pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

久しぶりにイイナと思った

 いや、Coldplayのこの歌がです。


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 洋楽はラヂヲからしか摂取しないので、今聞いているZIP-FMは音楽もかかるけど(ミュージックステーションと自ら呼称しているけれど)、前まで聞いていたinterFMのぶっこみ方と比べれば大人しいので(interFMは二十数分というロックの歌をお昼の番組にかけていて、良く解らんけど感動した事があった)、あんまり聞き耳を立ててなかったのですが、それでも耳に残る楽曲があると、こうやって覚えているのですねー。

 自分の中のColdplayはこんな感じで、ポップで前向けな曲が多いです。そしてアルバムを通して曲と真逆の曲とかあって、起伏を感じて嬉しくなる。たぶんこの曲が入っているアルバムを購入するんだろうなぁ、と思ったりしたり。

 そして読み終わったもの。

 

  この図説シリーズは高校生以上の方の入門という形で作られているそうなんですけれども、前に購入した『図説 室町幕府』に比べるとより詳細なイメージがあります。たぶんあちらよりも幕府内の権力争いが、幕府の在り方に直結している為に、組織構成とか、その歴史とともに血みどろみどろな内紛も詳細に記述しないといけなかったからでしょうかね。

 室町や江戸に比べると鎌倉幕府は、やはり草創期の権力であるからか、物凄く実験を繰り返している感じです。そもそもが源頼朝の私的機関であり、管轄していたのは東国ばかりであったのが、承久の乱で西国まで管轄する事になり、そして権力闘争の結果、実務派以外は北条家の血縁とそれに繋がる御家人ばかりが権力中枢にいるという。こう書くと北条家の独占、専制という事になるのですが、この当時相手を信頼するには婚姻、血縁に頼らざるを得ず、そして生物的な制約に捕らわれると人材不足となります。そしてブラックな労働環境になるという。北条得宗家四代目以降の、役職就任時期の若年化と夭折は、それに気が付くと「なんぢゃこりゃ」という思える程です。平均寿命が四十歳前後の時代と言えども、北条家家督、つまり北条家総帥の得宗たちは三十前後で体調を崩し死没するか、出家するかが多い。初代時政、二代目義時、三代目泰時が六十代まで生きているのとは好対照です。

 北条家の「若さ」とは時代や組織としての限界を示すものなのかなぁ、とか思ったりしたりしました。その崩壊もある研究者は「幕府滅亡と言うよりも、運営していた北条家の滅亡であり、建武政権が幕府的な役割を担えなかった時、幕府が復活した」みたいな事を書いていたような気がします。

 まぁそうか。室町も江戸も幕府で、そのシステムが否定された訳ではなく、運営者が期待に応えられなくてなって否定された、という事ですもんね。

ネットの方が圧倒的に楽

 いや、お国が時々やってくれよん、と言ってくる、なんちゃら調査の事です。間違えた事を入力すると、ちゃうよ、と次に進ませてくれないから、面倒くさいのは相変わらずだし「これ、なにいっとんの?」というお役所単語もありますが、労力は記入式よりも楽ですね、たぶん。父親が記入した数字を打ち込んだだけだからかも知れないけれど(オイ

 さて読み終わったもの。

 

  この本発売のニュースをTwitter上で見つけた時は目を疑いました。え、三十年弱ぶりですと?その1993年に発売された短編集、自分も持っています。たぶん。本棚を発掘しなければならないのですけれど、たぶん処分していないと思います。

 高橋留美子さんの絵柄の影響を受けているように見える初期作、オリジナルの絵柄が確立した(と思う)悪霊専門の刑事さんの話、結構気に入っていて、たぶんジ〇ンプで連載が始まるんだろうなぁ。買うだろうなぁ・・・と思っていたと思います。あの頃はまだジ〇ンプ漫画に対して、そこまでアレな事は思っていなかったので普通に期待していたと思います。そして・・・いつの間にやら月日がえらいこと経ちましたねぇ・・・

 今回の短編集に収録されるにあたって、二作品は雑誌掲載紙面から拾っているらしく、画面状況は良くないです。つまり、そういう扱いであったという事ですよね。

 何があったか部外者でから解りませんけれども、なんか、こう、色々あったんでしょうねぇ・・・今回どういう経緯で小学館さんから短編集が出版されたのか知りませんけれども、まずはめでたいでござりますよ。

 この方の作品が好きな理由はですね、なんかほのぼのテイストでありながら苦みを感じるストーリーだったりするからですね。世の中とか人間の、理不尽さというものをどこかしらに描いていて、それに憤ったりしながら、人の好い面とかに救われたりして、そういう展開に弱いのですよ、はい。

 最新の短編もそのテイストが存分に生かされていますね。絵柄はまた変わっていますが(完全に少年漫画タッチから離れている・・・と思う)、これから漫画家として再起動されるのでしょうか?だとしたら、チェックしていかないと、ですね!!

