pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

全て結果論

 この本読み終わったら、そんな事を感じました。

 

 別にご本人がそう宣告した訳ではありませんが『神聖ローマ帝国』はこの人が皇帝位についてから始まった、みたいな認識ですね。

 もともとカール大帝が築いたフランク王国。カールが西ローマの帝位についた事から実態は別物でもフランク王国=西ローマ帝国みたいな感じに。しかし分割相続の社会ではカールの子孫たちは東西中部と三王国にカールの帝国を分割。更に中部がブルグンドとイタリアに分割され、ライン川周辺は東西王国に吸収され、四王国に。そしてサラセンやノルマンを始めとする外敵と侵入に対応しきれない弱体な王家が断絶すると、その親戚筋が多数派工作で王位を継承し、外敵に対応するという形に落ち着きます。

 オットーくんは父親の代で東フランク王位を得、また諸侯というか、まだこの頃は部族の長に近い地方有力者と融和し、ハンガリー人の侵入を撃退し名望を集めました。オットーくん、それを勘違いしてしまいまして最初から高圧的な態度で諸侯に接し、内乱発生。これは鎮めますけれども、ハンガリー問題も結構綱渡り。

 当時王位についた人物の強権主義で混乱していたイタリア王国で、いろいろ世俗の権力者たちとトラブルを陥っていたローマ教皇の求めに応じてイタリア問題に介入(結構教皇も乱脈、堕落している)。それはいいけれど先妻が亡くなった後に先のイタリア王妃と再婚した事でまたまたトラブル発生。王位継承に不安を持った長男が反乱を起こすのですが、軍事力が整っていない時は下手に出て話し合いで決着をつけるも、やっぱり息子に暴力で言い分をきかされたのにむかついたのか、軍事力が整うと一変してこれを攻撃し息子の権力を剥奪します。この息子、再起をかけてイタリア遠征司令官になるも戦地で病没・・・後妻から得た息子も二人まで病で亡くし残ったのは三男だけとか。

 ローマ教皇とももめて後々の『叙任権闘争』の種を撒きますけれども、これは仕方ないかも。自分たちを救ってくれたオットーに西ローマの帝冠を授けたのは教皇だし、ローマ皇帝となれば聖職者の任免権あるよね?世襲の豪族よりも『帝国』支配の官僚としては独身で読み書きできる聖職者の方がいいよね?と、これを活用したくなるのも支配者としては必然。

 辛くも最終的にハンガリー人勢力を弱体化させキリスト教化の道を開いたりと、まぁキリスト教徒と立場からすると、婚姻政策でヨーロッパ王族の最長老、家長となり、これの個人的権威の下、旧フランク諸王国は統合された(ように見え)。キリスト教ヨーロッパを異教徒から守った、という評価になり、んなら『大帝』って敬称してもいいんぢゃね?って感じ。

 これ以後、東フランク王はイタリア問題に介入し教皇より帝冠をいただいて皇帝につくので、最初は『帝国』。もしくは『ローマ帝国』って東フランクは自称します。当時はイタリアは分裂状態だし、ブルグンドは東フランクに従属するし、後のフランス王国となる西フランクは王の勢力が百年近く弱体なままだったので、当時の王侯としては東フランク王位にあった勢力が最強。だから彼らが『神聖ローマ帝国』って名乗っても、特に問題はなかったと。そういえば神聖なのは帝国であって皇帝ではないって書いてあったな。そういえばそうか。キリスト教の守護者だけど聖職者ぢゃないもんね、皇帝。教皇になろうとした皇帝は後世出てくるけど、さすがにならなかったし。

 何が言いたかったというと、オットーという男は長命と幸運で『大帝』と言われるようになったみたいに見えるのですよね。判断力とか倫理観とか、そういうのが優れていた訳ではない。普通の欲望の男だよな、と。歴史ってそうとこが面白いですよね。