龍船の船長の過去エピソードが思ったよりも切なかった。子供の頃にアレを食らったのか。そして家族になろうと言ってくれた人が・・・切ないねぇ・・・

 新生クィン・ザザ号が高性能で驚きでござりまする。そして初航海で傷だらけに・・・借金返せるのかね・・・

 さて、漁夫った人に対してどういう物語が始まるのでしょうかねぇ。次巻も楽しみです。

 

 大正期の名古屋が舞台なんですけれども・・・なーんか時代の動乱を描くよりも、少女漫画よりの展開になりそうな気配です。今回は微笑ましい、しかし当人にしてみれば大問題な恋愛事情でしたね。

 んが、姫子さんの精神年齢は低いのかも知れません。こういう態度って、うちの姪に照らし合わせると十歳未満の頃やっていたよーな気がします。十二歳の頃は、もっとすれっからしだったよーな?覚えてないけど(オイオイ

 なんだかんだ言うても、この作者の方は優しい世界を描かれるので、安心していますが、個人的には厳しい時代を描いて欲しいのですけれどもねー(たぶん、そういう展開はなさそう

 

 2012年の小説です。この頃でしたかね?カーボンナノケーブルだったか、なんだったかが生成できるようになって、軌道エレベーターが現実のものになるー・・・かも?って言っていたのは。

 なので民間企業が国連から委託されて運営している軌道エレベーターの話です。厳密に言うと、それを保守点検する人々の物語。お話の舞台は、2022年からあと数年という時代設定なので、軌道エレベーターは四本のケーブルでつながれているだけで、リニアとか使用しておらず、行きだけで一週間かかるという設定。遅いから。

 しかし遅いので体への負荷は少なく、つまり宇宙へ行くハードルが若干下がっています。主人公は背が高すぎる為、船外宇宙服を仕立てると金額的に割が合わず(一着単価が何千万円でしたかね。億には届かなかったっけ。お高いから基本使いまわしで、体格が平均よりも著しく異なる人は船外宇宙服は仕立てられない)、船外活動ができないという設定。軌道エレベーターが問題なく稼働していれば、船外宇宙服着なくても問題ないもんね。

 十年前ですが、動画とかで仕入れた現在の状況もそれほど変わっていないかも。ただロケットでの行き来を民間企業が担って、宇宙服も簡素化したものがあって(船外活動は想定していないみたいだけど)、以前よりは安価になってといるんですかね(安価といっても一戸建ての家が建ちそうなお値段ですが)。

 日業業務の中の事件っていうのが、結構好きでして、人気が出たらシリーズ化も著者は睨んでいたかもなぁ・・・続編出ていないかー・・・何か技術的な説明が変わったかも?(林譲治さんのADDAシリーズはそんな事を著者がおっしゃっていたよーな。それで文庫化が見送られたのかな、とか勘ぐってみたり)

 現在のカーボンナノケーブルの研究はどうなっているんでしょうね。調べてみようかしらん。

こっちも忘れないうちに

 この件に関して自分は、この方の解説が一番バランスが取れていて、かつ解りやすいと思うのです。

 

 終結していない戦争、しかも外側から得られる情報のみでの分析なので、途中経過なのですけれども、どんな経緯で戦争に至り、現状、少なくとも執筆を終えられた九月末までの戦況を分析していらっしゃいます。

 動画とかで別の戦況情報とかも見ているけれども、比較的抑え気味の動画を選んでいるつもりでも、やっぱり人に見てもらわなければならない動画は、人目を引くように作られているので、一歩引いた目線で小泉さんに開設されると、そこまで大げさでもないのかな、と思ったりもします。

 この本で分かった事は、ロシアのプーチンは、ウクライナのゼレンシキーに対して政治的に優位に立っていた、という事。ゼレンシキーという人、なんとなーく大統領になれた経緯が、芸人が大統領になるコメディ映画で主役を演じて人気が出たから、半ばノリでほんとに立候補したらなれちゃった、みたいな気配がします。つまり強固な地盤とかはない。んでロシアに占拠されたクリミヤ半島や東部の問題を話し合いで解決する事を公約していたけれども、国境に軍事力を展開して圧力をかけるロシア側に対して譲歩しかできず成果があげられなかった為、支持率は低下していた。つまり選挙で選ばれた政治家としての指導力は低下していたという事で、このまま次の選挙で親露派、あるいはそれに近い政治家を大統領に当選させる、議会で多数派を占めさせる事ができれば、無血でロシアの究極の目的であるウクライナ併合もできたかも知れないのです。

 ところがプーチンは侵攻を選択した。この選択に対する合理的説明が現段階ではできないと小泉さんは述べておられて、国内右派に対して軍事的勝利を示す必要に迫られていたのか、もしくはプーチンの個人的野心からなのか、まぁ判別できないと。確実な事は西側情報筋からロシアの攻撃は確実に行われる事をウクライナ側が知っていて、その為の対策を行っていた、ということ。そして逃亡を勧められたゼンレシキーが首都で踏みとどまり、徹底抗戦する姿勢を『自撮り』でアピールした事で、彼の政治生命が復活してしまった事ですか。

