pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

 いや、仕事が暇というのは、楽、なんだけど収入減るしアレなんですが、昨夜おなかの調子が良くなくてつらかったので、夕食に晩酌なし。食べすぎもせずに一夜過ぎたら比較的楽な感じに・・・食べすぎは体の毒だナ。解ってはいるけれども酒が入るとねー・・・なんでこんな事を書くかというと、今夜、明晩と飲み会だから。自重って言葉を心の内で唱えよう。

 そんな朝の感想とはまったく関係なく読み終えた本のこと。

 

 現状維持に徹するの結果的に衰亡してしまう。システムを現状に合うように、更に効率的にしていかないと、いずれそうなってしまう。その観点から改革というものは日常的に行わなければならない。古代の改革がすべからくそうであって、その改革に対する摩擦が「謀反」と言われる事件を引き起こしている。そんな解釈。なので副題の「平安朝の政治改革」の方があっていると思います。

 天武天皇というカリスマの血統というのが奈良時代天皇家で、文字通り「神のごとく仰ぎ見る存在」であったのが、その血統が途絶えてしまい、傍系の光仁天皇皇位が移って、まぁこの人は高齢だったので実質的には次代の桓武天皇の時代に、神の権威をまとっていない天皇が君臨する体制を構築始める事になります。生まれながらの権威に乏しければ政治的な実績を積むしかない。それは政治改革、つまり手直しの繰り返しであり、その手直しを繰り返す事が可能な良吏をそろえる事こそが必要だ。その指向が平城、嵯峨天皇によって示されて、この時期より官人(貴族)たちの文化レベル、事務能力が質量ともに向上していきます。

 しかしそうなっていくと血統によって頂点に君臨する天皇という存在が、好むと好まざると相対的なものになっていく。そして天皇自身の政治能力が問題視されていく。

 そうなると血統の親密さをよりどころにした摂関政治と真逆ぢゃないか、となるのですが、そもそも最初の人臣の摂政、藤原良房は自身の孫である幼くして即位せざるを得なかった清和天皇を補佐する一点でその地位についたのであって政権を牛耳る目的でやった訳ではない、と。清和天皇即位がそもそも良房の野望ぢゃないの?という向きもありますが、摂政になる前に「承和の変」で頭角を現し、政権首班となった良房とは血縁的に無関係な天皇を即位させれば政局が乱れる可能性があり、それを発生させない為には良房孫の清和天皇を即位させなければならなかった、と。

 すんなり摂関政治にならなかったのは良房の存在が特別であったと考えられていた事と、その後継者である藤原基経が、自らの縁者である陽成天皇に対して「優しくなかった」という個性があったのではないかと。基経は良房の実子ではなく、並み居る縁者の中から能力故に自分が選ばれた、つまり選ばれたからには能力を示せ、というタイプの考え方であったのではないか、と。良房は孫を教え支えたけれども、基経は教導せず棚上げにするだけで、陽成天皇のやる気は空振りと失態を重ねてしまい、まぁいやんなっちゃた、と、そんな感じですかね。

 菅原道真が失脚左遷させられた昌泰の変は、天皇親政体制を指向した宇多天皇が、貴族社会のみならず息子の醍醐天皇にも拒否られた事件で、臣下から天皇になった宇多天皇桓武、平城、嵯峨、淳和といった能力によって臣下に君臨する、つまり臣下からグダグダいわせないタイプの君主を目指しましたが、醍醐天皇と貴族たちは天皇と言えども貴族社会の一員として、つまり君主制というよりも寡頭制に近い政治体制を指向していた、という事なんですかね。孤独に君臨するのは疲れる、辛い。「鎌倉殿の13人」の源頼朝を見ていれば解るように。だから天皇も臣下と責任分担して集団指導制にした方がストレスが少なくていいよね!!って事ですかね。

 あ、なんか日本的な統治体制っぽいですね、これ。