pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

読んでて思ったこと

 良く知らない人の評伝なので借りて読みました。

 

 大正から昭和初期にかけて天皇側近として名前が出てくる人で、名前だけは知っていました。大久保利通の息子だし、華族だろうから、そういうキャリアの人なんだろうと・・・違ってました。

 次男として生まれたので牧野という薩摩藩士の家に養子に出される事が決まっていたのですが、その養父牧野氏が早世してしまい、苗字は違うけど結局大久保家の他の兄弟と一緒に成長したと。華族としての大久保家は長兄が継いでいるので、彼自身は家族ではなく官僚として世に出ます。ただし試験制度ができていない時期なので情実・・・コネによる採用なので、華族と思われても仕方ない?

 大久保利通というと知的で冷徹、数々の政敵を葬り去ったというイメージが強いのですが、家族に対して暖かく、病弱な正妻、愛人との何人もの子供を儲けて、その子孫たちが大久保利通の命日に毎年集まっていたというから、凄い。子煩悩であり艶福家・・・すけべだけでなく人と愛情をもって接する人だったのだなぁ、と。公私のオンオフがはっきりしているみたいですね。だからなのか大久保兄弟、義理の親族もだいたい仲がいいです。現在でも何年かおきに大久保利通子孫が一堂に会しているのだとか。

 牧野本人は英語ができた事もあり外交官のキャリアと本人が地方行政に興味があったので地方知事のキャリアを積んでいきます。大日本帝国憲法下では地方知事は中央からの派遣だったので。

 閣僚としては文部大臣とか外務大臣とかを歴任。教育に関して重要視していて義務教育期間を延ばしています。総理大臣職にはならなかったけど政界の重要人物・・・元老に準じる人物と見られていたみたい。病気がちな大正天皇宮内大臣に抜擢されたあたりから天皇側近として働き始めたので当初宮内庁からは部外者、よそ者、何も知らずに改革しようとする奴と白眼視されていたみたい。

 ご本人は十代にアメリカ留学していた事もあり、外交官も経験していたから英米協調外交をずっと考えていたけれども、満州事変とかが起こった頃の昭和天皇もまだ若く、軍部現場が暴走するなんて思ってもいなかったのではないかと。

 大日本帝国憲法の欠点って、円滑財となりうる軍事を含めた行政全般を知り人脈を持つ『元老』という立場の人物がいないと政府内が回せないってとこで、幕末混乱期は人材不足もあって何でもできる人が重宝され生き残ってきたけれども、平時になり教育が進み人材の専門家が育ってくると、そんな政府を横断して物事を考えたり企画し、権威で説得できる人間は減る一方。牧野自身も官僚であり軍事など触った事もない。つまり軍事視点で考えられる天皇側近が少ない状況。自分が思うに統帥大権といい、軍事指揮権を天皇が持っていると言いながら、その一国規模で軍事を統率できる知識も権威もない人間しか天皇側近にいない為に、軍部が(無意識に)好き勝手できる状況になってしまったのかなぁ、と。んで彼自身は軍部から『君側の奸』扱いで命狙われるし・・・・

 そんな彼も「ハル・ノート」はヒドイと言っているので、「ハル・ノート」に関する研究をどっかで見つけて読まなきゃなぁ、とか思いました。

 あと、田中義一の評価が低いのは判るけど(陸軍出身の政治家だけど、陸軍の暴走を抑えられなかったし、いう事が良く変わったらしい)、原敬とは盟友とも言える関係とは知りませんでした。政党政治には不信感を持っていて、人物本位てせ評価していたというのも、らしいって感じですね。