 こういう風に最近、自分が気にかかっていたものや、好きだったけど中途で終わっていたものが復活する傾向がありまして、大変喜ばしい事ですよ。

 生きていると、こういう嬉しい事が時々やってくるので、心がほんのりするのであります。

『時代劇は女性が輝けない』

 という趣旨の発言を、あるドラマ制作に関わった時に著者の方が女優さんから聞いて、その事が念頭にあったそうです。

 

  これは好みの問題なのでアレなんですけれども、確かに少数の例外を除けば、時代劇に登場する武士の妻女はテンプレートがあるように思えます。最近はそうでもないキャラが登場していますが『控えめ』とか『内助の功』というのがキーワードになっている感じ。前に出てくる感じのキャラ造形はこの十年で増えたかな、と思いますが。

 それで著者の方が気に掛けるようになられて、つまり当時の上級社会における妻女の立ち位置の実際はどうだったのか、という事を調べた成果、というべきでしょうね。

 まず公家であろうと武士であろうと結婚は恋愛の結果ではなく、生産存続単位である『家』の都合に合わせたものであり、この『女戦国大名』とも言われる寿桂尼においても例外ではありません。そして嫁ぎ先での立場は実家の社会的地位や自らが嫡子の生母であるか、という事に関わっていたようで、夫今川氏親と結婚して即今川家家政を司る存在にはなっていません。結婚当初は姑の北川殿が家政を司っています。でもこの北川殿も際立った個性ですよね。今川氏親と伊勢宗瑞のゴット・マザー的な存在であり、彼女の氏親を今川当主にするという執念がなければ、戦国大名である今川氏親、伊勢宗瑞は存在しなかったかも知れないのですから。

 嫡男氏輝を出産したあたりから寿桂尼は今川家家妻となり、家長氏親が表であるならば裏を支える存在となります。『女戦国大名』というべき存在になるのは夫が病気がちになり、また後を継いだ息子氏輝も病弱で政務が執れない状況にあった為、当主代行として書類決済をおこなっています。

 しかし外交や軍事に関しては、やはり当主の専権事項であったのか、あるいは戦闘指揮官になれないせいか(女性だから,というよりも、そもそも軍事的な教育を受けていないと思う)、能動的に動いていません。また決済もあくまで当主代行であり正式な裁許は氏輝当主復帰後に氏輝からなされるというものでしたが。

 成長し体力もついた氏輝が活動を再開すると寿桂尼は家妻の仕事である家政に専念します。これは今川家の私的財産の管理ばかりでなく、当主の婚姻に関わるものも含まれており、言われてなるほどと思ったのが夫氏親の妾の選定は寿桂尼が行っていたようなのです。夫の好みは関係なく、どんな家臣のどの娘を夫と娶せ、今川家当主を支える藩屏となる庶子か、あるいは婚姻政策に資する女子を得るかという事を考えていたみたいです。もちろん自身も体力があるかぎり当主の子を産みます。このあたり人は財産と考えている当時の感覚があるのかも。それに幼児の死亡率は現代とは比べ物にならないくらい高いし、実際彼女所生の息子二人はほぼ同時に病で亡くなっています。

 著者は今川義元庶子であると推定しておられます。また花倉の乱で争った次男恵探よりも三男義元の方が氏親葬儀の席次を見る限り上席扱いであり、そのような秩序を定めた寿桂尼が次期当主として義元を支持するのは当然です。

 義元が当主になった後も、義元正妻の定恵院が若死にした事もあって寿桂尼は家妻として今川家の内向きを処理してきましたが、義元戦死後くらいで引退したいみたいです。

 家長の代行をしたり、また亡くなるまで他の戦国大名も彼女の存在、意向を無視する事はできなかったようです。今川家に襲い掛かる直前の武田家が、寿桂尼訃報を重要事項として当主信玄に報告しているのですから。彼女自身の内外における影響力を考慮しなければ、侵攻作戦の方針を立てられなかったという事ではないでしょうか?

