pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

ま、いいか

 まだ高倉、安徳の項を読んでいませんが、後白河の項目を読んでいたら、あ、この人が平安時代最後の天皇って言っても差し支えない事績だよな、と思ったので。だって幼少で亡くなった安徳だけでなく、二十代で亡くなった高倉も、主権のある君主とは言えないかも、って存在なので。読んだら印象変わるかも知れませんけどね。この本読んで何度、目から鱗が零れ落ちた事か。

 

 右巻きの人たちが大好きな『万世一系』って、前にも書きましたが結果論なんだよなーっと思いました。この本に載っている天皇たちの中で、万世はともかく、一系を信じている人なんか一人もいないので。あ、一系って人繋ぎの系譜って意味なんでしょうけれども、例えば平安中期の光孝天皇は兄の孫、陽成天皇の後を継ぎました。陽成天皇から見たら大叔父であり、臣下として、つまり光孝天皇は官僚として陽成天皇に仕えた経験がある人なんですよ・・・これは親族だけど家族ではないよね?陽成天皇にしても光孝天皇にしても。

 僅かな例外を除き、歴代の天皇は自身の直系子孫に皇位を継承させようと考え、父天皇は兄弟順に継がせようとしますが、先に即位した兄天皇は弟に位を譲るならば、必ず自分の息子を皇太子にしないと承諾せず、鎌倉後半を彩った『両統迭立は特別な事ではなく、ほぼ普遍的に平安時代中期までは起こりえた事でした。対立する兄弟天皇が交互に自分たちの子孫に皇位を継がせようという行為ですね・・・一系って何?って感じ。

 藤原氏が他氏排斥論理で行ったとされた『安和の変』も、最近の説では、どうも当時最有力の廷臣であった源高明娘を妻に娶った弟を排斥する為に、兄冷泉天皇が主導したのではないかと言われています。源高明の妻は藤原実頼、師輔兄弟の娘が多く、どちらかというと藤原氏の身内なので他氏排斥というほどに他人ではないので。

 んでこの冷泉天皇がキーマンで、父村上天皇の評価が芳しくなく、情緒不安定で精神的にも弱いらしく、天皇としての役割を果たす事ができない為、息子がいるけれども幼いため(また息子の母方が政権首班を務められる有力者でもなかった為)、弟円融天皇に譲位せざるを得なかった。んで冷泉天皇からすると円融天皇は自身の息子が成人するまでの中継ぎに過ぎないのですけれども、円融自身はそんなつもりはさらさらなく、皇太子は冷泉皇子だけど、次の天皇は自分の息子に!!って気持ちが強くて有力者の娘を複数后に迎えますが、藤原兼家だけには距離を置いていて、なかなか彼を摂関にしない。これ兼家と兄兼通の兄弟喧嘩で説明されてきたけど、実態は兼家の方が中継ぎと見なされた円融から距離を置き、『本家』冷泉の家にばかり娘を入れていたし政治的立場も冷泉寄りで、息子を皇位継承者としたい円融としてはいちいち信用できない人物だったと。しかし皮肉にも円融には兼家娘から生まれた一条天皇となる息子しか生まれず(それでも摂関である頼忠娘からの出産を望んで、皇子を生んだにも関わらず兼家娘を軽んじてしまい、事実上離婚状態になっちゃったとかなんとか)、その後、位を継いだ冷泉皇子たち(花山、三条)は有力な姻戚に恵まれず子孫に皇位継承できず、一条天皇を祖先とする天皇家が続く事になったと。

 平安時代って藤原北家の主流だけが主人公みたいに見えるけど、詳細に見ていくと天皇も随分やらかしているんだよなぁって、そんな感じですね。そりゃまぁ、彼らが主権者だったんだから当たり前ですがね。