pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

ねーむーい~

 なら早寝しろよって事ですが、連続して長時間眠れなくなってきているので、良質の眠りを短時間でも確保する方法を調べないとあきまへんな。知らんけど(オイ

 仕事でも艦これでも気ぜわしいのですが、空いた時間が朝にできたので、ちょろりと書いております。今日は読み終えたものがありマス。だからなんだですけど。

 

  柴裕之という方が、先日読んだ織田信長の評伝で「いわゆる三英傑は全て書いた事になります」って書いてみえたので、家康の評伝は過去に読んだ事があったのですが、秀吉はなんだろう・・・って調べたら図説ものでした。

 まぁ勢いでこの本と徳川家康の評伝を買いましたけれど(あ

 図説ですので地図とか、当時の資料とかを使いながらの紹介ですから、そこまで深い考察がある訳ではなく、どちらかというと紹介本みたいな感じですが、入門書ですからね。

 ただその中でも新しく知った事がありまして、秀吉のあだ名が『猿』というのは流布しているのですが、自分は日吉神社の神獣になぞられて、彼自身が日吉神社の申し子みたいな印象をつける為に意図的に流したもので、実際の彼は信長書状にあるように『はり鼠』と呼ばれていたのだろうと思っていたのです。

 ところがどうも生前から秀吉とは『猿』とも呼ばれていたらしく、その小柄で機敏な動きからそのようにあだ名されていたようです。猿面に似ているとかではないみたい。たぶん貧相なので『鼠』を連想させる顔だったのかも知れません。

 それから、大坂の陣豊臣氏が滅亡した後、徳川幕府は秀吉を神格化した豊国大明神を徹底的に排斥したそうですね。豊国神社を廃止したのは知っていたけど、そこまで熱心に駆逐しようとしたとは知りませんでした。まぁ徳川家としては家康を神格化せねばならず、その家康を政権中枢に引き込み、高位高官に引き上げた人物の存在感は極力薄めたいところですよね。『神君』家康は誰の助けもなしに、なるべくして最高権力者になった、と言う事にしたいですから。

 続けて久しぶりに柴さんの『徳川家康』を読み始めたのですが、家康の神格化、『なるべくして征夷大将軍になった』という松平・徳川史観は21世紀になってやっと、その影を払う事ができたといいますから、人の固定観念はなかなか払う事ができないという事ですよね。特に高学歴、高齢者は自らの経験が成功であればあるほど、その観念から自由になれない。世の中は全て相対的と理解すれば、そういう固定観念の罠に陥らずに済むのかなぁ?

 自分も気を付けていかないといけません。他人事ぢゃないですからね。