 とはいえ、彼女を大河ドラマの主人公にするには、なにか工夫が必要ですね。彼女が亡くなる時、まさに今川家滅亡の足音が近づいてきた頃でしたから、『終わりよければ全てよし』にはならないですもんね。

 個人的には取り上げて欲しい人物ですけれども。

 それなら、弟や息子の尻を叩くように生きた北川殿の生涯を大河ドラマにした方が楽しいでしょうね。にやにや(完全に『新九郎、奔る!!』のイメージなんですが。

『時代劇は女性が輝けない』

 という趣旨の発言を、あるドラマ制作に関わった時に著者の方が女優さんから聞いて、その事が念頭にあったそうです。

 

  これは好みの問題なのでアレなんですけれども、確かに少数の例外を除けば、時代劇に登場する武士の妻女はテンプレートがあるように思えます。最近はそうでもないキャラが登場していますが『控えめ』とか『内助の功』というのがキーワードになっている感じ。前に出てくる感じのキャラ造形はこの十年で増えたかな、と思いますが。

 それで著者の方が気に掛けるようになられて、つまり当時の上級社会における妻女の立ち位置の実際はどうだったのか、という事を調べた成果、というべきでしょうね。

 まず公家であろうと武士であろうと結婚は恋愛の結果ではなく、生産存続単位である『家』の都合に合わせたものであり、この『女戦国大名』とも言われる寿桂尼においても例外ではありません。そして嫁ぎ先での立場は実家の社会的地位や自らが嫡子の生母であるか、という事に関わっていたようで、夫今川氏親と結婚して即今川家家政を司る存在にはなっていません。結婚当初は姑の北川殿が家政を司っています。でもこの北川殿も際立った個性ですよね。今川氏親と伊勢宗瑞のゴット・マザー的な存在であり、彼女の氏親を今川当主にするという執念がなければ、戦国大名である今川氏親、伊勢宗瑞は存在しなかったかも知れないのですから。

 嫡男氏輝を出産したあたりから寿桂尼は今川家家妻となり、家長氏親が表であるならば裏を支える存在となります。『女戦国大名』というべき存在になるのは夫が病気がちになり、また後を継いだ息子氏輝も病弱で政務が執れない状況にあった為、当主代行として書類決済をおこなっています。

 しかし外交や軍事に関しては、やはり当主の専権事項であったのか、あるいは戦闘指揮官になれないせいか(女性だから,というよりも、そもそも軍事的な教育を受けていないと思う)、能動的に動いていません。また決済もあくまで当主代行であり正式な裁許は氏輝当主復帰後に氏輝からなされるというものでしたが。

 成長し体力もついた氏輝が活動を再開すると寿桂尼は家妻の仕事である家政に専念します。これは今川家の私的財産の管理ばかりでなく、当主の婚姻に関わるものも含まれており、言われてなるほどと思ったのが夫氏親の妾の選定は寿桂尼が行っていたようなのです。夫の好みは関係なく、どんな家臣のどの娘を夫と娶せ、今川家当主を支える藩屏となる庶子か、あるいは婚姻政策に資する女子を得るかという事を考えていたみたいです。もちろん自身も体力があるかぎり当主の子を産みます。このあたり人は財産と考えている当時の感覚があるのかも。それに幼児の死亡率は現代とは比べ物にならないくらい高いし、実際彼女所生の息子二人はほぼ同時に病で亡くなっています。

 著者は今川義元庶子であると推定しておられます。また花倉の乱で争った次男恵探よりも三男義元の方が氏親葬儀の席次を見る限り上席扱いであり、そのような秩序を定めた寿桂尼が次期当主として義元を支持するのは当然です。

 義元が当主になった後も、義元正妻の定恵院が若死にした事もあって寿桂尼は家妻として今川家の内向きを処理してきましたが、義元戦死後くらいで引退したいみたいです。

 家長の代行をしたり、また亡くなるまで他の戦国大名も彼女の存在、意向を無視する事はできなかったようです。今川家に襲い掛かる直前の武田家が、寿桂尼訃報を重要事項として当主信玄に報告しているのですから。彼女自身の内外における影響力を考慮しなければ、侵攻作戦の方針を立てられなかったという事ではないでしょうか?