 ロシアが侵攻を開始した時、ちょうど自分はアフガニスタン戦争の本を読んでいて、旧ソ連軍によるアフガニスタンの『斬首作戦』についても知っていたので、空挺部隊によるキーウ近郊の空港制圧なんて、これ、まんまぢゃね?とか思いましたね。あと『プラハの春』とか『ハンガリー動乱』とかを制圧した手法によく似ているし。

 ただ前例は備えのない小国に対しての奇襲であったのに対し、ウクライナ旧ソ連共和国では第二位の軍事力を持ち、西側情報筋から警告を受けていて、ある程度の備えがあったこと。ロシアはウクライナ諜報部に対して切り崩し工作を行っており、後方の首長とかも多くはサボタージュという形でロシア軍侵攻を助けたけれども、大勢を決するほどの寝がえりではなかったということ(ヘルソンと原発のある町は確実に内通者による寝返りで占拠できたらしいけれども)。

 装備で勝るロシア軍に対し、地の利と兵力で勝るウクライナ軍は西側に対して戦車やミサイル、戦闘機などの重装備支援を要求しますが、第三次世界大戦エスカレートする事を恐れる欧米は重装備支援を躊躇していたこと。しかし踏みとどまり善戦し続けるウクライナ軍を見て潮が変わり、少数供与した兵器を効果的に使いこなした事で信頼した西側が重装備供与を徐々に増やした事から九月の劇的な反攻があったという事ですかね。

 現在ロシアは無差別にウクライナのインフラ攻撃をし、それに対してウクライナは自力でロシア国内の軍事施設を攻撃する手段を持ちつつあるようです(んでも情報が少ないし、まぐれ当たりの可能性も否定できない)。

 これから冬が厳しくなり、これが戦況にどのように影響するのか判りませんが、言える事は、ロシアの組織的な無差別攻撃は非難されるべきであるし、追及され裁きを受けるべきであること。武力による侵略行為は、どんな国であれ高くつく、という事を今、ここで示さなければ台湾、あるいは朝鮮半島有事、または日本列島に直接攻撃を受けた時、戦い続ける事ができなるなってしまうという事ですかね。シリアやコーカサス諸国でロシア軍どんな蛮行をしていたのか、漏れ聞く限りでしか知らないけれども、やったもん勝ちと思っている事は間違いない。

 だからロシアは、ひどい目にあってもらわないと、今後の世界が怖い事になるとか思うのです。

 あ、いつもの倍近く書いてしまった。やってしまったなー・・・

忘れないうちに

 思い付きで録画して見た映画です。

 

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 老いても美しいジョディ・フォスターさんやなぁ、と。

 2001年の9.11でアメリカは復讐を求めていました。実行犯は死亡しましたから、それを命じたもの、企画したもの、関わったもの、全てを血祭りにあげようとしたのですかね。首謀者ウサマ・ビン・ラーディンの逮捕、あるいは抹殺というのは、まぁ解りますが、タリバンに関わった人々すら追及するというのは、今振り返れば怒りで正気を失っているみたいです。『モーリタニアン』という題名は、アフガニスタンの対ソ連戦に参加する為、タリバンの軍事訓練に参加したモーリタニアの青年が、その経歴で逮捕され(モーリタニア政府の得点稼ぎ臭い)、正規の尋問では米軍の望む答えを引き出せなかったが為に、ラムズフェルド(実名出しても構わないよね)が超法規的な処置、すなわち拷問による自白の強要を許可したという・・・

 こういう事に対して疑問に思うのは、アメリカは法律で拷問による自白強要は法廷での証拠にならないと決められているのに、それでも尚やり、そしてその資料が外部に出さざる得ない時には黒塗りにして見せない・・・つまり証拠として役に立たないものにしてしまう・・・意味あるのかい、これ?

 拘束が人権侵害である、として情報公開を求める側にも黒塗り資料を渡すのはともかく、味方である訴人にすら不十分な資料しか渡さず、それで死刑に持っていけって、やる事に整合性がない。怒りのあまりに正気を失っているとしか思えず、証拠にならない証拠では法廷で戦えないと指摘されると「裏切者」と罵る・・・

 そんな常軌を逸したアメリカ当局に、十四年も拘束されてようやく解放された『モーリタニアン』。同じ境遇のフランス、マルセイユ出身の人は絶望し独房で自死ししてしまった事を思えば、生きて解放され第二の人生を歩んでいるという映画の元ネタとなった人物は、前向きで希望を捨てずに、陽気に生きる事を選択した人のようです。解放された後に自身を弁護してくれた人々の一人と結婚し、子供を得て暮らしているというその後のエピソードが救いになります。

 訴人を下ろされた軍の法律家は国防省から法務省に移ったそうです。うわっ。やっぱり人間って感情の生き物なのね。たぶん国防省の人間にとって彼はずっと「裏切者」なのでしょうね・・・軍隊は特に組織意識が強いからなぁ・・・

 色々考えさせられる映画でした。

 しかし登場する女性キャラの中でジョディ・フォスターが一番美人に見えるのは・・・なんでだろ?(好みの問題?