pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

少しほっこり

 エンターテイメントの世界の方言って、だいたいコテコテとか大げさというか、そんな感じで表現されるのですが、この作品では異なっていました。

 

 書影は作品の時系列に従いました。舞台は幕末から明治初期。尾張藩公用人鹿野師光という人物が軸になっています。謎解きと絡めて幕末の時代を駆け抜けるのですが、基本的に鹿野本人が言っていますが「やるべきことを成し終えて諦観している」みたいな感じで、野心、希望、躍動、そういうものはないです。坂本龍馬西郷隆盛江藤新平といった『幕末維新』で活躍した著名人も出てきますが、何というか、時流から外れていく諦観みたいなものが作品を包んでいる感じ。

 そういうもの好きなのですが、気に入ったのは鹿野氏のキャラ造形ですかね。身長が五尺っていうから150センチあるかないかという現代では小柄な体格。人当たりよく温和ですが、洞察力にすぐれ、幕末では京都の尾張藩邸で他藩との折衝を行う役割を担っていました。達人ではありませんが、人切りの腕も確か。そんな彼の言葉遣いが、某市長のようなこれみよがしの名古屋弁ではなく、イントネーションや、ちょっとした言い回しで表現しているのがとても好感が持てました。

 いや、だって、某市長のような言葉遣い、使う人は今となってはほとんどおらんし、使うとしてもちょっと下品な言い方なので、あれが標準って思われるともにょる。

 それに比べると普段使いの名古屋弁・・・尾張言葉に近いのではないかと思って、鹿野のセリフを音読みするのが気持ちいい。それだけに物語の基調が諦観、哀調を帯びていてるのが悲しい。そんな感じです。作者は愛知県出身かぁ。そりゃそうだよね。出身者ぢゃないとこういう言葉遣いを使用しないもの。

 他の作品もチェックしてみようと思いました。

 

 これも図書館で借りていたから、今日返してしまおうと簡単に感想を書こうかと。

 大河ドラマ化されると関連図書がドバッと出てしまうので、玉石混交だから警戒していました。でも著者の方は自分からするとバランス感覚が自分に似ているので読めば楽しいだろうなぁ、とは思っていましたので。

 この方の明智光秀へのまなざしは結構暖かいかな、と。というか光秀自身の行動が割と家臣、目下に対して優しいのですよね。あと自分を取り立ててくれた信長に感謝の念を持っている・・・天正十年になるまでは。本能寺の動機は『平凡な』怨恨説なのですが、著者は半年余りに、光秀の政治的立場、面子を潰したり傷つけたりする事が短期間で次々と起こり、冷静に問題を考え整理する時間が与えられず、精神的に追い詰められた所に無防備な姿で京に滞在する信長父子を見つけて仕掛けたのではないか、と推察されています。

 本当のところは判らないけれども、そういう考え方もできるよねって感じですかね。自分的には光秀は旧幕臣の統率者みたいな立ち位置で、それもあって室町幕府関係者の領地が多い丹波攻略を任せられているなぁ、と。京都周辺の既得権者で、それを否定されていく人々を家臣に持っている場合が多く、彼らの利益を守るという事も彼を追い詰めているのかも知れないなぁ、と。「物事を眼前にするような」報告書を信長に送り誉められている光秀の文章力が、本能寺前後では悲惨なほどに衰えているというのも精神的なプレッシャーに追い詰められているように思えます。

 こういう研究成果を目にするのはいいですね。