pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

約束は、守る

 どの口が、って感じなんですけれども、一日遅れでこの話題です。

 

 正確には李氏朝鮮から韓国併合までなんですけれども。副タイトルの「政争と外患の六百年」が示す通り、ほぼそれしか書いてないです。政争が日本国内のそれと比べると激しいというのは、外患による圧力が島国日本とは比べ物にならないほど強いというのもありまして、まぁ外交方針を誤れば国が蹂躙されるという危機感が、比較にならない。李氏朝鮮の成立は中国本土において元末明初の混乱期であり、明が中国を統一したと言っても元はモンゴル草原に帰っただけともいえ、つまり地続きで対立する大勢力と接する訳なので、どちらに従うかで壮絶な内輪もめがある訳です。

 これを統率する為に君主が絶対権力を手に入れようとするのですが、処理能力のある人物が手にすると安定し、処理能力が不足する人物が手にすると外部の臣下であったり姻族であったり、まぁ他人の手を借りなければならず、そうなるとその争奪戦が激しくなる、という。こうなると党派争いが優先されて国防に対する対応がなおざりになり、日本の侵略にも能動的に対応できず、明の援軍で撃退しようとしますが政治的主導権を宗主国に奪われ、戦場であるにも関わらず和睦交渉にも加われないありさま。

 明清交代期は、今まで蛮族といい敵対していた女真族清王朝を立てた衝撃もあり、これに反発、力で解らせられ、「正統中華王朝の明が滅びた今、その衣鉢を継ぐのは小中華たる我々だ」という自尊心を抱えつつ清に従属するという屈折した関係に。

 この自尊心故か十九世紀の西洋の衝撃にも反射的な対応にとどまっている・・・というか、内政の腐敗により対応する国庫がないというのが実情。これ、外敵がほぼ存在しなかった日本よりも腐敗が深刻というのは、日本には天災という人力ではどうにもならない『敵』が朝鮮半島よりも多く存在するので、それに対応する為には個人的欲望を貪る者に対して朝鮮半島の人たちよりも厳しい目を向けているからなのか、などと思って見たりしたり。

 しかしとにもかくにも近代化しつつあった隣国日本を手本に改革しようとする勢力も発生しますが、国王の権限を「君臨すれど統治せず」に近くしようとした為に国王が反発。改革派が失脚した後、国王派による改革が始まりますが、この国王が傍系から即位した為に自分の権威を安定させる事を優先した為、儀礼を賑々しくしたけれども肝心の国力向上には投資が振るわなかった、と。

 このあたり上記の本は当時の国王高宗の「優柔不断」という性格に帰するのですが、下記の本は異なった視点を提供してくれます。

 

 つまり、専制君主の国と言えども儒教の作法に則って世論を聞くというパフォーマンスをするのですね。例えば日清戦争の結果、朝鮮は清の従属国ではなく独立した国家となるのですが、その際、独立国の君主は皆「皇帝」を名乗っているから(この辺の認識がちょっと異なっている感じもするけど、まぁいいか)、正統なる「小中華」である朝鮮半島の君主は皇帝を名乗りたい。でも今まで皇帝号は中国の天子にのみ許されていた称号なのに名乗っていいものなのか、という諮問をして何度も何度も「皇帝になってくれ」という臣下の意見書を提出させるのですね。もう様式美。なので形式的には皆の要望が強いからやもうえず皇帝になる、という儒教仕草をとらなければのですね。これが外国人には「優柔不断」にみえたのではないかと。上記の『韓国併合』を読むと、国力増強ではなく外見を整える事を優先した事が正しかったのかどうかはともかく、高宗は実に自律的に、自身の権威と朝鮮の独立を維持する為になんでもやっているのですよね。

 それに富国強兵に投資して果たして役に立ったのか?は疑問でもあります。日清戦争後、今度はロシアと日本の角逐が始まり、中途半端な軍事力を持っていても有事に役に立ったのか判らない。日本は自国の防波堤みたいな役割を朝鮮半島に望んでいたけれど、それは日本の勝手な都合だし、朝鮮からしてみれば昔から海の向こうからやってくる強盗でもある日本に味方する理由はないわけで。そう思うと韓国が日本同様、シーレーンで生命線をつなぐ国家であると認識している間は日本とも友好な関係になれると認識すれば、韓国に対する考え方も定まるのかなぁ、と。

 あと良く歴史認識の話が出るけど、できる限り客観的に評価しようとする日本と、あるべき正義の姿を追求する韓国では歴史認識が一致する事はないので、そういうのは無駄な努力だと思うですよ。ああいう考え方もあるんだな、程度でいいんじゃないですかね。