 とはいえ、彼女を大河ドラマの主人公にするには、なにか工夫が必要ですね。彼女が亡くなる時、まさに今川家滅亡の足音が近づいてきた頃でしたから、『終わりよければ全てよし』にはならないですもんね。

 個人的には取り上げて欲しい人物ですけれども。

二十数年ぶりに歯医者に行った

 なので歯医者さんの雰囲気が、随分違うなーっと。そりゃまぁ経営者の方の個性もあるでしょうけれども、なんつーか、お医者さんが機動力を発揮できるようなレイアウトだったです。お医者さんだけぢゃなくて、スタッフの方の機動力も発揮されておりますが。

 あとレントゲンをたくさん撮られましたナ。それはお会計に跳ね返ってくるけど(オイ

 長年歯医者に行っていないという事は、まぁ歯が痛くないから歯は悪くないですわな。だからかも知れないけれど、歯の事でえらい褒められました。・・・え?結構虫歯小僧だったからねー。褒められる事なんてなかったのですけれども、医者に褒められるという事は医者に関わずに済むという事で、なるほどこういう事なのかと。医者に関わり合いになりたくない一心で歯を磨いていたからかしらん。

 また来週行って詰め物しないといけないといけないけど、歯垢取りに三、四か月に一度はこないといけないねー、とか言われましたね・・・なんとか自前で歯垢を取る事はできないかな・・・ダメかな?

 まぁそんな感じで、読み終えたもの。

 

  名古屋の出版社だったんだー・・・それはさておき、自由中国とか言われながら、ちっとも自由でなかった蒋氏王朝みたいな国民党独裁時代から、二代目蒋経国が亡くなった後に総統となった台湾人の李登輝が慎重に事を運び民主化を行い、そして今も現在進行形で(野党の国民党の存在があるかぎり)『台湾』という国家になろうとしている地域です。

 あたりまえの話ですけれども清時代、日本統治時代、国民党時代とそれぞれの文化的影響と、土着の文化、感性が混じり合い台湾なるものを構成している訳で、そのありさまを研究した論文集という事です。

 誤解していけないのは、台湾の人々が日本統治時代を懐かしむのは軍国主義に突っ走る前の時代ですし、また差別をせずに分け隔てなく付き合ってくれた日本人たちとの記憶がなせるものであって、軍国主義の連中とか、『原住民』『被支配民』として日本人以外の人々を蔑視する連中はあかんのですけれども(日本的なものを無条件に懐かしんでいる訳ではない)。

 現状のイメージは中国とは別の国家になろうとしていますし、中国に対して警戒感を持っている海洋国家(中国と陸続きではないという意味の海洋国家)が改めて台湾の存在感を認めているという感じです(アメリカの都合でまた変わるだろうけれども)。

 日本にとっては友好国になっておくべき国の一つであるけれども、正式な国交を結んでいないのかな。中国と台湾の関係がどのように変化するのか、それにかかっているのでしょうね(とはいえ、清王朝時代の領土はうちのもの、と中国が主張し続けるかぎり、あかんだろうけれども)

ねーむーい~

 なら早寝しろよって事ですが、連続して長時間眠れなくなってきているので、良質の眠りを短時間でも確保する方法を調べないとあきまへんな。知らんけど(オイ

 仕事でも艦これでも気ぜわしいのですが、空いた時間が朝にできたので、ちょろりと書いております。今日は読み終えたものがありマス。だからなんだですけど。

 

  柴裕之という方が、先日読んだ織田信長の評伝で「いわゆる三英傑は全て書いた事になります」って書いてみえたので、家康の評伝は過去に読んだ事があったのですが、秀吉はなんだろう・・・って調べたら図説ものでした。

 まぁ勢いでこの本と徳川家康の評伝を買いましたけれど(あ

 図説ですので地図とか、当時の資料とかを使いながらの紹介ですから、そこまで深い考察がある訳ではなく、どちらかというと紹介本みたいな感じですが、入門書ですからね。

 ただその中でも新しく知った事がありまして、秀吉のあだ名が『猿』というのは流布しているのですが、自分は日吉神社の神獣になぞられて、彼自身が日吉神社の申し子みたいな印象をつける為に意図的に流したもので、実際の彼は信長書状にあるように『はり鼠』と呼ばれていたのだろうと思っていたのです。

 ところがどうも生前から秀吉とは『猿』とも呼ばれていたらしく、その小柄で機敏な動きからそのようにあだ名されていたようです。猿面に似ているとかではないみたい。たぶん貧相なので『鼠』を連想させる顔だったのかも知れません。

 それから、大坂の陣豊臣氏が滅亡した後、徳川幕府は秀吉を神格化した豊国大明神を徹底的に排斥したそうですね。豊国神社を廃止したのは知っていたけど、そこまで熱心に駆逐しようとしたとは知りませんでした。まぁ徳川家としては家康を神格化せねばならず、その家康を政権中枢に引き込み、高位高官に引き上げた人物の存在感は極力薄めたいところですよね。『神君』家康は誰の助けもなしに、なるべくして最高権力者になった、と言う事にしたいですから。

 続けて久しぶりに柴さんの『徳川家康』を読み始めたのですが、家康の神格化、『なるべくして征夷大将軍になった』という松平・徳川史観は21世紀になってやっと、その影を払う事ができたといいますから、人の固定観念はなかなか払う事ができないという事ですよね。特に高学歴、高齢者は自らの経験が成功であればあるほど、その観念から自由になれない。世の中は全て相対的と理解すれば、そういう固定観念の罠に陥らずに済むのかなぁ?

