いや、この本の出だし部分がね。そんな感じなんですよ。
序章でね、同じような内容の文章が何度か繰り返されているのですよ。まるでご老体の話のようだな、とか思ってしまって、誰か指摘して、もうちょっと何とかさせる事はできなかったのかと思ったけど、書いている人が書いている人で、編集部もそんなもんかと思ったら、まぁこんなもんか、とか諦めました。
それ以外は、考古学的発見がフィードバックしていて、新しい知見が多くて、面白かったです。史記とか、それを基にした小説とか読むと、始皇帝って、ずーっと壮年期というイメージがあるのですけれども、年代を順に記述されると少年期に即位し、十年くらいは彼自身というよりも、彼を支えた近臣団の意向で国が動かされていたようですし、他国を征服していく戦争も順調という訳ではなく紆余曲折があるように、なかなか大変な事業だった訳ですよ。どうしても始皇帝という呼称から「統一王朝の冷酷な絶対君主」のイメージがつきまとうのですが、彼自身が『皇帝』の位にあったのは十年ぐらいですもんね。その大半は秦王政という強国だけど絶対的な勝者ではないという。
彼を支えた、名前が解っている限りの臣下たち(姓が解らなくて、名しか解らない人も結構いる)の記述が載っていて、各人の複雑な背景や出身国の多彩さにも今更ながら驚きます。秦王政の母親とつるんでいた男(ろうあいって名前だけど漢字を思い出せない)の反乱では楚から嫁いできた彼の祖母にあたる人についてきた君侯が、率先して反乱鎮圧しているのですけど、その人、祖母の人が亡くなったら楚に帰還して、秦王政の征服戦前後に亡くなっているんですよね。その人、秦王政の臣下ではなく、あくまで楚から嫁いだ人の臣下であり、その人の利害が秦王政の利害と一致したが為に命をかけて秦王政を守るけど、祖母の人が亡くなりお役御免になると(もしかしたら秦王政は引き留めたかも知れないけれど、それを振り切ったという事ですかね)、故国で人生を全うしているんですよね。
勝ち馬にのるとか、秦王政の人間性に惹かれてとか、そういう事もある中、故国に殉じるって考え方の人だったのかも知れないなぁ、と。
秦ってシステムによって中国を制覇したみたいに言われる事が多いのですが、それよりも偶然と当時の君主と臣下との人間関係に左右されている部分が大きいような気がします。始皇帝が亡くなった時、統一に貢献した臣下たちはまだ健在でしたが、二世皇帝はそれを使いこなす事ができずに殺され、秦自体も数年後に滅亡します。まぁ李斯とか趙高とかいう始皇帝が亡くなった時に側にいた連中が、臣下を使いこなす事ができない奴だからって据えたのが二世皇帝ですし、彼らも秦を仕切ってきたのは自分たちだから、自分たちが(あるいは自分が)健在であれば誰が皇帝であろうと問題ないと思っていたのでしょうね。
結局システムを構成する人々、それを動かす人を得ないと事業は上手くいかないし成り立たないって事なんですよねぇ。