 自分も気を付けていかないといけません。他人事ぢゃないですからね。

調子に乗り過ぎました

 昨日の日記に漫画を三冊も使ってしまったので、読書ネタがないです。また艦これ2021春イベE-4新艦掘りに入りましたので、映画も見ていないです。さてどうするべか?

 調子に乗るついでで火曜日に既読未読の本を購入したし、同じ日に図書館へも隙を見て出かけたので、読むべき本は一杯で、同時進行で(枕もとのポアロものを含めて)四冊進んでおります・・・移り気なだけだよナ(あ

 その本の中で一番興味深いのは台湾の民主化についての論文集で、なかなか面白いです。近年ネット上でも台湾の親日家の方たちと日本の方たちが好意的なやり取りをしているのを散見するので、それの背景にあるものを知りたかったのですよねー、主に主体的に日本に接近しつつある台湾について。日本は、ほら、場当たり的なところ、あるぢゃん?水面下では何かが進行しているのかも知れないけれども、目に見えるところでは解らないので。

 詳しい事は読了後ですし、今のところ第三章の半ばにかかったところで先は長いですが(全部で十章あるし)、台湾民主化への原動力というものが、李登輝が選挙によって総統に就任するまで続いた歴代の外来政権へのアンチテーゼ、台湾在来をアイデンティティにする人々の意思というものがあり、民主化を無血で成し遂げた李登輝の人格、能力形成に旧制の台北高校での教育の在り方が深く関わっている、という事でしょうか?

 絶対数では少数派に過ぎない台湾人の旧制台北高校卒業生ですが、まず台北高校に入る事が恐ろしく狭き門であり(日本本土の旧制高等学校の入試に合格する方が、台湾人でもよほど楽だったそうです。植民地の学校では現地民が入学制限されるのに、本土の高等学校への入学にはそんな制限がないという・・・これは同化政策と関係あるのかな?そういえば植民地朝鮮人官吏となった方も、朝鮮本国では差別を受けたのに、苦学して帝国大学で学んだ日本本土では差別を受ける事が少なかったと自伝で書いて見えたな)

 その狭き門がエリートとしてのステータスになっており、また旧制高校は学内自治にこだわっており(学生が警官に悪戯しても、学内に逃げ込めば警官に引き渡される事はなかった。これは人種的な差別はなかったようです)、その事が旧高等学校生徒は特別である、との意識が社会にもあったようです。生徒もそれに慢心せず、というか大学へ進学する為の勉学(大学には無試験で進めたようなので、学内で落第して退学しまわないように、という意味でしょうか)が激しく、生徒よりも先生の方が消耗して転職した例もあったようです。あまりにも生徒からの質問やら授業レベルへの欲求が激しい、という事らしいです。現代の高校でそんな風景はないと思うな。

 狭き門をくぐり、勉学に専念できる環境を整えられた『特別性』が矜恃となり、選良として国や国民に尽くす、という意識を持ったという筋書き。それぐらいの自負がないと国民党内で政権を握る外省人を煙に巻き、民主化を無血で進めるなんて芸当、なかなかできるものではないでしょう。

 平等主義が行き過ぎた現代日本の凋落は、旧制高校出身者が退職した頃から始まった、みたいな意見もあるそうで、確かに今のコロナ禍の対処でも公平性を担保する為に、貴重なワクチンを破棄してしまう事がある、なんて話を聞くと、今の日本は平等性を重視する余り、危機に対処する優先度判断ができなくなっているのではないかと思います。病院に緊急搬送される際に選別して、治せる人を治す。ムリと判断したら諦める、という、あれの類の判断ができる人が少ない。その為に、咄嗟の判断の優先順位がつけられず、衰退していくという・・・ほんとかどうか知りませんけど、かもしれない、という疑念は持ちますね。

 まぁ読み終わってもいない本についてあれこれ書き続けるのも何なので(予定よりも五百文字オーバーしとる・・・